トム・ヨークは、今何を表現しているのか 『フジロック』でみせた現代に息づく音楽性

0

2019年08月26日 10:21  リアルサウンド

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

リアルサウンド

トム・ヨーク『ANIMA』

 私はトム・ヨークの最新作『ANIMA』のライナーノーツを書かせてもらった。その中で本作の政治性について言及した箇所があるのだが、そこで引用したインタビューで、トムは本作がディストピア的な雰囲気に支配されていることを認めている。「僕たちの世代は諦めてしまったから。非常識なやつらに主導権を渡してしまって、でも正しいことをしてくれるだろうと思いこんでいたのさ」と、今の間違った社会体制を作り上げてしまった責任の一端は自分たちの世代にあるとし、「でも僕の子供たち若い世代は、街で抗議し、政治に関与するということがどれだけ重要かということを認識しているんだ。素晴らしいことだ」と語っている。


(関連:トム・ヨーク、初の映画音楽作品『サスペリア』に浮かぶ音楽的野心 宇野維正が解説


 この発言を今の日本に住む我々にも通じると感じた私は、「200万人もの香港市民が<逃亡犯条例改正>に反対してデモを行い、香港警察の激しい弾圧に遭いながらも抗議をやめず、条例改正案が撤回に追い込まれるかもしれない、そんな風景を思い起こしてしまう」と書き、同時に本作に対して「自分の子供たちに、香港の若者たちに抱いたように、希望も持っている。絶望や落胆だけでは終わらせないという強い意思を感じる」と続けた。これを書いたのは6月の半ばだったが、まさかそれから2カ月以上もの時間が経過しても香港の事態は収束するどころかまずます深刻化しているという状況に慄然とする。もちろん香港デモの件を持ち出したのは私の勝手な妄想でトムのあずかり知らぬことだが、ライナーノーツをチェックしたトムが、この部分に特に修正を施すこともなくそのまま掲載を許可したことからも、そう的外れではなかったと思っている(ちなみに洋楽ライナーをアーティスト本人が事前チェックすることは滅多にない。私の最近の経験では、トムとサーストン・ムーアぐらい)。つまり本作は単なる音楽作品の域にとどまらず、現在進行形の政治状況とも深く共振しながらリアルに息づくアクチュアリティを有している。彼が常々、現在の英国保守党政権への激しい批判を繰り返し、ブレグジット(イングランドのEU離脱)問題や環境問題についても積極的に言及しているのはよく知られている。最近でも保守党の政治家ボリス・ジョンソンが保守党党首選に勝利して英国の次期首相になることが決定したことに、強い不快感を表している。直裁に政治的な話題を描くことはせず歌詞は抽象化されているが、本作はそうした彼の危機感や不安感を反映しているのだ。トムは別のインタビューで「これまでは政治的な音楽なんて作りたくなかったが、今やっているのはそういうものだ」と語っている。現在の英国を取り巻く政治情勢への危機感に駆られ、政治的な作品を作らずにはいられなかったのだ。


 Radioheadでも、9.11以降の社会情勢への危機感を反映した『Hail To The Thief』のような作品があるが、いずれにしろトムのような名実ともにトップにいる影響力の大きな音楽家が、「政治的な作品を作った」と言明し、そうした発言、それもかなり踏み込んだ為政者批判をも厭わないのは、「音楽に政治を持ち込むな」などという意見がまかり通り、その声に音楽家が萎縮してしまい、政治的な発言をしたり政治的なテーマを音楽で扱うことをためらってしまう日本のような国では考えにくいだろう。「Impossible Knots」での、〈I’ll be ready(覚悟はできている)〉というフレーズの執拗な反復は、トムが現実社会の軋轢や政治的葛藤・闘争の中で、今後積極的に発言・表現していくことをやめない、という決意表明にも聞こえる。


 『ANIMA』のリリース直後には、トムがプロデューサーのナイジェル・ゴッドリッジやビジュアルアーティストのタリック・バリと組んだTOMORROW’S MODERN BOXES名義のライブが『FUJI ROCK FESTIVAL』で行われた。前回の『SUMMER SONIC』での同名義のライブよりはるかに良かったというのが私の率直な感想で、圧巻としか言いようがない凄まじいライブだった。その幽玄にして空間的な広がりをもったエクスペリメンタルなドローンアンビエントエレクトロニカと幻想的なビジュアルの融合が織りなす世界は溜息が出るほど美しかったが、同じ日の夕方にやったジャネール・モネイのライブとはいろいろな意味で一見、対照的にも見えた。ジャネールは、女性、黒人、LGBTQI、労働者、障害者、移民など、さまざまなマイノリティや被抑圧者たちへの共感とポジティブなメッセージを打ち出し、セット、照明、映像、そしてパフォーマンスすべてを使ってエンターテインメント性たっぷりに伝えていた。そのメッセージは娯楽という包装をまとってはいるが、今こそ伝えるべき緊急性の高いものだった。それに対してトムの表現はエンターテインメントというよりアートフォームであり、ポップミュージックのせわしない流れとは隔絶したところで鳴っているようにも思えた。平たく言えばジャネールは「今この時に見なければならない」旬のアーティストであると思わせたが、トムはいつ、どこで聞いても変わりないように聞こえる。


 だが実はそうしたアート性の高い表現であっても、トムの音楽は決して浮世離れした高踏的なアートフォームなどではなく、アクチュアルな政治的課題や社会性に裏打ちされることで、現代に息づく表現としてしっかりと力強く機能している。それはライブを見ることでよりはっきりとわかった。ともすれば彼のやるような音楽は実験のための実験、手段が目的化したようなものになりがちだ。それはそれで興味深く意義深いものとなる場合もあるだろうが、トムはそう考えなかったのだろう。


 『ANIMA』発表後も、Red Hot Chili Peppersのフリーと共演した新曲「Daily Battles」をいち早く発表するなど、トムの創作意欲は衰えを見せない。デヴィッド・ボウイは昔「ロックンロールで二度新しいことを言うのは難しい」と言った。かつて『Kid A』という革新的な作品でシーンに衝撃を与えたRadiohead/トム・ヨークも、同じジレンマに陥る危険性は常に孕んでいる。かつて革命だったものも、いつかは日常になる。だが現実の政治や社会という重しをくくりつけることで、トムの表現はますますリアルに研ぎ澄まされているのである。(小野島大)


    ニュース設定