ホーム > mixiニュース > ライフスタイル > 命は誰のものか 患者の在り方

患者が生きるのは権利か義務か? 小説『神様のカルテ』著者×コラムニスト医師 【大学同期の医師対談】

78

2019年08月23日 08:00  AERA dot.

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

AERA dot.

写真夏川草介(なつかわ・そうすけ)長野県で地域医療に従事。2009年、『神様のカルテ』で第十回小学館文庫小説賞を受賞しデビュー、シリーズ320万部のベストセラーに。信州大学医学部卒業で、大塚氏と同期。シリーズ4年ぶりの新作『新章 神様のカルテ』が19年1月に発売(撮影/倉田貴志)
夏川草介(なつかわ・そうすけ)長野県で地域医療に従事。2009年、『神様のカルテ』で第十回小学館文庫小説賞を受賞しデビュー、シリーズ320万部のベストセラーに。信州大学医学部卒業で、大塚氏と同期。シリーズ4年ぶりの新作『新章 神様のカルテ』が19年1月に発売(撮影/倉田貴志)
 コラムニストとして医師・患者間の橋渡し活動をおこなっている京都大学大学院特定准教授・大塚篤司医師の初の著書が8月20日に発売になった。AERA dot.の連載をまとめた『「この中にお医者さんいますか?」に皮膚科医が……心にしみる皮膚の話』(朝日新聞出版)だ。

 大塚医師は信州大学医学部出身で、同じ学年には、のちに小説『神様のカルテ』で作家デビューする医師の夏川草介さんがいた。お互い、大学時代はその存在を認識する関係だったというが、卒業後は「風の便り」で活躍を耳にするくらいで、会う機会はなかった。今回、大塚医師からの対談企画の呼びかけに夏川さんが応じ、大学卒業以来となる再会を果たした。夏川さんが最新刊『新章 神様のカルテ』で描く医療現場について、大塚医師が質問を投げかけ、患者の在り方を語り合った。

【小説『神様のカルテ』著者×コラムニスト医師 医療情報を発信する共通項は?】

*  *  *
大塚篤司(以下、大塚):『新章 神様のカルテ』に、「生きるのは権利じゃない、義務だ」というセリフが出てきましたよね。これを断言するのは、個人的には勇気が要るなと思ったんです。

夏川草介(以下、夏川):僕がずっと思っていることだったんです。「自分の命なんだから自分で決める」と言う患者さんがいる。こちらの説明を聞いたうえで治療をやめたいと冷静に判断する人もいれば、説明を聞かずに「病院はいやだ、家に帰してくれ」という人もいる。

 こういう人はよく「何事も自分で決めて一人で生きてきた」と言うけれど、絶対にそんなことはないんです。生きているというだけで人は必ず誰かの力を借りている。実際「誰にも迷惑はかけない。俺の人生は俺が決める」と言う患者さんを、陰から必死になって支えている家族を目にすることも少なくない。

大塚:たしかにそういう患者さんはいますね。

夏川:生きているだけでもたくさんの人があなたを支えているんですよ、ということをわかってほしい。支えてくれる周りの人のことを考えると、人生の選択ってそんなにたくさんなくて、できることを全部やるしかないと思うんです。結局残された道をがんばるしかなくて、それは義務なんだ、というのがこれまでの経験からの僕の感覚なんですね。もっといえば、自分の命は自分だけのものじゃなくて、みんなのものだという感覚です。

大塚:僕の感覚では、たとえば、医者にとっても家族にとっても「いい患者」でいようという人がけっこう多いように思うんです。医師の提案や家族の希望する治療を受け入れるのが正しいと思っている患者さんがいる。でももしかしたら、それは患者の本当の意思ではないかもしれない、という気もするんです。

 医者をやっている以上、どんな人でも命を助けて、一日でも長く生きてほしいと思うじゃないですか。でもそれが患者さんにとって苦痛なだけの一日だったら決してプラスではない。『新章 神様のカルテ』では、29歳の膵がんの女性が自宅で最期を迎えようとしていたけれども、主人公の医師・栗原一止の言葉で思いを変えていく、というシーンがありました。命が誰のものなのかというのはすごく難しい問題だなと思うんです。

夏川:いまの社会は、人はどうしても一人では死ねないようになっていますよね。病院で死ぬにしても、患者は痛み止めが必要になる。人はぽっくりとは死ねないから、最期は誰かが支えることになるんです。誰もがほとんど強制的に人とつながらざるをえない。それが良いか悪いかは別として、そういうつながりを意識している人と、意識せずに一人で決められると思い込んでいる人との間には大きな違いがあると感じます。

 今回の「神様のカルテ」の膵がんの女性には、彼女のことをとても大切に思っている夫や子どもがいます。そんな中で「私は痛いのがいやだから死ぬよ」というのでは、大切なはずの家族を自分の人生から断ち切ってしまうことになる。そうではなく、自分を支えてくれている人たちとともに、自分の命に向き合う。それが「生きる」ということで、すべての人にほとんど強制的に押しつけられた義務だというのが僕の認識なんです。

大塚:僕はそれとは逆で、最近は、患者さん一人が、子どもを含め家族のことを引き受けなくてもいいんじゃないかと思うようになりました。僕たち医療従事者が患者さん本人の選択について、家族が後悔しないように説明してあげたり、納得するための道筋をつくってあげたりすることはできるんじゃないかと思っています。

夏川:僕は患者が亡くなるときは、その人が関わっている親戚や近所の人と必ず面会するようにしています。どんなに「一人で生きてきた」という人でも、その人に最期は一人だと思わせないように。遠い親戚がいたら必ず電話して、どういう人なのかを聞くし、近所の人にも来てくれとお願いする。

 いま個人主義が広がって、そのひと個人をとても大事にするのが主流です。でもそれに乗るのはすこし違和感がある。「最期は俺が決める」という結果、切り捨てられているものも多いと思う。当然のことだけど、患者さんの思いや希望をくみ取ることは一番大切です。でも患者さんの意見だけに耳を傾けていると、結果的にうまくいかないことがある。だから僕は、できるだけその人のまわりの人とも関わるようにしています。往診の時も、ときには隣の家を訪ねたりもする。

大塚:それをやっている医者は少ないね。僕は、「自分勝手に死ぬ」と言っている人ではなくて、いろんな人に気配りをして、つながりを大事にしてきた人の最期というのは、もうすこし穏やかにしてあげられないかなというのが思うところです。ただ夏川さんがおっしゃっているのは、残された人の気持ちがすごく大事だということですよね。

夏川:そういう点で、僕も大塚さんもめざしているところは同じだと思うんですよ。

大塚:『新章 神様のカルテ』では、大学病院のことが描かれているじゃないですか。僕はいま大学病院に勤めていて、一時、2年間、市中病院にも行っていて、大学病院との違いはわかっているつもりだった。でも、これを読んで再確認したところがあった。その一つがパン屋さんの例え話。大学病院の医療を、限られた貴重なパンにたとえ、与えられる患者の数は限られているので、その限られたパンを一番助かる人に与えるべきだという主張が出てきます。それに、主人公の一止先生は、「大学には、山のようにパンがあるんです。そのたくさんのパンを患者に配らずに、後生大事に抱えたまま倉庫に隠し持っているのが大学という場所です」と。あれはすごい言葉だなと思って。

 たとえば、患者さんは病気を治そう、生きようと必死で100%向き合ってくれていることに対して、医者がちゃんと受け答えできているのかということに結びつくなと思ったんです。こっちでできることって本当はもっとあるんじゃないの? とくに大学病院のような大きなところでは、一人に対してこんなことをやってしまったら全員の患者さんにやらなくてはならない、でもそんなことをするリソースはないというのはごもっともなんだけど。だからといって、目の前の患者さんに全力を尽くさないというのはまた別の問題なわけで。言い訳として、ひとりひとりに望むようにやっていたら、追いつかない。じゃあ、誰に対して医療をやっているの?と。

夏川:もうちょっとなにかできるんじゃないかと思いつつ、どこか踏みとどまってしまう。微妙な空気があるんですよね。

大塚:それは大学特有のものなんでしょうかね? 僕は、市中病院にいたのが2年だったし医者になってすぐのことだったから……比べるのもおかしいけど、子どもの遊びみたいなもんで、子どものころはくたくたになるまで遊ぶでしょ。でも大人になると、明日の予定とか考えて、遊ぶのもセーブする。どこか近いものがあると思っていて、はじめはどの医者も全力を尽くす。その患者さんの、治したいという気持ちに応えようと思って、全力で向き合う。でも何人も見てきて、助からない、治らない患者さんも診てくると、医者は最初に診察した段階で患者のその先が見えてしまうようになるじゃないですか。どれだけやったとしても、医療に奇跡は起きないというのを僕らは知っている。そうなるとどこか、次の患者さんへのセーブができてしまう。実はパンの在庫があるのに配らない。じゃあ、いつ渡すのか?という状況が、仕事を続けるなかでできてしまう。

大塚:僕は、京都大学病院でメラノーマ専門外来をやっている。全国から患者さんがやってくるんです。その時に、おそらく、最初からホスピスを希望する人はいない。みんな、最後何か手はないかと思ってくるんです。その気持ちには応えようと、僕は「もう次の手がない」ということは言わないようにしている。もちろん、ガイドラインである程度の道すじはあって、メラノーマの薬物療法は、セカンドライン(最初のもっとも有効とされる薬剤が効かない場合に、次に選択される薬剤)までしかない。

 僕のところに紹介されたときにはセカンドラインも終わっている、というケースもある。そのときに、患者さんに、「手はないです、ホスピスに行ってください」というのは、間違っているという結論で僕は仕事をしてきている。これは賛否両論あると思うけれど、そうしないと見放されたと思った患者さんが次に流れてしまうのは民間療法なんです。そうするとお金を何百万円と積んで効くことのない治療を受けてしまう。そこだけは避けたいという気持ちがある。だから文献を調べて、エビデンス(科学的根拠)レベルが低くなってしまうけれども、使える治療法は提示していくというスタンスでやっています。実際、ガイドラインにある標準治療だけですべてがうまくいくわけではない。

夏川:前向きな提案を出せるようにしたいとは思っていますけどね。

大塚:なにかしら治療は見つけます。ただ治療をすることで生命予後を縮めてしまうという状況にもなってくるので、その場合は説明をします。

夏川:がんばるひとは多いんですか。

大塚:難しいんですよ。患者さん自身が、本当はもう限界を超えているとわかっているのに、僕があきらめないスタンスを提示しているがゆえに僕に合わせて「あきらめません」って言っている患者さんもおそらくいる。それを見極めなくてはいけなくて。本当は医者から、次は治療がないのであとは痛みを取ることを優先しましょうと言われたほうが楽な患者さんも一定数はいて。それがすごく難しい。言葉の意味だけじゃなくて、その背景にある考えもくみ取ったうえで、こちらは治療していかないと、本当に患者が幸せかどうかが結びつかない。

夏川:そんなことを個人的に決めていいのか?ということを、医者は決めなくてはならないからね。そう思う瞬間がある。この人はここまで、この人はもうちょっとっていう判断の基準がないからね。その瞬間が蓄積していくなかで、苦しいまま葛藤を続け、それを書くことで本になったりしていくんだね。

◯大塚篤司(おおつか・あつし)
京都大学医学部特定准教授。皮膚科専門医。がん治療認定医。信州大学医学部卒業で、夏川氏と同期。AERAdot.での連載をまとめた『「この中にお医者さんいますか?」に皮膚科医が……心にしみる皮膚の話』が8月20日に発売。

○夏川草介(なつかわ・そうすけ)
長野県で地域医療に従事。2009年、『神様のカルテ』で第十回小学館文庫小説賞を受賞しデビュー、シリーズ320万部のベストセラーに。信州大学医学部卒業で、大塚氏と同期。シリーズ4年ぶりの新作『新章 神様のカルテ』が19年1月に発売。

(構成/白石 圭)

【おすすめ記事】小説『神様のカルテ』著者×コラムニスト医師 医療情報を発信する共通項は?【大学同期の医師対談】


このニュースに関するつぶやき

  • そもそも軽はずみに命を作って(または、孫をせがんだりして作らせて)実質「作り捨て」。コレどうにかしろ!
    • イイネ!13
    • コメント 9件
  • 安楽死を早く認めて
    • イイネ!29
    • コメント 1件

つぶやき一覧へ(52件)

あなたにおすすめ

ニュース設定