米津玄師「パプリカ」セルフカバー評:幅広い世代を虜にするアレンジャーとしての手腕

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2019年08月22日 13:51  リアルサウンド

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リアルサウンド編集部

 先日、ドン・キホーテで買い物していたところ、いつもかかっているあの店内BGMとはちょっと違った曲が聞こえてきて、驚いてShazamしてしまったことがあった。いや、厳密に言えば、歌詞もメロディもあの曲とほとんど一緒なのだが、サウンドが今風で、シンセやベース音もソリッドで普通にカッコいいのだ。これには筆者も思わず店内で「これはアレンジの勝利だなあ……」と舌を巻いてしまった(Shazamによればエドガー・サリヴァンによるリメイク曲だったそうだ)。


 このように、たとえ歌詞やメロディが同じであっても、アレンジが異なれば曲の印象はガラリと変わり、時には原曲が持っていた隠れたポテンシャルを引き出せることがある。先日公開された米津玄師の「パプリカ」も、その良い例だろう。


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 もともとは<NHK>2020応援ソングプロジェクトの曲として昨年7月に発表されたもので、去年の8月〜9月にNHK『みんなのうた』で放送されるやいなや、「サビのメロディが頭から離れない」として中毒者が続出。特に子供に人気のようだ。歌っているのは小学生5名によるユニットのFoorinで、楽曲の持っているピースフルな世界観を子供たちの朗らかな歌声が支えていた。


 そして今回はセルフカバーとして米津本人が歌唱している。今年も8月から9月にかけて『みんなのうた』で放送される。


 注目すべきは、同じ曲を大胆にアレンジしなおして歌っている点である。優しくもどこかもの淋しいイントロには、ほろ苦い過去の記憶が蘇るような、底抜けに明るかったFoorinバージョンにはないノスタルジックな感覚がある。柔らかい音色が揺れるようにしてビブラートすることで、主人公の単純ではない感情が伝わる。Foorinバージョンの「パプリカ」にどこか子供ごころをくすぐる魅力があるのだとすれば、本人バージョンの「パプリカ」には年齢を重ねて成熟した大人の情緒を揺さぶる何かがある。


 イントロ後も不協和音的に音が舞い、曲はミドルテンポで進行していく。音数が抑えられているためか、違和感がかえって心地よい。比較的静かなサウンドスケープを描いていた序盤も、曲が進むにつれて御囃子を意識したかのような雰囲気を見せる。現代的な音使いの中に、笛や三線のような日本情緒漂う音が登場し、さらには、”歌っている”というより”唄っている”、あるいは”謡っている”と表現したくなるような、彼特有の節回しが楽曲に独特の情感をもたらしていく。


 この彼特有のこぶしを織り交ぜた歌唱法は、昨年のシングル曲「Flamingo」にも顕著に表れていたものだ(参考)。「Flamingo」のメロディは島唄や日本の民謡に影響されたため、和風な世界観の歌詞を、歌い方からもより強く補強していた。


 そんなシングルを経由しつつ、今作では、Foorinバージョンのアレンジでも光っていたある意味”童謡”的なメロディを、斬新なアレンジとその”米津節”とも言うべき歌唱法によってまったくの別物に生まれ変わらせている。いわば、同じ曲の”子供向け”と”大人向け”の両パターンを作り上げたようなものだ。まさにそれこそ「みんなのうた」にふさわしいテクニックではないか。


 サウンド面においても光る点がある。今曲で使用されるキック音と、2番から鳴り出すベース音にしっかりと厚みを持たせている点だ。テレビ放送用にといたずらに低音を削らず、現代の海外の音楽シーンのサウンド感覚にも通ずるような、中域の音を減らして低音に比重を置いた音作りが印象的。つまり、いわゆるベースミュージック的なアプローチを用いながら、日本的な情緒を作り上げるという攻めたアレンジを見せている。


 「Lemon」によってシンガーソングライターとしての地位を不動のものにした米津玄師。しかし、本来は曲作りから映像制作、パッケージのデザインまでトータルプロデュースできるマルチなスキルの持ち主でもある。今回の「パプリカ」のリアレンジによって、幅広い世代を虜にできる“アレンジャーとしての米津玄師”の評価も一層進みそうだ。(荻原 梓)


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  • レモンは普通にいい曲だと思ったけど、フラミンゴはすげえなと戦慄した。パプリカは坂本冬美とか藤あや子の演歌民謡の人が歌ったらどうなるのか聞いてみたい。>
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