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ラグビー精神が釜石の震災復興を支えた! 「日本一の芝」と絶賛のスタジアムに詰められたある思い

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2019年08月26日 08:00  AERA dot.

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写真「北の鉄人」と呼ばれた新日鉄釜石のスタンドの名物だった大漁旗。入場時には10本の大漁旗が翻り、スタンドでは小旗が振られた(撮影/築田純)
「北の鉄人」と呼ばれた新日鉄釜石のスタンドの名物だった大漁旗。入場時には10本の大漁旗が翻り、スタンドでは小旗が振られた(撮影/築田純)
 海と山に囲まれた風光明媚な釜石の街を、東日本大震災で津波が襲った。あれから8年。復興への支えになったのは、地元に根付いたラグビーの魂だった。

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 キックオフの時刻が近づき、スタジアムは徐々に日本代表の「桜ジャージー」色に染まっていく。岩手県釜石市の任期付き職員としてワールドカップ開催の準備を進めている長田剛さん(36)は、メインスタンドの最上段からその様子を見つめていた。目には涙がにじむ。

「この日が来ると信じて、今日までやってきました。言葉ではうまく言い表せないですね」

 9月に日本で開幕するラグビーワールドカップ(W杯)の前哨戦となる国際試合(パシフィック・ネーションズ杯)が7月27日、釜石市で行われた。釜石鵜住居(うのすまい)復興スタジアムは、東日本大震災の津波で全壊した小中学校の跡地に立つ。

 釜石市は北太平洋を望む港町だ。東日本大震災による津波で1千人を超える死者・行方不明者が出た。その半数以上の約580人が、スタジアムが建った鵜住居地区で犠牲となった。W杯の釜石開催が決まった4年前には、スタジアムがないどころか、鉄道も道路も復旧していなかった。その場所に今、大勢の人が集い、笑顔で試合開始を待っている。

 長田さんは元ラグビー選手だ。トップリーグのワールドから2009年にクラブチーム「釜石シーウェイブス」に移籍して、選手やコーチとして9年間過ごした。17年にチームとの契約が終わると、奈良の実家に帰って家業を継ぐことも考えたが、釜石に残ることを決めた。

「震災後、とても練習ができる状況じゃなくてボランティアをしていたとき、市民の人たちから、『早くラグビーでまちを盛り上げて』と言われたんです」

「鉄と魚とラグビーのまち」と呼ばれる釜石。1985年には新日鉄釜石ラグビー部が日本選手権で7連覇を果たし、凱旋パレードでは2万人が押し寄せた。親会社の事業見直しに伴い、01年に「釜石シーウェイブス」に移行。トップリーグへの昇格もなかなか果たせずにいたが、釜石市民のラグビーへの思いはまだ続いていたのだ。長田さんは「心が震えた」という。

「ずっと僕らを応援して支えてくれた釜石に恩返しできていないままでは地元に帰れない」

 釜石市のラグビーワールドカップ2019推進室職員に応募。人口3万3千人の小さなまちで世界3大スポーツイベントの成功に向け、駆け回ってきた。

 W杯に3大会出場した経験があり、W杯のアンバサダーも務める桜庭吉彦さん(52、釜石シーウェイブスゼネラルマネージャー)は「釜石でのW杯開催は、普通なら考えられないこと」と言う。

「小さな規模のまちでのW杯開催は過去にもありますが、被災地でまっさらな状態からスタジアムをつくることはハードルが高く、被災した市民のみなさんの気持ちがW杯開催に向くのだろうかという難しさもある。私自身も地元の人間として、はじめは誘致に葛藤もありました」

 鵜住居復興スタジアムはW杯が開かれる12都市で唯一新設されたスタジアムだ。総工費は仮設部分を含め49億円。正面入り口をくぐると木の香りが漂う。トイレやラウンジや、座席には17年5月に同市の尾崎半島で起きた山林火災の被害木を活用した。そのほか、東京ドームや旧国立競技場、熊本市の陸上競技場から寄贈された「絆シート」で、常設の6千席とW杯のために追加した仮設の1万席のほとんどをまかなっている。

 芝は国内で初採用されたハイブリッド天然芝。表面は天然芝だが根の部分にコルクやマイクロファイバーが敷かれ、完全天然芝ほど維持管理が難しくなくコンディションを保てるという。日本代表のリーチ・マイケル主将も「フラットでボコボコがない。日本一の芝」と絶賛した。

「それにこのスタジアムには震災を経験し、立ち上がろうとする釜石のみんなの思いが詰まっている。もし僕が選手だったら、ここでの戦いは一つひとつのプレーが変わる」(長田さん)

 その言葉通り、このスタジアムは日本代表に力を与えた。格上のフィジーを破った後、リーチ主将は「釜石の力がモチベーションとなり、(東日本大震災で)亡くなった方やサポートする方がたくさんいる中で勝利を届けられて良かった」と語った。

 スタジアムから1キロほど離れた海辺に立つ老舗旅館「宝来館」の女将、岩崎昭子さん(63)は目を細める。

「W杯が近づいて、復興が急ピッチで進み、ようやくまちらしい雰囲気になってきました」

 今年3月には内陸部と沿岸部とを結ぶ釜石自動車道が全線開通し、不通だったJR山田線も三陸鉄道に移管されて復旧した。整地された区画には次々に新しい家が建ち、スーパーなどが入る商業施設も建設中だ。

 津波にのまれたが、奇跡的に助かった岩崎さんは、「復興も大事だけど夢が必要」とW杯招致を訴え続けた。

 今年3月にできたスタジアム最寄りの鵜住居駅の新駅舎に釜石東中学校の生徒たちが「トライステーション」と愛称をつけたとき、岩崎さんは誘致して本当に良かったと思ったという。

「スタジアム建設にはお金もかかるし、家族を亡くしてW杯誘致に複雑な思いを持っていた人もいる。鵜住居には震災遺児も多い。それでもやっぱりラグビーは子どもたちに希望を与えてくれたんだ、と思えたんです」

 新日鉄釜石の黄金時代、製鉄所の高炉が閉鎖されていった。

「この先どうなるんだろうという不安の中で、勝ち続けるラグビーだけが唯一の希望でした。今回も、震災でほとんど流されてしまった鵜住居が、たくさんの人が集う場所に変わったのはラグビーのおかげです」

 岩崎さんは続ける。

「ここで起きたことをちゃんと知っていただきたい。ただ悲しいだけの場所ではないということも」

鵜住居地区の被害は甚大だったが、海から500メートルほどの場所に位置する鵜住居小学校と釜石東中学校では、在校していた約600人が防災教育のおかげで各自高台を目指し、一人の犠牲者も出さなかった。「釜石の奇跡」と伝えられている。

 鵜住居駅前に今年3月にオープンした津波伝承施設「いのちをつなぐ未来館」でガイドを務める菊池のどかさん(24)は震災当時、釜石東中3年だった。防災を担当する整美委員会の委員長を務め、その取り組みが評価されて震災前に全国表彰を受けたこともあった。

 揺れを感じるとすぐに避難した。最初の避難場所は低地で津波が来るかもしれないと、もっと高い場所を目指し、助かった。日ごろから、津波を想定した避難訓練を繰り返し、地域の地形などを把握していたことが命を守ることにつながった。「いのちをつなぐ未来館」はW杯会場近くにあり、多くの人が訪れることが予想される。

「震災で起きたことを知ってもらうのはもちろんですが、震災が起こる前に取り組むことが大事だということも知ってもらえたらうれしいです」

 スタジアムに1万3千人を超える観客が訪れた日、釜石高校3年の洞口留伊(るい)さん(17)は会場近くで来場した人に声を掛け、写真や動画を撮っていた。

「震災後に支援してくれた世界中の人たちに、元気になった釜石の姿を見せて感謝を伝えたいと思ったんです」

 同じ思いを持った仲間と「釜石7.27高校生感謝プロジェクト」を立ち上げ、6月下旬から高校生のメッセージ動画を撮影し、インスタグラムやフェイスブックなどSNSで世界に向けて発信してきた。これまでに約200人が参加したという。また、スタジアムまでのアクセス方法を紹介する動画も撮影し、ユーチューブで紹介している。

 震災当時は鵜住居小学校の3年生。算数の授業を受けていた。山へ逃げて命は助かったが、自宅は津波で流された。

「ランドセルも筆記用具も流されて何もなくなったときに、世界中からいろんな支援をしてもらって本当にありがたかった」

 スタジアムが完成した昨年、こけら落としのイベントで、キックオフ宣言の大役を担った。「私は釜石が好きだ」で始まる印象的なスピーチでは、市のラグビー親善大使に応募して15年のW杯イングランド大会に観戦に行った際に知ったノーサイド精神に感銘を受けた話も盛り込み、最後は英語で、世界へ向けて感謝を伝えた。

 釜石ではW杯の2試合が予定されていて、9月25日にフィジー対ウルグアイ戦、10月13日にナミビア対カナダ戦が行われる。(編集部・深澤友紀)

※AERA 2019年8月26日号より抜粋

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