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プロ野球選手を諦め、ラーメン屋を開業 元甲子園球児の挫折と挑戦

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2019年08月25日 12:00  AERA dot.

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写真「我武者羅」の人気メニュー元祖長岡系の「生姜醤油ラーメン」は一杯750円だ(筆者撮影)
「我武者羅」の人気メニュー元祖長岡系の「生姜醤油ラーメン」は一杯750円だ(筆者撮影)
 日本に数多くあるラーメン店の中でも、屈指の名店と呼ばれる店がある。そんな名店と、名店店主が愛する一杯を紹介するこの連載。新潟県出身でフレンチシェフからラーメン職人に転身した店主が愛する一杯は、新潟ラーメンを都内に広めた功労者が紡ぐ愛情こもったラーメンだった。

【写真】なんとも美味しそう!元甲子園球児が作る地元愛あふれたラーメンはこちら(全8枚)

■評価されたラーメンをあえて「休止」

 新潟ラーメン専門店「我武者羅(がむしゃら)」は、新潟県見附市出身の蓮沼司さん(48)が開いたお店で、ご当地ラーメンが都内でも食べられるお店として大人気だ。本店は渋谷区の幡ヶ谷にあり、代々木に支店、そして別ブランド「背脂煮干中華そば 心や」を幡ヶ谷で展開している。

「我武者羅」では、蓮沼さんが学生時代から食べてきた新潟5大ラーメンの一つ「生姜醤油ラーメン」を提供している。濃口の醤油と豚の旨味溢れるスープに生姜を合わせることで、さっぱりと食べられるのが特徴だ。生姜の効果で体もポカポカと温まり、まさに寒い地方のご当地ラーメンといえる。生姜が入れ放題で、お好みの量でカスタマイズできるのもうれしい。

 別ブランドの「心や」では同じく新潟のご当地ラーメン、燕三条ラーメン(背脂煮干ラーメン)をふるまっている。燕三条ラーメンには80年以上の歴史があり、煮干がビシッと効いたスープに背脂を浮かべ、極太麺を合わせている。薬味として刻みタマネギを乗せるのも特徴だ。「心や」のラーメンのスープは、スッキリとした濁りのない清湯(ちんたん)ながら、煮干の旨味と香り、醤油っぽさがしっかり出ており、そこに甘めの背脂が厚みを加えてくれる。極太の縮れ麺にスープが絡んで大変美味しい。

 前回の記事でも紹介したが、蓮沼さんはフレンチシェフとして料理人の道を歩み始めた。ラーメン職人に転身してからは、「生姜醤油」「背脂煮干」と新潟の2つのご当地ラーメンを進化させ蓮沼さんテイストにし、ヒットさせてもきた。かつては濃厚味噌ラーメンの「弥彦」、「Miso Noodle Spot角栄」なども展開し、各店の売り上げも好調。業界内外からの評価も高かった。だが、今は「我武者羅」「心や」の2ブランドに落ち着いている。

「数年前からセントラルキッチンを作り、味を安定させてきましたが、3ブランド以上を回すのは厳しいなと感じました。まずは今いる従業員で2ブランドのラーメンがしっかり作れるように仕組み作りをしています。5店舗に増えるまで味噌はお休みです」(蓮沼さん)

 蓮沼さんの今後の目標は新潟ラーメンを日本はもちろん、世界各地に根付かせて広げていくこと。まずは知識を若い職人に伝えていくことが重要だという。

「フレンチ時代から変わらず思っていることですが、日本人は技術や知識をお金に変えるのが下手です。海外にも臆せず飛び出してほしい。言葉が通じなくても、味で思いやセンスを伝えることはできる。良い店がきちんと世界で評価されるようになればと思っています。飲食業に夢を持たせたいんです」(蓮沼さん)

 蓮沼さんは新潟のラーメンの良さを伝えるためには、その土地に合うようにチューニングすることが大切だと考えている。現在、海外には清湯のラーメンはそれほど広まっていないが、土地に寄り添えば開拓できる余地はあると蓮沼さんは確信する。

 そんな蓮沼さんの愛するラーメンは、新潟ラーメンの大先輩が紡ぐ一杯だ。「我武者羅」で新潟ラーメンを目指すきっかけになったお店で、店主は燕三条の背脂煮干ラーメンを都内に広めた功労者でもある。

■プロ野球選手を諦め、ラーメン屋を開業 元甲子園球児の挑戦

 新潟の燕三条に本店を構える、背脂煮干ラーメンの名店「潤(じゅん)」。店主は燕市出身の松本潤一さん(54)。新潟ラーメンの文化を広めるべく、現在都内を含め13店舗を展開している。東京には蒲田、亀戸、武蔵小金井の3店舗があり、燕三条ラーメンを都内に広めたお店としても名高い。

 学生時代は野球一筋だった松本さん。中越高校時代は甲子園にも出場。プロ野球選手を目指し、卒業後は神奈川大学に進学した。だが、周りの強さに圧倒され、プロでは通用しないかもしれないと思い始めた矢先、過度の練習がたたり腰を痛めてしまった。これがきっかけで、大学を中退して新潟へ帰ることになった。

 高校時代、地元ではスター扱いだった松本さんだが、プロを諦めたと聞いてから、周りにいた人が一気にいなくなった。居心地の悪さを感じていたある日訪れた生姜醤油ラーメンの名店「青島食堂」でふとしたことに気付く。

「お客さん全員がニコニコしながらラーメンをすすっているのを見て、これは人を幸せにするいい商売だなと思ったんです。自分は人より体力はあるし、ラーメン屋にはなれるかもしれない、と考えました」(松本さん)

 子どものころから、叔父が営む食堂でよくラーメンを食べていた。家の近くには、「杭州飯店」「まつや食堂」などのラーメンの名店もあり、よく通っていたという。ラーメンの道を歩もうと、松本さんは修行のために新潟から大阪に向かった。

「何の当てもなかったのですが、心の拠り所として何となく“甲子園”があったんです。とにかく一人になりたかったし、リセットしたかったんです」(松本さん)

 19歳で大阪の中華料理店で働き始めた松本さん。しがらみのない土地で、一心不乱に料理の基礎を学んだ。5年間の修行を終え、24歳で新潟に戻り、叔父の食堂を手伝い始めた。

 食堂を手伝いながらも、独立開業の準備も怠らなかった。1993年には、自宅の玄関を改装して「酒麺亭 潤」をオープンする。27歳のときだった。選んだのは、地元・燕三条系の背脂煮干ラーメン。当時、東京にも大阪にもこういったラーメンはなく、他に類を見ないものだということはわかっていた。いつか全国にこの味を広めてやろうという一心で、ラーメンを作り続けた。

 好調に売り上げを伸ばし、新潟でお店を3店舗に広げた頃、松本さんにチャンスが訪れる。ラーメン評論家・石神秀幸氏と東武百貨店池袋店が共催する「諸国ラーメン探訪区」出店の誘いだった。2003年11月から1年間という限定出店だったが、千載一遇のチャンスだと、その期間本店を閉めて東武百貨店に張り付いた。これがとてつもない売り上げとなり、燕三条ラーメンの可能性が見えてきた。しかし、松本さんは当時をこう振り返る。

「自分で納得のいくラーメンができていなかったのに、売り上げだけはどんどん上がっていく。肝心の味ではなく、“燕三条ラーメン”“背脂煮干”といった情報だけが選ばれているのではないかという不安に駆られたんです」(松本さん)

 これを機に、もっと腕を磨いて全国を目指そうと思った松本さん。各所から殺到した出店依頼を断り続け、味のブラッシュアップを図ることに集中した。

 こうして05年、東京1号店になる「らーめん 潤」を蒲田にオープンした。周りに工場が多いなど、燕三条と同じ文化を持っていたことから迷わず蒲田の地を選んだが、初めはまったく売れなかったという。松本さんの想像以上に、誰も新潟ラーメンを知らなかったのだ。

 喜んでくれるのは新潟出身のお客さんくらいで、「麺が太すぎて食べられない」、「天カスを抜いてくれ」という人もいた。

「天カスなんて使っていないのに、何のことだろうと思ったら、背脂を天カスだと勘違いされていたんです。新潟ラーメンどころか、背脂すら知られていない。何度も、もう無理だなと思いました」(松本さん)

 スタッフもほとんど新潟県出身。ゼロからの土台作りだったが、それでもめげずにラーメンを作り続けた。すると、食べた人の口コミが少しずつ広まり、3年ほどすると売り上げも伸びてきた。人気店には、ドカンと認知度が上がり行列店になるお店もあれば、口コミが口コミを呼び、時間をかけてその地に定着するお店もある。「潤」は後者だった。

 このままいけば、新潟ラーメンを提供するライバル店も現れるだろう――松本さんはそう思った。だが、なぜか現れない。松本さんは、自分の力で新潟ラーメンを広めていくことに力を注いだ。

「そもそも地方のラーメン店が東京で展開できる土壌がなかったんです。自分で苦労して、ようやく気づきました。当時、ラーメン屋自体がカッコいい商売じゃなかったし、地方からわざわざ東京に出てまで一旗あげようという人はいなかったんですね」(松本さん)

 蒲田店のオープンから14年が経ち、今では東京で新潟ラーメンを提供するお店も出てきた。「潤」が土台作りをしたことによって、新潟ラーメンそのものに人気が出てきて、全国にも広がり始めたのだ。そんな先輩の背中を追い続けるのが、冒頭で紹介した「我武者羅」の蓮沼さんだ。

「潤さんは新潟ラーメンを広めるために東京進出した、いわば故郷のアニキです。まさに自分が目指すことを実現しています。中華のコックさんから始まり、常に上を目指しながら前進している。何より新潟のラーメンをここまで有名にした功績が大きいです」(蓮沼さん)

 松本さんも、後輩・蓮沼さんのバイタリティを高く評価する。

「誰よりも新潟を愛する男です。若手を引っ張っていける存在だとも感じていて、これからは彼に任せていきたい。自分にはできない進化型のご当地ラーメンが作れるのも魅力です。文化を守りながらも、進化させていける貴重な職人です」(松本さん)

 新潟ラーメンへの愛が溢れる二人を見ていると、全国のご当地ラーメンの中でも新潟が注目される理由がよくわかる。日本の誇りとして、全世界に地元の文化を広げていってもらいたい。(ラーメンライター・井手隊長)

○井手隊長(いでたいちょう)/大学3年生からラーメンの食べ歩きを始めて18年。当時からノートに感想を書きため、現在はブログやSNS、ネット番組で情報を発信。イベントMCやコンテストの審査員、コメンテーターとしてメディアにも出演する。AERAオンラインで「ラーメン名店クロニクル」を連載中。

※AERAオンライン限定記事

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