「ロング・ウェイ・ノース」物語のキーワードは“封印を解く”【藤津亮太のアニメの門V 第50回】

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2019年09月13日 19:13  アニメ!アニメ!

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原稿後半で『ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん』の重要な部分に触れています。
2016年にTAAF(東京アニメアワードフェスティバル)でグランプリを受賞し、正式公開が待ち望まれていた映画『ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん』がついに公開となった。
輪郭線のないシンプルな絵柄で描き出されるのは、19世紀のロシアで、北極圏に消えた祖父の行方を追う少女サーシャの冒険譚だ。

サーシャの祖父オルキンは、ロシア海軍の探検家として北極点を目指し出発した。だがオルキンは再び帰ってくることはなく、捜索を行ってもその乗船ダバイ号も発見することはできなかった
その1年後、祖父の冒険心を受け継いだ孫娘サーシャは、オルキンの部屋で彼が残した航路のメモを発見する。
そのメモによれば、ダバイ号は予想と異なる別ルートをとっていたのだ。だから捜索でもダバイ号は発見されなかったのだ。

その夜の舞踏会で、サーシャはトムスキー王子にその旨を告げて、再度捜索を行うように訴える。
だがオルキンによい感情を持っていないトムスキー王子は、それを拒絶する。王子に対する無礼な態度を父に叱責されたサーシャは、祖父の行方とダバイ号を探す決意を固め、単身家を飛び出していく。

既に各所で指摘がされている通り、本作の大きな魅力のひとつは、そのビジュアルだ。
キャラクターも背景も、色面を中心に構成されたシンプルなスタイルで描かれており、1枚のイラストのような統一感がある。
しかも、それが単にビジュアルとして美しいというだけでなく、色彩設計と連動してちゃんとドラマを表現する上で効果的に働いているところが素晴らしい。

たとえば序盤のサンクトペテルブルクのシーンでは、光と影を印象的に使ったカットが多い。シンプルな色面の構成だからこそ、影が印象に残り、その場の光や空間感を生み出すのである。

また色面で構成されているからこそ色合いを丁寧にコントロールすることで、繊細なニュアンスの光を表現して、そのシーンの雰囲気をずばりと伝えることもできる。
サーシャがオルキンの部屋に入るシーンでは、遅い夕暮れという時間帯を踏まえて、薄い青が印象的に使われており、今起きていることが、神秘的で重大なことであるということを、その雰囲気で伝えていた。

また北極圏に到達してからは、日陰の中のキャラクターの彩度低めでローコントラストな色調と、光があたって彩度が高い空や雲の色合いが対照的に構成されて、空の高さや北極圏の広さを実感できるようになっていた。

アニメーションとしての魅力は、こうした画調だけにとどまるものではない。
たとえば、本作はキャラクターの表情演技がとても繊細で、短時間でそのキャラクターを印象づけることに成功している。
特に憎まれ役のトムスキー王子や、ノルゲ号の船長であるルンドといった“助演陣”がみせる、ちょっとした眉毛の上げ下げや瞳の動きなどが非常に効果的で、少ないセリフを補ってあまりある感情を感じさせてくれる。

ではそのような映像で語られた本作はどのような物語なのか。それは、ひとことでいうとサーシャがさまざまなものの封印を解いていく物語といえる。

映画の開巻早々、サーシャはロシア科学アカデミーに赴き、準備中のオルキンの名前を冠した図書館に入りこむ。
そこにはオルキンの彫像も飾られている。それはオルキンを称えるという側面もあるが、同時に北極点を目指した探検が「済んだこと」として“封印”されるということでもある。

さらにトムスキー王子も現れて、オルキンに批判的なことを口にする。
素直に祖父の名前が図書館に冠されることを喜んでいたサーシャだが、完結していないオルキンの探検を「済んだこと」として“封印”しようとすることへの抵抗として、サーシャの冒険は始まるのである。

しかし図書館のシーンではまだサーシャはまだ自分が何を志しているのか自覚には至っていない。
転機となるのは、サーシャがオルキンの部屋に入るシーンだ。子供時代に自分が身につけていたイヤリングを探し、長らく人が立ち入っていなかったオルキンの部屋に足を踏み入れるサーシャ。胸像の陰から鍵を出して扉を開く行為はまさに「封印を解く」ことにほかならない。
サーシャはそこで真の航路が書かれたメモを見つけ出す。そしてこのメモが彼女を北に向かう旅へと誘うことになる。

真の航路を記したメモを見つけたことでサーシャは、もうひとつの封印も解くことになる。
その封印とは、彼女自身を縛っている「貴族の娘」という枷である。社交界デビューして舞踏会に出るようになったら、次は良縁を得ることが求められるという「貴族の娘」の人生。

舞踏会でトムスキー王子を怒らせた翌日、彼女が姿を見せる自宅の温室はまるで牢獄のようだ。序盤にはそれ以外にも、窓や扉がサーシャを閉じ込めているように描かれるシーンが存在する。

そうした観点から考えると、航路のメモを見つけるきっかけが、強い風がドアをこじ開けて吹き込んできたこと、というのは象徴的だ。
その風はきっと“北”から吹いてきたのだろう。北からの風に誘われたサーシャは、今度は自分から扉をあけて、自宅を後にするのである。

そうして始まったサーシャの旅は、端的な描写を積み重ねて、決して長い尺ではないにもかかわらず奥行きを感じられる出来栄えだ。
例えばサーシャが働くようになる食堂の女主人オルガとの関係の変化、あるいはノルゲ号のクルーであるラルソンやカッチとサーシャの距離感の描き方。
本作が、約80分という短めの尺ながら物足りなくないのは、こうしたひとつひとつのエピソードが過不足なく的確に描かれているからだ。
→次のページ:物語の核心に触れています

そしてサーシャはついに北極圏に到達することができる。
だがここまで来るのに使ったノルゲ号は沈没してしまう。生還するにはどうしてもダバイ号を見つけなくてはならない。だがダバイ号は見つからない。

そして、吹雪に見舞われたサーシャは失った意識の中で、、氷像のようになったオルキンと出会う。
オルキンは語らないが、その側には、オルキンが冒険を記録し、サーシャがいつの日か読むことを願った日記が残されていた。そして氷像のオルキンは黄泉の国へと去っていく。

サーシャが手にした日記は、氷漬けになっており、彼女がページを開くと表面から氷の欠片がパラパラとこぼれ落ちる。この時、サーシャはオルキンの日記の封印を解いたのだ。
そしてその日記の中には、ダバイ号を残した位置と、オルキンが北極点に達していたということが記されていた。そして、日記の記述通り氷漬けになったダバイ号も発見され、ダバイ号の“封印”もまた解かれるのだった。

かくしてサーシャは、自分自身を含め、さまざまな封印を解いていくことで、そのまま封印されそうになっていたオルキンの北極探検を完結させることができたのである。

ちなみに史実を調べると、ちょうどこの作品の舞台と前後する1870年代から1890年代にかけてさまざまな探検家が北極点踏破に挑戦していることがわかる。
しかし、なかなか成功はしていない。20世紀初頭になってようやく「北極点到達」の報告が出てくるが、検証するとどうも到達していないようだったりする。飛行船など空路ではなく陸路での到達成功ととなると、1960年代を待たなくてはならない。

映画はオルキンが北極点に立てた小さな黄色い旗(ロシアの帝国旗は黒黄白の三色旗なので、この旗は正確な意味では帝国旗ではない)が風で吹き飛ばされていくカットで終わる。
これは史実との整合性をとったようにも見えるし、ロシアという国がやがて革命の嵐の中に消えていくという意味合いに見えなくもない。
あるいはサーシャとオルキンのこの物語は、歴史の中に紛れてやがて忘れられていく稗史であるという解釈も可能だろう。

サーシャは序盤で、オルキンはロシア国旗を北極に立てることにこだわっていた、と語る。
だが、それはおそらく建前だったのだろう。それはオルキンが日記を残したのはサーシャだったことからもわかる。
そして、必死の思い出到達した北極点に立てたのも、大きな旗ではなく、ほんの小さな旗だった。それは、サーシャがまだ幼い頃、北極に見立てた雪の山の上にオルキンが立てた旗と同じものだ。

こうしてみると、黄色の旗が正式な帝国旗でないことを考えに入れなくても、オルキンの動機は(最終的には)とても個人的なものへと収束していたと考えられる。

そして「北極点に立った小さな旗」は、オルキンとサーシャという2人の思い出の中にだけ永遠に立ち続けるのである。

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