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「ガガちゃん」こと臥牙丸にとって、日本は「夢の国」だった

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2019年08月25日 07:12  webスポルティーバ

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向正面から世界が見える〜
大相撲・外国人力士物語
第2回:臥牙丸(前編)

 身長186僉体重200堋供パワーあふれる取り口で、ファンから「ガガちゃん」の愛称で親しまれる臥牙丸は2005年、グルジア(現・ジョージア)から来日し、角界入りした。明るく人懐っこい性格で、力士仲間たちからも愛されている臥牙丸。現在、十両で相撲を取る彼が、これまでの相撲人生を振り返る――。

       ◆       ◆       ◆

 十両2枚目で迎えた今年の名古屋場所(7月場所)は、「悪い夢を見ているんじゃないか」と思うくらいの場所だったよ。

 3日目の豊山との相撲で、流れの中で右ヒザを骨折してしまったから……。場所前は部屋での稽古、ジムでのトレーニングと順調に仕上がってきていたし、再入幕も狙っていたから、本当にショックで……。

 立っているのもいっぱい、いっぱい。患部にテーピングをきつく巻くと、スムーズに動けなくなってしまうから、それもできない。翌4日目からは、土俵に上がるのが精一杯という状態になってしまった。

 だけど、僕は休まなかった。2日目に東龍に勝って1勝を挙げてから連敗が続いたけれど、西2枚目の地位で1勝だけで終わってしまうと、秋場所(9月場所)では十両から落ちてしまうからね。

 土俵に上がり続けていれば、調子は最悪でも、勝つことがあるかもしれない。お相撲さんになって14年、関取になって10年が経つけれど、その中でつかんだ土俵勘みたいなものはある。それに、僕はこれまで一度も休場の経験がない。丈夫な体に産んでくれた両親に感謝しなくちゃいけないよね(笑)。

 ようやく2勝目を挙げたのは、9日目の大翔丸戦。翌10日目には負け越しが決まってしまったけれど、あきらめなかったよ。14日目、翔猿に勝って3勝目を挙げた時は、ホッとしたね。来場所も関取でいられることが、ほぼ決定したから。

「関取」の地位は、給料がもらえて、付け人が付く、特別な地位。それだけに、僕にもプライドがある。

 実は昨年の秋場所、十両12枚目で6勝9敗と負け越して、翌九州場所(11月場所)でずっと守ってきた関取の座から陥落したんだ。僕の中では「幕下に落ちたら、引退する」と決めていたし、気力もほとんど残っていなかった。

 だけど、師匠(木瀬親方=元前頭・肥後ノ海)から「もう1回、がんばってみろ!」と檄を飛ばされて、頭を冷やした。幕下に落ちたと言っても、僕の番付は東の筆頭。この地位は勝ち越し(4勝)さえすれば、優先順位1番で十両に上がれる。もし、もっと番付が落ちていたら、あきらめモードに入っていたかもしれないけど、「これなら、がんばれるかも……」と心を奮い立たせた。

 そうして、九州場所では5勝2敗と勝ち越して、再十両の座をつかんだけど、若い力士たちの台頭がめざましい中、今32歳の僕がどこまでやれるのか、これからちょっと不安なところもあるね。

 僕が生まれたのは、ジョージアの首都・トビリシ市。日本の人に「ジョージア」って言っても、どこにあるのかわからない人も多いと思うけれど、1年を通して気候も温暖なんだ。ロシアの隣の国だから、「冬はすごく寒いんじゃないの?」って聞かれたりするけど、トビリシの場合、冬でも最低気温がマイナス1度くらいだから、冬のグルジアは僕の中ではオススメだね。

 質のいいぶどうが獲れるジョージアでは、ワインの製造が盛んで、トビリシの実家でもワインの醸造をしていた。僕は6歳からサンボと柔道の道場に通っていて、16歳の時には、サンボと柔道でジョージアのジュニアチャンピオンになった。

 相撲の大会に出るようになったのは、18歳の時。あまり知られていないけれど、世界相撲選手権やヨーロッパ相撲選手権で、ジョージアの選手は結構活躍している。垣添関(元小結=現雷親方)が大学時代、世界選手権で優勝とかしていた頃、彼を破って優勝したレヴァン・エバノゼ選手は最強だったし、団体トーナメントでもジョージアはだいたい3位以内につけているんだよ。

 そんな土壌もあって、2005年7月、両国国技館で行なわれた世界ジュニア相撲選手権に、僕はジョージア代表として出場し、無差別級で3位に。栃ノ心(現大関)と一緒のチームで出た団体戦では、2位という成績を収めることができた。

 それより少し前(2001年)、ジョージアからは黒海関(※欧州出身の最初の関取。最高位は小結)が大相撲に入門していた。2年後には関取になって、ジョージア国内でも大きな話題になっていたんだ。

 彼の活躍もあって、僕も日本という国に憧れていた。パソコンや電化製品で有名なソニーも日本にあるし、経済が発展しているというイメージ。当時の僕にとって、日本はまさに「夢の国」だったんだ。

 だから、ジュニア選手権が日本であると聞いた時に、「これはチャンスだ!」と思ったし、「もしかして、黒海関のようなお相撲さんになれるかもしれない」とワクワクしたよ。

 ジュニア選手権がきっかけとなって、僕は日本のアマチュア相撲関係者と知り合って、日大相撲部の田中英寿監督を紹介してもらった。そしてしばらくは、日大相撲部の合宿所に住んで練習をさせてもらいながら、入門のチャンスを待っていた。

 そんな時、声をかけてくれたのが、今の師匠(木瀬親方)。早速8月に木瀬部屋への入門が決まって、テスト期間が終わった11月の九州場所で初土俵を踏むことになった。

 四股名は、「臥牙丸」と決まった。僕の本名は「ジュゲリ・ティムラズ」っていうんだけど、小さい頃からのニックネームは「ガガ」。だから、その「ガガ」に横綱・武蔵丸関のように強くなってほしいという意味を込めて「丸」を付けた。ちなみに、レディー・ガガとは、なんの関係もないよ(笑)。

 2005年九州場所で初土俵を踏み、2006年の初場所(1月場所)、序ノ口でいきなり優勝。序二段も1場所で通過して、三段目も3場所で卒業。入門1年で、順調に幕下まで番付を上げた僕。

「これなら、すぐに十両に上がれるかも!」

 そんな気持ちがちょっとあったことも確か(笑)。

 でも実際には、幕下には強いお相撲さんがいっぱいいて、ずっと足踏みしてしまった。一緒に日本にやってきて、2場所遅れで初土俵を踏んだ栃ノ心は、入門から2年足らずで新十両を決めたのに、僕はなんでダメなんだろう……って落ち込んでいたね。

 番付は低迷していたけれど、体重のほうは順調に増えていったよ。入門した時に150kgだったのが、1年で10kgくらいずつ増えていって、入門から4年後、幕下10枚目で優勝した時には190kgまで増えていた。

 ちょっと話が逸れるけど、お相撲さんって激しい朝稽古をするから、朝ゴハンは食べない。相撲部屋での生活が始まってからは、朝ゴハンは抜きだから、僕は「日本人は全員朝ゴハンを食べないのか」と勘違いしていたほど。

 あと相撲部屋には、お金のことを「お米」と言ったり、女性のことを「星」と言ったり、独特の言葉があって、それが普通の日本語の使い方だと思っていたら、全然違っていたりとか……。困ったこと、わからないことがあった時は、先輩の黒海関に聞いたり、栃ノ心と相談したりしながら乗り越えてきたよ。

 僕の体重がそこまで増えたのは、やっぱり日本のゴハンがおいしすぎたからだな。白飯が苦手な外国人力士もいるけど、僕は全然大丈夫だったし、ふりかけをかけるといくらでも食べられた。ふりかけは、最高だね!

 師匠の故郷の熊本ラーメンも、めちゃくちゃうまいし。あと、アイスクリーム。『ピノ』っていう小さな粒みたいなチョコアイスがあるけど、あんなうまいものを食べたのは初めてだったし、いくらでも食べられるなと思ったね(笑)。でも僕の場合、水を飲んだだけでも太るタイプみたい。

(つづく)

臥牙丸 勝(ががまる・まさる)
本名:ジュゲリ・ティムラズ。1987年2月23日生まれ。ジョージア出身。木瀬部屋所属。200圓鯆兇┐覽霏里肇僖錺侫襪米佑押し、明るいキャラクターで、子供からお年寄りまで相撲ファンの人気を集めている。2019年名古屋場所(7月場所)時点での番付は、十両2枚目。


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