高畑勲×宮崎駿『太陽の王子 ホルスの大冒険』の“失敗”が、日本のアニメーションに遺したもの

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2019年08月17日 08:11  リアルサウンド

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『太陽の王子 ホルスの大冒険』(c)東映

 日本アニメーションの黎明期にスポットを当て、当時のアニメーターがモデルと思われる人々が多数登場するNHK連続テレビ小説『なつぞら』。劇中では、主人公・なつ(広瀬すず)と坂場(中川大志)ら東洋動画による長編漫画映画『神を掴んだ少年クリフ』が興行的失敗に終わる模様が描かれた。そして、現実にも同じように不入りに終わってしまったのが、高畑勲、宮崎駿による『太陽の王子 ホルスの大冒険』だ。本稿ではその功績を紐解きたい。(編集部)


【写真】『太陽の王子 ホルスの大冒険』シーン写真


■異彩を放った唯一無二の作品


 東映の元社長だった大川博が「東洋のディズニー」を目指すべく設立したアニメ制作会社、東映動画(現・東映アニメーション)。『白蛇伝』(1958年)、『安寿と厨子王丸』(1961年)、『わんぱく王子の大蛇退治』(1963年)など、次々に高い品質の名作が発表され、その作品群は、後の日本のアニメーションが隆盛する土台となっていった。そんな東映動画にあって、とくに異彩を放った唯一無二の作品が、『太陽の王子 ホルスの大冒険』(1968年)である。


 いまのTVアニメを中心とする「リミテッドアニメーション」は、動きを効果的に簡略化するような演出を選択することで、製作の時間と労力を抑えながら、娯楽としての質を保つ手法である。そのような作品に慣れていると、まさにディズニー作品を想起させる、細部までごまかしのない、当時の東映動画の劇場作品のクオリティに腰を抜かすかもしれない。そして、本作『太陽の王子 ホルスの大冒険』は、そのなかでもさらに膨大な労力と時間が投入されている作品だ。


 当時の金額で1億3000万円もの巨費を投じ、手を抜かない有機農法のような絵の描き方で、さらにスタジオジブリ作品のほとんどを上回る作画枚数による、本作の制作規模は、歴代の日本のアニメーション作品のなかでもトップクラスといえるだろう。


 だが、そのあまりにも高いクオリティとは裏腹に、本作は興行的に大惨敗を喫した作品でもある。なぜこのような失敗をしてしまったのだろうか。そして本作『太陽の王子 ホルスの大冒険』は、現在までの日本のアニメーションに、何を遺したのだろうか。ここでは本作の真価を、それらのことを振り返りながら考えていきたい。


■社会的な問題意識を投影


 本作は、2018年に惜しくもこの世を去った高畑勲監督の最初の監督作品である。アニメーションによって丹念な日常の描写を行い、「パクさん(高畑)に青春時代を捧げた」と語る、本作を含む複数の作品でレイアウトなどを担当し右腕となった宮崎駿監督らとともに、 『アルプスの少女ハイジ』(1974年)、『母をたずねて三千里』(1976年)などでTV名作劇場シリーズの根幹を作り上げ、『火垂るの墓』(1988年)や『おもひでぽろぽろ』(1991年)などのスタジオジブリ作品で日本を代表する映画監督の地位を確固たるものとした人物だ。『ホーホケキョ となりの山田くん』(1999年)は、スタジオジブリ作品として唯一MoMA(ニューヨーク近代美術館)に永久収蔵されることになった。東京国立近代美術館で開催されている『高畑勲展 −日本のアニメーションに遺したもの』では、その演出の業績が多数の資料とともに展示されている。


 だが、宮崎駿が冗談めかして、「彼の通ったあとは、ぺんぺん草も生えないですからね」と語るように、完璧主義者で理想の高い高畑監督のこだわりは、用意された製作環境の限界をはるかに超え、採算を度外視してしまうような面も持っていた。そんな資質が、初監督作である本作『太陽の王子 ホルスの大冒険』 から、すでに発揮されていた。


 本作は、アイヌ民族の伝承を基にした戯曲『チキサニの太陽』を、原作者でもある深沢一夫(『母をたずねて三千里』)自身が翻案し、太陽の剣を持つ少年ホルスと悪魔グルンワルドと戦うという物語を描いていく。


 高畑監督は、本作に関して、このように振り返っている。「労働や生活は、本来たとえ苦しくとも、同時に喜びを意味するものでありたいと思いますが、残念ながら現在私たちにとってそれらはますます灰色となりつつあります。 私たちは、民衆の“生きるよろこび”とでもいうものを、三つの音楽シーンによって表現し、これを“悪魔”の手から守るに価するものとして、作品の基調にしたいと考えました」( 高畑勲著『映画を作りながら考えたこと』徳間書店)


 本作の作画監督だったアニメーターの大塚康生は、著書『作画汗まみれ』(文春ジブリ文庫)のなかで、本作が高畑監督自身が副委員長を務めた東映動画の労働組合の人々が主導する作品であったことを明かしている。高畑監督は、この作品に関して演出部以外の部署からも作品についての意見を募ったという。


 本作の製作が開始されたのは、ベトナム戦争が勃発した時期だった。フランスでは、ジャン=リュック・ゴダールがマルクス主義への傾倒から、絶対者としての監督という立場をとらない、平等な製作方法をとるジガ・ヴェルトフ集団を形成したように、高畑監督もまた、本作では監督でなく「演出」という肩書きを名乗り、そのような試みに近い方法を試したのかもしれない。そして森康二がデザインを担当した、本作のヒロインであるヒルダは、高畑監督が信奉するロシアのアニメーション『雪の女王』(1957年)のヒロイン、ゲルダからとられているように、それは資本主義へ反発することなど、共産圏へのある種のシンパシーともつながり、さらに中央の権力に反目するアイヌをモデルとした集団の戦いを描く本作の内容とも重なっていく。


 だが同時に、大塚康生の力を借りながら高畑監督が絵コンテの内容を細かく指示するなど、その演出が細部にまで行き渡っているという特徴もある。例えば、劇中でホルスが崖から転落する間際、縄がついた斧を崖の上に投げることで命が助かるというシーンがある。高畑監督は絵コンテによって、ホルスが綱を手繰り寄せて崖を登っていくと、その斧をつかんでいたのは、悪魔・グルンワルドだったことが明らかになるという箇所を、丁寧な指示によってサスペンスフルに演出している。このように悪魔が自分の命綱を握っていたことが分かるという過程は、“悪魔”というかたちで表された、行き過ぎた資本主義や権力者に若者の命が握られているという、高畑監督による社会的な問題意識が投影されているように思われる。


■興行的失敗の原因


 ここにおいて、本作の興行的失敗の原因も明らかになってくる。子ども向け作品として作られ宣伝しているのにも関わらず、内容があまりに知的過ぎるのだ。子どものために意義ある作品を作りたいと考える高畑監督の情熱は、本作に触れる多くの子どもにとっては、難解過ぎるものになっていることは否めない。


 高畑監督は、このようにも書いている。「今ふりかえって考えてみますと、ホルスの人物像にそしてヒルダの扱いに、多くの混乱がみられることに気づかざるを得ません。象徴的な英雄神話的なものに、きわめて現実的な諸問題や、環境をからませていったために、物語の力強さを大きく損なってしまいました。力不足を痛感しています」( 高畑勲著『映画を作りながら考えたこと』)


 監督自身が言うように、本作には若さゆえの空回りや、情熱の暴走による判断ミスがいくつもあり、それが破滅へと向かう原因になったことは確かだろう。しかし、本作は本当にそれだけの「失敗作」だったのだろうか。


■高畑勲を突き動かしていた信念


 当時、高畑監督を突き動かしていたのは、「意義のある作品を作る」という信念であり、「良いものを作れば結果はついてくるはず」という願いであった。それは後に、高畑監督自身や宮崎駿自身が評価する『アルプスの少女ハイジ』というかたちで結実することになる。そしてその成功は日本を代表するヒットメイカーとなった、スタジオジブリへと引き継がれていく。さらにその作品群は、日本のアニメーションに携わる人々のみならず、ディズニーやピクサーを統括していたジョン・ラセターなど、世界のクリエイターたちに大きな影響を与えることになる。つまり『太陽の王子 ホルスの大冒険』に込められた信念は間違ってはいなかったのだ。そして本作がなければ、その後の成功は生まれなかったことも確かだろう。


 高畑監督、宮崎駿らを含め、本作に青春を捧げ、力を振り絞ったスタッフたちの情熱こそが、日本の、そして世界のアニメーションの未来を切り拓いたといえる。この事実は、多くのアニメーション作家や、ものづくりに関わる人々の希望になり得るはずだ。本作自体は「失敗作」と呼ばれるようなものになってしまったかもしれない。しかし、それは同時に偉大な挑戦であり、意味のある立派な失敗でもあったのである。


(小野寺系)


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  • 高畑勲はパヤオが労組で必死だった頃に我関せずとパンをパクついて仕事してたから「パクさん」と呼ばれたのではなかったっけ。
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