『なつぞら』から「女性と仕事」の今昔を考える 「小田部問題」の現代に通ずるテーマ性

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2019年08月24日 06:11  リアルサウンド

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『日本のアニメーションを築いた人々 新版』(著・叶精二 )

「お仕事ドラマ」としての『なつぞら』
 コラムニストの海原かみなさんが最近、『日刊ゲンダイ』誌上のコラム「「偽装不倫」も失速中…恋愛ドラマはなぜ視聴率を稼げなくなったのか」で、昨今のテレビドラマに見られる変化についてわかりやすくまとめています。コラムのタイトル通り、いまや恋愛ドラマ(トレンディもの)が「絶滅寸前」なまでに不振だというのです。ここ数年、平均視聴率10%をクリアした恋愛ドラマはほとんどなく、現在放送中のものも杏主演の『偽装不倫』(日本テレビ系)含め、軒並み苦戦しているらしい。人気ドラマといえば、1990年代の「月9」に象徴される美男美女が主演の王道恋愛ドラマというイメージがまだまだ根強いぼくのようなアラフォー世代から見ると、まさに隔世の感という感じです。


参考:『なつぞら』東洋動画のモデルとなる人々は? 日本の「漫画映画」の礎築いた東映動画のレジェンド


 ともあれ、それに代わって、現在の人気ドラマの要素として海原さんが挙げる、「悪いヤツが最後にヘコまされてスカッとする」「見逃してもついていける1話完結もの」「コミカルな笑いがある」という要素に並んでいるのが、「女性のお仕事ストーリー」です。なるほど、確かにいまのテレビドラマの中心視聴者層である30〜50代の独身、あるいは子育て・共働き世代の女性たちにとって、もっとも共感できる「お仕事ドラマ」にヒット作・話題作が増えているように思います。あるいは、子育て支援や「働き方改革」をめぐる日本社会の現状も、こうしたトレンドに確実に影響を与えているでしょう。


 さて、大森寿美男さんの脚本によるNHK朝の連続テレビ小説の記念すべき第100作『なつぞら』もまた、そんな「お仕事ドラマ」のひとつとして、さしあたりはこうした昨今の人気ドラマのトレンドに連なっているといえるでしょう(まあ、「朝ドラ」自体だいたいいつもそういうものではありますが)。『なつぞら』はこのサイトのレビュー記事でもお馴染みですが、北海道・十勝でたくましく育てられた戦災孤児の少女・奥原なつが、昭和30年代、戦後日本のアニメ業界でアニメーターとして活躍していく姿を描く物語です。また、広瀬すずさんが演じているヒロインの奥原なつの設定には、よく似た実在の人物がいるとも考えられています。このドラマのアニメーション時代考証を担当している小田部羊一さんの亡妻であり、日本の女性アニメーターの草分け的存在として、草創期の東映動画(現在の東映アニメーション)で数々の名作を手掛けた奥山玲子(1936-2007)というひとです。


 それに伴い、なつ以外の『なつぞら』の物語のディテールや登場キャラクターにも、モデルと思われるようなひとたちがいます。それにかんしては、大山くまおさんによるコラム「『なつぞら』東洋動画のモデルとなる人々は? 日本の「漫画映画」の礎築いた東映動画のレジェンド」などが簡にして要を得た情報をまとめていますので、ご覧ください。


 このコラムでは、そんな「女性のお仕事ドラマ」としての『なつぞら』の現代性の一端を、ドラマのモティーフとなっているだろう東映動画の史実とも重ねあわせながら紹介してみたいと思います。


「出産・育児と仕事の両立」という現代的ジレンマ
 そんな『なつぞら』ですが、目下展開されているのが、なつの「出産・育児と仕事の両立」をめぐるエピソードです。職場である東洋動画スタジオで出会い、最初は反発しながらもともに作品を作りあげていくうち、いつしかたがいに惹かれあっていったなつと演出部の「いっきゅうさん」こと坂場一久(中川大志)は、晴れて第114回で結婚します。なつにプロポーズした最中に製作していた監督映画『神をつかんだ少年クリフ』の興行的不振の責任を取り、東洋動画を辞職した坂場は新居で家事労働を一手に担う一方、妻のなつはベテランアニメーターとして、引き続き新興ジャンルのテレビまんが(テレビアニメ)の現場で奮闘します。


 そのうちに、ついに第119回でなつのお腹に新しい命が芽生えます。なつのおめでたに夫の坂場も大喜びするとともに、仕事を辞めたくないと悩むなつに、主夫である自分が一緒に家事育児を率先してやると宣言します。そして、「仕事を続けたいなら、好きなだけ続ければいい。それで会社がその後の君の仕事を認めれば、つぎからはほかの女性も働きやすくなるだろう。子どもを育てながら、アニメーターを続ければ、そういう戦いにもなるんだよ。君がその道を作るんだよ」と説得します。


 そこに、第121回で東洋動画を退職した先輩アニメーターの「マコさん」こと大沢麻子(貫地谷しほり)が新しく設立したアニメ制作会社に坂場を誘いに訪ねてきます。内心では漫画映画作りへの情熱を燃やし続ける坂場ですが、悩んだ挙句、マコさんの会社でもう一度、漫画映画を作りたい、ただ少なくとも1年は待ってもらって、そのあいだは子育てに専念すると、なつに打ち明けるのです。


 生まれてくる子どもをだれよりも愛情深く育てたい、でも、自分の生きがいでもある大好きな仕事もずっと続けていきたいーーこうしたなつの切実な思いと、にもかかわらず、現実の社会や職場、家族の価値観ではなかなかそういう希望がうまく通らないというジレンマは、何もドラマが描く昭和40年代前半の過去の話でなく、それから半世紀以上経った21世紀の現在でも、残念ながらあまり変わっていないでしょう。ここ最近の『なつぞら』の展開に、強く感情移入する子育て真っ最中の女性や男性の視聴者も多いのではないでしょうか。


茜のエピソードに見る東映動画の労働史
 ところで、『なつぞら』のなかでなつと坂場の結婚・出産の「伏線」になっているのが、なつと前後してアニメーターになり、ともにテレビまんが制作に携わる同僚の三村茜(渡辺麻友)と、大先輩のアニメーターである下山克己(川島明)の結婚と出産の顛末でしょう。


 すでに触れたことですが、なつになぞらえられる奥山は、東映動画の同期であり、のちに高畑勲が演出したテレビアニメ『アルプスの少女ハイジ』(1974)のキャラクターデザインなどを手掛けた小田部羊一さんと結婚しています。したがって、ドラマではなつと、高畑を髣髴とさせる坂場を結婚させたのは、作品に関係者の史実と物語をずらすという意味で、なんとなく納得できるのですが、茜と下山の結婚という展開には驚かされたアニメファン(ジブリファン?)も多かったのではないでしょうか。というのも、一部で茜のモデルというふうにもいわれている実在のアニメーター・大田朱美さんの夫は、神地航也(染谷将太)が髣髴させるあの宮崎駿であり、実際、茜に一目惚れした神地が積極的にモーションをかけまくるという微笑ましい「前振り」(これも宮崎夫妻の史実通り)も頻繁に登場したので、てっきり茜は神地と結婚する流れだと思っていました。それが、大塚康生さんがモデルと思われる下山とくっつくという流れには、「どんなフェイント!?」と思ったのはぼくだけではない……はずです。


 それはともかく、茜は妊娠したものの、複雑な表情を浮かべます。というのも、第119回で産休を取るために社長室に挨拶に行った茜は、社長の山川周三郎(古屋隆太)から産休後に復帰したら、雇用は契約扱いになると申し渡されたのです(この正社員とは異なる「契約者」制度も、実際に東映動画には60年代初頭からありました)。山川は「そのほうが出勤時間はフリーになるし、あなたは仕事ができるんだから、頑張れば給料よりかえって高く取れるでしょう」と彼女を諭しますが、結局、彼女はショックでアニメーターを辞め会社を退職するのです。


 そしてすでに触れたように、なつも子どもを授かります。第120回でなつは出産と自分の仕事への思いを、下山と神地に打ち明けます。彼らは、仲努(井浦新)ら作画課の男性アニメーターたちにもなつをめぐる現状の不公平を訴えかけ、会社側にそんな規則は不当であり、今後の女性アニメーターたちのためにも、産休明けにも引き続きなつが正社員として勤務できるようにと、ともに団交に向かいます。なつらの訴えを聞いた山川社長は、困惑するもアニメーターたちの真摯な直訴となつの熱意を聞き、最終的には社員として継続雇用することを約束します。


『日本のアニメーションを築いた人々 新版』(著・叶精二 )
 じつは『なつぞら』のこの部分の展開には、よく似た史実が存在しています。アニメーション研究家の叶精二さんの著書『日本のアニメーションを築いた人々』(若草書房、増補新版が今月24日に刊行予定)などに詳しいのですが、女性社員は結婚後には退職すべき旨の書面に署名させられるなど、1960年代初頭の東映動画では、女性社員に対する就業上の不公平がまかり通っていました(これも『なつぞら』で茜の口から語られます)。東映動画はその後、ドラマではまだ描かれていない1972年に人員削減を行うのですが、その時点でもそのさいの指名解雇対象の選定条件には「有夫者」(既婚女性社員)が加えられていたのです。


 また、映画産業史の観点から東映動画の労働をめぐる企業体制の歴史的変遷をじつに詳細に研究している木村智哉さんは、ほかにも興味深い証言を紹介しています(「アニメ史研究原論」、『アニメ研究入門【応用編】』現代書館所収)。


 それは、1970年前後にアニメーターとして活動したのち、漫画家に転身、後年にスタジオジブリで高畑勲が監督した名作『おもひでぽろぽろ』(1988、アニメ版は1991)の原作者としても知られる刀根夕子の回想です。刀根によれば、当時、男性の動画マンにはのちに原画へとキャリアアップし、長くアニメ業界で働くことを前提とした先輩アニメーターによる修正指示があったそうです。ですが、女性への指導の場合は、結婚や出産によるキャリアコースからのドロップアウトの可能性があることを暗黙の前提として、男性と違い先輩自ら修正してしまう傾向があったというのです。


 ここにも、性差をめぐる労働条件の大きな格差が横たわっているといえます。つまり、当時のアニメ業界では女性であるというだけで、会社側からは勤続が想定されず、それゆえに、彼女たちはアニメーションの制作工程のうえで下流に位置づけられる動画やトレース・彩色などの分野に割り当てられ、そうした状況は固定化・自明化されていきます。なおかつ、それがまた、「細やかな手作業」や「ゆたかな色彩感覚」といったそれ自体固定的な「女性性」のイメージと結びつけられ、企業内、業界内での保守的なジェンダー認識が再生産され続ける……という循環構造が作られていくわけです。『なつぞら』でも、そうしたジェンダーイメージは(ある意味で史実の再現の物語なのだから仕方ないことですが)やはりはっきりと表れています。なつが最初に配属される彩色担当の仕上課は女性ばかり、他方で仲や下山らのいる作画課は男性ばかりであり、しかも作画課で最初に登場する女性アニメーターのマコさんは、そこではどちらかといえば「男性的」なイメージで演出されているのです。


「小田部問題」の現代性
 さらに、『なつぞら』の茜の退職と、なつの団交のエピソードにも、それを視聴者に想起させる有名な事件があります。それが、1965年の5月から8月にかけて東映動画で起こった、いわゆる「小田部問題」です。


 もともと1965年から66年にかけての東映動画では、就業形態をめぐる労使対立が顕在化した時期でもあったのですが、この小田部問題については、たとえばさきほどの『日本のアニメーションを築いた人々』や、木村さんの学術論文「商業アニメーション制作における「創造」と「労働」」(『社会文化研究』第18号所収)などの文献に詳しく書かれているので、興味のある読者はそちらを参照していただきたいです(ウィキペディアの「奥山玲子」の項目にも少し触れている箇所がありますね)。


 さて、小田部問題とは何だったのでしょうか。それはまさに『なつぞら』のヒロインを思わせる人物・奥山とその夫である小田部さんをめぐって起こった、東映動画における、ひとつの「働き方改革」を促す出来事でした。当時、そろって入社6年目、(生まれも同年なので)28歳の中堅アニメーターとなっていた小田部・奥山夫妻には保育園に通わせる子どもがいました。小田部さんはその送迎のために自動車教習所に通っており、やむをえず遅刻や職場離脱が増加していました。むろん、会社側もしだいにこれを問題視しはじめます。そして、ついに小田部さんには出勤停止処分がなされたのですが、むろん小田部さんとしてもその後も教習所通いを止めるわけにはいかず、やがては彼の解雇処分の可能性まで取り沙汰されるようになっていきました。当初、会社と小田部さん個人のあいだでの交渉では、一時は依願退職による契約化が推奨されたこともあったといいます。


 ところが、事態は小田部さんの勤務態度に起因するごく個人的な事案を越えて、労働組合全体を巻きこむ東映動画社内の普遍的な労働問題に発展していくのです。結局、労使交渉の結果、小田部さんの解雇は撤回され、職級上の降格減給処分によって、この事案は決着したのでした。


 ともあれ、この小田部さんの一件を会社全体の問題として認知させたのが、(ほかならぬ彼の妻であり、なつのキャラクターを思わせる)奥山だったのです。奥山は、これを育児休暇や保育施設の不備による共働き社員の普遍的な問題として、婦人部の機関紙で取りあげるなど、積極的に内外に問題提起をしていき、最終的には約250人分の署名を集める労使闘争にまで発展させたのです。『なつぞら』のなつらアニメーターたちの団交の物語は、この小田部問題の実話を踏まえて観るべきでしょう。


 いずれにしても、ここ数週間の『なつぞら』は、子育てと仕事の両立に悩む女性や男性にとって、さわやかな励ましを与えるドラマになっていると思います。そして、その理由のひとつには、俳優や作り手側の情熱だけではなく、おそらく登場人物の造型に大きなヒントとなった当時の東映動画のひとびと(とくに女性たち)の、半世紀近くも前の、「働くこと」をめぐるたゆまぬ戦いが、現実に存在したからなのです。このドラマが東洋動画のひとびと以外にも、ジェンダーをめぐって先進的な考えを持ち、女性ではじめて北海道大学に入学したという柴田夕見子(福地桃子)をなつの姉妹に設定したのも、「女性の自立」というテーマにコンスタントに目配せを送っていた証でしょう。


京アニとジブリにまでつながる、なつたちの夢
 また、その後のアニメ業界では、ネガティヴな慣習だけでなく、むしろ奥山の戦いに追随するようなポジティヴな動きもありました。


 たとえば、なつと坂場のもとにやってきたマコさんは、第122回で自分が新しく立ちあげる「マコプロダクション」の理念について、「そこはね、女性のアニメーターが母親になっても安心して働ける場所にしたいと思ってるの」と語ります。この場面について、ネット上では、1981年に、八田陽子さんが近所の主婦を集めて仕上げの下請会社として設立した京都アニメーションを髣髴とさせるというコメントが溢れましたが、この時期には京アニに限らず、スタジオキャッツなど、同様の経緯で発足したアニメ会社がほかにもありました。スタジオキャッツを設立した工藤秀子さんは、両親の介護をしながら、自宅で細々と仕上げの仕事を個人請負でするうち、周辺の主婦が集まってきて、それでスタジオを作ったといいます。いわば奥山となつが60年代に見た夢は、現代日本のポップカルチャーにおける「優しさ」や「繊細さ」の象徴となった京アニの歩みにまで遠くつながっていたのです。


『プロフェッショナル 仕事の流儀スペシャル 宮崎 駿の仕事』(販売元:NHKエンタープライズ)
 そして他方では、奥山の思いと戦いを間近で見ていた彼女の後輩アニメーターだった宮崎駿は、ある意味でそれを後年の自らのアニメーションの表現にも結実させていきます。そう、『魔女の宅急便』(1989)のキキから『紅の豚』(1992)のピッコロ社、『もののけ姫』(1997)のタタラ場、『千と千尋の神隠し』(2001)の油屋まで、宮崎アニメには(ときに男性以上に)「生きいきと働く女性たちのコミュニティ」が繰り返し描かれるからです。奥山の姿は、いまや世界に誇る宮崎アニメの作品世界にも少なからず影響を与えたといえるでしょう。


 ともあれ、そんな奥山も2007年に70歳の若さで亡くなりました。当時、宮崎はジブリで『崖の上のポニョ』(2008)を製作中だったのですが、じつは奥山の死について、宮崎が語っている映像が、NHKが放送したドキュメンタリー「プロフェッショナル 仕事の流儀スペシャル」(現在はDVD『プロフェッショナル 仕事の流儀スペシャル 宮崎駿の仕事』で観ることができます)に記録されています。彼は、いつものように作画机に向かいながら、側にやってきた色彩設計の「ヤッチン」こと保田道世と、「奥山さんが亡くなったんですよ。小田部が黙ってたの」、「ショックだよねえ」とふたりでため息交じりにうなずきあい、その後、ジブリの屋上で真っ赤に染まる夕焼けを眺めながら、「はああー…。死んじゃうと、夕焼けも見られないねえ…」と感慨深げに呟いています。


 そこで宮崎とうなずきあっていたヤッチン(伊原六花演じる、なつの親友の森田桃代のモデルと思われます)も、東映動画時代からの「戦友」として宮崎の創作を最後までサポートし続け、それから9年後に77歳でこの世を去りました。なつと結婚した坂場を思わせる宮崎の盟友・高畑もまた、昨年亡くなりました(現在、東京国立近代美術館で開催中の「高畑勲展――日本のアニメーションに遺したもの」には奥山の描いた原画も多数展示されています)。


 『なつぞら』の時代から半世紀以上の歳月が経過し、ドラマのなかでは「かみっち」と呼ばれる神地に相当する、今年78歳の宮崎は、いまも新作アニメーション製作のために机に向かっています。『なつぞら』の物語と、そのヒントとなったと思われる昭和のひとびとのそれぞれの人生の軌跡は、女性も男性もともに支えあいながら「働くこと」の意味について、令和の時代のわたしたちにも変わらない問いを投げかけているかのようです。 (文=渡邉大輔)


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