カレー沢薫の時流漂流 第57回 「アンパンマン」 vs 「現実と虚構の区別をつけさせる教育」の行方

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2019年08月26日 11:42  マイナビニュース

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「アンパンチ」という暴力で物事を解決する「アンパンマン」は子どもに悪影響では、と心配する親がいるというニュースが話題となった。

ご存知と思うが、アンパンマンとは「アンパンマンを通らない幼児はレア」と言われるほどの何十年も続く人気幼児向けアニメである。

幼児がいる親と話す時、「今アンパンマンか?」と聞くと、「いや、まだだね」とか「もう卒業」とか「うちは強火のしまじろう派で」など、何らか返事が返ってくる。もはや「アンパンマン」は子どもがいる家庭の共通言語と言って良い。

そしてこちらもご存知かと思うが、その内容は毎回「悪事を働いたバイキンマンをアンパンマンがアンパンチでぶっ飛ばして終わる」というものである。つまりほぼ毎回「暴力で解決」なのだ。

しかし、未だかつてアンパンマンが傷害で罪に問われている回は見たことがない。アンパンマンの世界にもほとんど機能していないがサツがいたはずである。何故アンパンマンが治外法権かというと、アンパンマンは正義の味方で、バイキンマンは悪者だからだ。

よって子どもが、相手が悪人なら正義の名の元に何をしても良いという「ツイッターで良くある構図」を学んでしまうのでは、という危惧を親はしているのだ。

もしかしたら、ツイッターの正義の人は全員アンパンマンキッズなのかもしれないと思ったが、アンパンマンで、「顔を隠した集団がバイキンマンをボコっている」回は見たことがないので、おそれらくそれはまた別の話だ。

○勧善懲悪は根源的エンタメなのだが……

相手がいかなる悪人で、どれだけ我に正義があっても、暴力で解決してはいけない。倫理的、法律的には確かにそうなのである。

しかし、我々の中に個人差はあれ「暴力による勧善懲悪にカタルシスを感じる心」があるのは紛れもない事実だ。水戸黄門や暴れん坊将軍のように、圧倒的権力と力がある人間が正義の名の元に悪を暴力で懲らしめ、社会的制裁もきっちり加えるという構図に、我々、地位も力もついでに金もない人間は「ッカーー!」となってきたのである。

もし、暴れん坊将軍が暴れることなく、説教だけで「あとは任せるわ」と悪人を役人に引き渡したら「ええー…?」となってしまうだろう。倫理や法律上はどうあれ、我々は「悪人はともかくボコられてほしい」と少なからず思っているのだ

しかし、現実でそれは許されない。つまり「俺たちにできないことをやってのける、そこに痺れる憧れる」である。現実では出来ないこと、やってはいけないことをフィクションで昇華しているのだ。

アンパンマンも典型的「そういったエンタメ」の一つである。アンパンマンがアンパンチでバイキンマンをぶっ飛ばすのはいわゆる「見せ場」であり、水戸黄門で言えば「懲らしめてやりなさい!からの〜印籠!」に相当する。視聴者の勧善懲悪カタルシスを高めるための「演出」なのである。

アンパンマンも、バイキンマンを言論で諭すことは可能であろう。しかしフィクションでは、倫理的、教育的に正しくすることで「エンタメ的に面白くなくなる」という弊害が時に起こる。アンパンマンがバイキンマンを毎回理屈で詰める話で、戦うシーンが一切なかったら、アンパンマンがこれだけ長らく幼児の娯楽として君臨し続けたかはナゾである。

つまり、アンパンマンを「教育アニメ」にカテゴライズしたら、それは間違っているだろうが、「娯楽アニメ」としては、非常にわかりやすく面白い作品なのである。
○虚構は虚構と見分けられない人に、アンパンマンは難しい

しかし、やはり問題は「子どもが見る」という点である。

大人は、フィクションで悪役がハチャメチャにやられるのを見て気分爽快オロナミンCになりながらも「現実でこれはやってはいけないこと」と理解している。たまに理解出来ていない、巨大な幼児もいるが、基本的に現実と虚構の区別がついている、という前提である。

しかし、アンパンマン世代の子どもはまず「テレビに人は入っていない」ということを理解することから始まる。よって、大人よりずっとテレビ内で行われることを真に受けてしまう可能性がある。

アンパンマンの影響で、アンパンチで全ての物事を解決しようとしたり、頭部を着脱しようとしたりする幼児が現れないとも限らない。仮にアンパンマンを見せない、という方針にしても、暴力で解決するフィクションというのは山ほどあるし、頭を着脱しる作品にも、いつかは出会ってしまうだろう。

よって、アンパンマンを見せるにしろ見せないにしろ、重要なのは「フィクションと現実は違う」ということを、周囲の大人が教えることである。

何故、フィクションなら許されるのかと聞かれたら「現実でやらないために、無力な俺たちはフィクションでスカっとして、ままならぬ現実を生きていくのだ」というフィクションの正しいあり方を説明すべきだろう。

大人になっても「アンパンチ」したい時はいくらでもある。だが現実ではダメなので、画面の中のアンパンチ的な物を見て満足しているのだ。

アンパンマンだけではなく、凶悪事件が起きる度に、犯人の部屋にアニメやゲームがあったことが取りざたされ、「暴力アニメやゲームの影響」という声が出る。仮に影響があったとしても、多くの人が影響なく遊んでいるのだ。つまりそれが原因での規制というのは「現実と虚構の区別がつかない人」のために、「区別をつけて楽しんでいる人」が我慢するということである。

規制やゾーニングも必要だが、まず「現実と虚構の区別をつけさせる教育」がされてないと、見る人間は見るし、影響を受ける人間は何歳でも受けるのである。(カレー沢薫)
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