ホーム > mixiニュース > コラム > 瀬戸内寂聴との付き合いは人間修行? 横尾忠則が往復書簡で明かす

瀬戸内寂聴との付き合いは人間修行? 横尾忠則が往復書簡で明かす

17

2019年08月25日 17:00  AERA dot.

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

AERA dot.

写真瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)/1922年、徳島市生まれ。73年、平泉・中尊寺で得度。『場所』で野間文芸賞。著書多数。『源氏物語』を現代語訳。2006年文化勲章。17年度朝日賞。
瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)/1922年、徳島市生まれ。73年、平泉・中尊寺で得度。『場所』で野間文芸賞。著書多数。『源氏物語』を現代語訳。2006年文化勲章。17年度朝日賞。
 半世紀ほど前に出会った97歳と83歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。

【横尾忠則さんの写真はこちら】

■瀬戸内寂聴「平野啓一郎さんも『横尾さんはカッコいい』」

 ヨコオさん

 あなたに習って、片カナで呼びかけると、ピタッと息が定まりました。スポーツの試合の前の選手の始めの笛やドラの声のようなものです。

 この「往復書簡」が始って以来、半分老衰のせいか、頭がかすみかけていたのが、ピリッと冴えてきて、生きているのがまた愉しくなりました。

 編集部は、ふたりの「恋文」を期待していたらしく、そんな題をつけたがりましたが、私はきっぱりことわりました。そうでしょ? 横尾さんと私の仲には、男女の怪しい匂いはみじんもありません。横尾さんは昔から美人好みで浅丘ルリ子さんや富司純子さんなど、超美人たちが大好きで、彼女たちの顔ばかり描いていましたよね。その似顔絵の魅力のあったこと!

 今でも実物より魅力のある彼女たちのいきいきしたヨコオさんの絵がありありと思いだされます。

 はじめて逢ったのは朝日新聞の編集室でしたね。私は短いエッセイを、横尾さんはそのさし絵を依頼されました。新聞一面の場所を与えられたので、二人とも書きがいのある仕事でした。その帰り、新聞社の出してくれた車で一緒に帰りましたが、私は当時、目白台坂上のマンションに棲(す)んでいたので、先に車を降りましたね。ところがその短い時間に、横尾さんは亡くなった養母さまの箪笥(たんす)に、浮世絵の秘戯図がいっぱいためられていてびっくりした話をされました。母上をおよそ、おとなしい人柄で、生真面目な人とばかり想っていた横尾さんは、それを発見して思いがけないショックを受けたということでした。そうそう、その頃、私はまだ和服を着て、長い髪を頭のてっぺんにまとめていた時でした。私は横尾さんの話すことがすべて面白く、たちまちたどりついたマンションの前で、自分ひとり降りるのが惜しい気持でした。前の世では、同じ星の住人だったのではないかと思われるほど、はじめて逢ったのに気が楽で、話がいくらでもつづきそうでした。その予感は適中して、その後、半世紀近くも、わたしたちの友情はつづいています。そうそう、先日、平野啓一郎さんの『「カッコいい」とは何か』という本を読んでいたら、「カッコいい人」の例の第一に、横尾さんがあげられていて、思わず賛成の拍手をしましたよ。

 若い(といっても、もう平野さんは大家の風格になりましたが)平野さんも、私から見れば「カッコいい男」の先端に位置しています。

 平野さん一家と横尾さん一家と私とは、まるで血縁の親類のように仲がよく、それがすでに長年つづいています。私は平野さんも、横尾さんをおっかける天才組の一人だと信じています。カッコ悪いことを、中国では「不好看(ブーハオカン)」といいます。戦争中、私が嫁いでいた北京では、赤ん坊や小さな子供を、背負った日本人の若い母たちを、このことばで非難していました。あそこでは子供は西洋風に胸に抱きます。

 この手紙も最後まで「好看(ハオカン)」に進めたいものですね。

 そうそう朝日新聞のあの時の横尾さんのこの頁のさし絵は「エロすぎて」書き直しさせられましたよね。あれも、これも、はるか昔のこと!

 では、また。お元気で。

■横尾忠則「まなほ君も、いつか尼僧にでもなって」

 セトウチさん

 のことを声に出すとセトウッサンになります。この往復書簡がセトウチさんに生きる歓びを与えるのは嬉しいですね。セトウチさんと会ったのはお忘れでしょうが、四谷の小料理屋で、S酒造会社の一頁広告の対談だったのです。セトウチさんが一気に話されて、最後の最後に僕がワーッとしゃべったんですよ。車の中での養母の話は、死の床で彼女の身につけていた胴巻の中から汗でぐっしょり濡れた春画が四、五枚出てきた、という、ちょっと純文学的世界でしょ。

 それから平野さんの『「カッコいい」とは何か』は送ってくれたので僕も読みました。内容もカッコよかったです。60年代は三島さんがカッコいい男性No.1でした。三島さんは礼節に関して厳しかった。「君の絵は無礼だけれど、人間には礼節が必要だ。タテ糸が芸術だとするとヨコ糸は礼節だ。この二つの交点に霊性が生まれる」。そんな芸術論をコンコンと諭されたのも今は昔です。

 三島さんは地上で認められる芸術ではなく天上が認める芸術でなきゃダメだと言っているように聞こえました。霊性の高い芸術こそが天才の証明だと、自らは天に属する者であると自認していたように思います。天才の条件も色々ありますが、短命も天才の条件として、三島さんは「時間がない」と言いながら、早いこと死んじゃいましたね。

 若い頃、セトウチさんも三島さんにファンレターを書いていますよね。偉くなる人はファンレターにちゃんと返事を書くんですね。僕もエリザベス・テーラーにファンレターを出したら、僕の切手コレクションに役立てて! と世界各国のファンからの手紙にはってある切手をむしり取って、たくさん送ってくれましたよ。

 ところで、話変りますが、夏至の前後から毎日悪天候で、せっかくの一年で一番昼が長い時期が、一日中陽が照らない暗アーイ日が続いてせっかくの真夏気分がだいなしです。セトウチさんが以前、「東山にきれいなお月さんが出ているわよ、見てごらん」と東京に電話があったけれど、成城には東山もないし、あの日は東京は雨。そーいうことは文学では通じるんですかね。わからん話でした。

 また別の日、東京のセトウチさんのマンションの近くで火事があって、「ヨコオさん、紅蓮の炎が、夜空に舞って凄いわよ、見てごらん!」。ハイ、我が家からは見えません。

 こーいうセトウチさんは何んと呼べばいいんですかね。早トチリでもないし、あわてん坊でもないし、オッチョコチョイでもないし、相手を自己同一化しちゃうんですかね。文学者の脳髄と感性は、わかりまへんワ。

 セトウチさんといると、離れていてもそーですが、よくズッコケルことに出合います。秘書のまなほ君もセトウチさんの面倒を見るのは大変だと思います。そのことがすでに人間修行をしているとあきらめて、ガンバッテ下さい。僕もセトウチさんによって随分修行しました。お釈迦様も洞窟の中で瞑想するのではなく、世俗の見える所で修行することこそ悟りへの道だと言っています。まなほ君も釈迦道と諦めて、いつか尼僧にでもなって下さい。ほな、さいなら。

※週刊朝日  2019年8月30日号

このニュースに関するつぶやき

  • 人の道から外れたことをした生臭坊主が人の道を説くなんてもう世も末だ…そしてその生臭坊主の発言を信じるやつの神経を疑う。
    • イイネ!1
    • コメント 0件
  • そりやキチガイと付き合うほどの苦行は無いからな。死ねよ、反日生臭坊主。
    • イイネ!45
    • コメント 0件

つぶやき一覧へ(10件)

あなたにおすすめ

前日のランキングへ

ニュース設定