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小熊英二が日本の30年を総括 何が変わり、何が変わらなかったのか?

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2019年09月14日 17:00  AERA dot.

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写真日本社会は激変したというイメージとは裏腹に、「変わらなかったこともある」と語る小熊教授=2019年8月9日、ブックファースト新宿店
日本社会は激変したというイメージとは裏腹に、「変わらなかったこともある」と語る小熊教授=2019年8月9日、ブックファースト新宿店
 歴史社会学者の小熊英二・慶応大学教授が、4カ月連続の著書刊行を記念し、講演会を開催。著書『日本社会のしくみ』(講談社現代新書)や『私たちの国で起きていること』(朝日新書)で書かれたことを中心に日本の30年について話した小熊教授。今、ノリにノッてる小熊教授の“生トーク”を聴こうと満員の会場は熱気に包まれた。講演会の様子を特別に公開する。

【正規・非正規・自営業の推移グラフはこちら】

*  *  *
 どうもみなさん、おいでいただきましてありがとうございます。小熊英二です。「30年で変わったこと、変わらなかったこと」というお題をいただきました。最初は、日本社会はどのような人々によって、どのような生き方で構成されていたのかについて3類型で説明します。後半は、日本社会の変化が政治にどう影響しているのかについて話します。

『日本社会のしくみ』では、日本社会を「大企業型」「地元型」「残余型」という3つの生き方を仮定して分析します。大企業型という生き方は、中堅以上の企業に新卒で採用され、定年まで勤める生き方です。安定した雇用と比較的高い賃金が保障されていますが、大卒者が多く、都市部に住んでいることが多いので、教育と住宅ローンにお金がかかります。正社員で雇われた人だと厚生年金をもらえます。厚生労働省のモデルによると、夫が40年以上、中堅以上の企業に勤め、妻が専業主婦であった場合、月額22万円です。これが総務省の家計調査にある高齢無職2人世帯の月額支出27万円に比べると、月5万円少ない。5万円×12カ月で年60万円、それが95歳までの30年間だと約2000万円の貯金が必要だ、といって大騒ぎになりました。

 そもそも、厚生年金の支給額は1973年に現役世帯の60%をめどとしました。73年時点の男性の平均寿命は71歳。だいたいそのぐらいで死ぬということを前提に制度設計していたのですが、95歳まで生きるとなると問題が生じます。

 試算するのは大変難しいのですが、大企業型は2017年に国民の約26%と私は推計しています。国民の約4分の1です。それ以外の人たちはどうしていたのかというと、自営業とか農林水産業とか地元の小企業などで働いていた。これが2番目の「地元型」です。

 所得が高くなくても、持ち家があり地域に定住していれば、隣近所から野菜やお米をわけてもらったり、子どもの世話を頼めたりで現金支出は少なくて済む。国民年金は20〜60歳まで毎月保険料を納めたとしても受給額は6万円台です。夫婦2人で12万円。平均ではもっと少ないでしょう。都市部であれば月6万円では生きていけません。ただ、今言ったように持ち家や畑があり、食糧を隣近所からわけてもらえたり、長男夫婦が同居したりというモデルであれば、月6万円でも暮らせると考えることは可能です。国民年金は1950年代末に作られた制度でしたが、もともと自営業者は年をとっても働くのが前提の制度で、いわば「あくまで補助」という認識でした。

 こういう制度的な枠組みのなかでは、持ち家と地域の相互扶助がある「地元型」でもなく、安定した雇用と収入がある「大企業型」でもない人は、貧困に陥る可能性が高い。これが3番目の「残余型」です。私の試算では、「大企業型」が26%、「地元型」が36%くらいで、単純計算では「残余型」が残りの約4割と考えられます。

 残余型の所得はおそらく平均的に低いだろうと思います。ただ全員が低いかといえば必ずしもそうではない。ベンチャービジネスや小企業の社長で、安定はしていないが相当な収入があるという人もいるかもしれません。いろいろな人がいます。とはいえ、概して年金は低いだろうし、国民年金であることが多く、持ち家のない人もいるでしょう。となると、残余型は大企業型と地元型の双方のマイナス面を抱え込んでしまうことになる。国民年金で月5、6万円、持ち家なし、地域ネットワークがなくて、支出も多い――これではとても生きていけません。この人たちは、日本の制度の想定外だった人びとと言えます。

■正社員の割合は減っていない

 過去35年間を見ると、実は、「大企業型」は減っていないことがわかります。俗に、非正規雇用の比率が4割近くになったと言われるのは、正社員が減ったからではなく、労働者全体の中に占める非正規雇用の人が増えたということです。非正規雇用が増えて、その比率が上がっているのは事実ですが、正社員が減っているというのは必ずしも正しくありません。マクロ的にみると、正規従業員はバブル期に増えてそのぶんが2000年代前半に減りましたが、差し引きでいうと1980年代からほとんど変わっていません。

 では非正規雇用が増えたぶん、どこが減っているのかというと、自営業と家族従業者です。自営業が成り立たなくなって非正規雇用が増えている。これが30年間の一番大きな社会的変化の一つだと私は見ています。極端なことを言うと、上の方は安定していて下の方がどんどん不安定化している。これは、所得が低くとも地域の相互扶助がある「地元型」が減り、孤立した状態で所得が低い「残余型」が増えている傾向であるかもしれません。だとすると、社会全体にとって相当不安定なことが起きる可能性があります。

 つまり、正社員は1980年代から総数が変わっていない。正社員のなかでも恵まれた層である「大企業型」の比率も、全就業者の26%前後で、これも1980年代から変わっていない。これが30年間で変わらなかった部分です。

 一方で自営業が減り、地方でも都市部でも地域社会が衰退し、非正規雇用が増えている。そしておそらく、所得が同じ程度であったとしても、地域や家族の相互扶助がないぶん、貧困に陥りやすい人が増えている。これが30年間で変わった部分です。

 30年前でも、終身雇用で右肩上がりの収入のあった人は上層の2割か3割で、社会の多数派ではなかった。30年前にくらべて社会が不安定になったとすれば、上の2割か3割が減ったからではなく、下の7割の内実が、自営業から非正規雇用に変化してきたからだといえます。

■日本の高齢者は昔から働いていた

 さきほど言ったように、夫が中堅以上の大企業に40年勤め、年収514万円をキープし続けた場合、夫婦2人で月22万円です。この人たちが95歳まで生きるためには2000万円が必要だというのであれば、「大企業型」の26%以外の人たちはどうなるのか。もちろん7割以上の人たちはもっと働かなきゃいけない。

 とはいえ、これは今に始まったことではなく、日本の高齢者は昔から働いていた。国民年金だけで生きていけないのは、昔も今も変わりません。ただし、昔は自営業で働く人が多かった。農業や自営商店に定年はないので、日本の高齢者労働力率は昔から高く、働く高齢者は決してめずらしい存在ではなかった。

 ところが現在、自営業が減ってきている。ということは、おそらく非正規雇用の高齢者が増えていると想定されます。農地があって持ち家があれば、国民年金でもやっていけます。しかし、借家で非正規雇用の高齢者は、国民年金では貧困に陥りやすくなります。

 1970年代後半に一億層中流と言われた時代でも、国民の多数派が大企業正社員だったわけではありません。1億総中流でなくなった、というのは3割程度の大企業正社員の雇用が揺らいだからではなく、残りの7割を支えていた「地元型」の安定性が減ってきたためだと考えられます。

■人口減には必然的な理由がある

 ここから先は、『地域をまわって考えたこと』(東京書籍)に書いたことに沿って話します。

 いろいろな地域を回って考えたのは、「必然性があるから人がいた」ということです。貧しいのを我慢して、ただ愛郷心だけでその地域にとどまっていたのではない。どこの地域でも、ヒトとモノとカネの流れがあり、そこに人が住む必然性がある地域には人が集まり、必然性のない地域は人が減る。これは洋の東西を問いません。

 ではなぜ、かつての日本では、地方の人口が多かったのか。じつは自治体の出しているデータをみると、1945年から人口が急増して、55年までが人口のピークという農山村が多い。これは戦争で都市部の産業が壊滅し、食料がなくなって、農山村に人口が移動したからです。1950年代初めまでは、都市部より農山村の方が食料に困らず豊かだった。

 そして55年ぐらいから都市部の復興が起き、食糧難が解決されたことで、農山村では一気に人口が減っていく。ただしその減り方は、敗戦後に増えたぶんがもとに戻ったという程度です。つまりかつての農山村に人口が多かったのは、戦争とそれに伴う疎開があったからというのが一つの理由です。

 もう一つ、戦争中は外交関係が途絶しているから貿易ができませんでした。敗戦後の占領下で貿易は占領軍の管轄下で自由ではありませんでした。1951年にサンフランシスコ講和条約を結び、国際社会に復帰して、1955年にはGATT(関税及び貿易に関する一般協定)に日本も加わることができるようになったのですが、60年代前半までは貿易制限が多かった。

 そのため、いろいろなものを国内で調達するよりほかなかった。戦前、中国から輸入していた鉄鉱石や銅は、敗戦後の時期は、国内鉱山で賄っています。日本の炭鉱業も敗戦から1950年代がピークでした。

 木材価格が非常に高かった時期でもあり、林業も1950年代には盛んでした。木材輸入ができなかったうえ、戦災復興や高度成長のために木材需要が高まったからです。この時代は、「丸太1本切り出せば1カ月遊んで暮らせる」という話さえあったといいます。いま地域をめぐると杉林だらけなのは、こういう敗戦直後から1950年代までに、山の雑木林を切って植えたことが一因です。こういう時代に、鉱山町や農山村の人口が多かったのは、ある意味で当然です。

 ほかにも、かつては人口が多くて、いまは過疎地になっている地域には、昔の交通要衝地があります。たとえば江戸時代の街道には、一日歩いて着ける場所ごとに、宿場町がありました。また鉄道や自動車が発達する前は、海運が中心だったので、海運拠点として栄えた地域もありました。しかしそういう地域は、現在では人口が減っています。

 人口配置の歴史を見ると、農山村は50年代半ばに人口ピークを迎えた所が多いことがわかります。高度成長期に人口が急激に都市部に移動しますが、1973年の石油ショックで都市部が不況になり、人口移動の流れが止まります。地方に公共事業で仕事が増えたこともあり、1979年には「地方の時代」という言葉がはやりました。地方都市は、80年前後が人口がピークのところが多いようです。NHK連続テレビ小説「あまちゃん」の設定は80年代前半です。あれは、その時期が人口ピークだった地域の物語なのかもしれません。

 それからバブル期にはまた都市部への移動が多くなり、バブルが終わるとまた人口移動が止まります。しかし90年代後半になると、景気の良しあしにかかわらず、都市部への人口移動が定常化します。それは先に述べたように、自営業が急激に減って、非正規雇用が増えてきた時期と重なります。地域社会のあり方、地域に定住するという意味そのものが、変質してきた時期ともいえるかもしれません。

 さらに2000年代になると、地域によっては人口減が顕著になり、「ゆるキャラ」とか「B級グルメ」といった過疎化対策がブームになっていきます。公共事業に対する視線が厳しくなり、実際に予算も削られていた時期で、昔とは違う地域振興が模索されていた時期でもありました。

 こうみてくると、かつては地域には理由があって人が住んでいたのであって、いまはその理由がなくなったから人が減っている、という側面があるのがわかります。だからといって、戦争と食糧難と貿易制限の時代に戻るというわけにもいきません。地域振興ということを考える場合には、「かつてその地域にはなぜ人が多かったのか」を考え、さらに「その地域が現代においてどんな新しい役割やポジションを担えるのか」を考え直すといった視点が必要かもしれません。

 なお、地方移住がブームといわれます。その総数はわからない部分も多いのですが、2009年から2014年にかけて地方移住者が4倍に増えたという調査があります(毎日新聞・NHK・明治大学地域ガバナナンス論研究室)。注目すべき流れですが、この調査によれば2014年度で総数1万1735人ですから、1億人レベルの人口問題を解決するというような数ではありません。

 国道交通省や内閣府の調査でも、移住したいという願望を持つ人はそれなりに多いけれども、すぐ実行したいという人は少ないようです。移住者への関心が高まることによって、地域社会への注目が増えたり、新しい交流が生まれたりするのはいいことです。しかし、移住で国家レベルの人口問題を解決するというのは、いささか筋違いの期待かもしれません。

■「格差問題」の本質を見えなくさせたもの

 ここからは『平成史 完全版』(河出書房新社)に書いた話です。

 中央メディアの論調は、「大企業型」のリアリティーに規定されがちです。例えば、2年前に『定年後』という新書が売れましたが、定年後に「生きがい」のために働くことを考えるような人は少数派です。新卒から定年まで同じ会社に勤め続ける人も、定年後に年金だけで暮らせる人も、3割前後しかいないからです。

 しかし、そういう人たちが一番本を買う層ですし、大手メディアや官公庁に勤めている人だったりします。そういう人たちは、必ずしも下7割をふくめた日本社会全体のリアリティーに詳しいわけではありません。ですから、大手のテレビ局や新聞社に勤めている人たちのリアリティーで日本社会を語ると、現実とずれてくることが多くなります。

 その好例が、格差問題です。90年代末ごろ、大企業正社員に「成果主義」やリストラが導入されるという話が注目されました。これはこれで重要な問題ですが、日本社会全体でいえば上3割の部分の話です。ところが、それが日本社会全体の問題、つまり「統計的にジニ係数が増えている」「非正規雇用が増えている」という話と混同されて語られました。そして、非正規雇用が増えて格差が拡大しているのは大企業正社員が減ったせいだ、といった語られ方がされました。

 しかし実際には、こうした見方は必ずしも正確ではありません。非正規雇用が増えたぶん自営業が減っているといった現実がとらえられなかった。それは、「日本社会の不安定化」は「大企業正社員の不安定化」とイコールなのだ、そもそも日本の大部分の人は終身雇用で停年まで務めるものなのだ、という色メガネで社会を見ていたからなのかもしれません。

 また教育問題では、1999年に『分数ができない大学生』という本がベストセラーになりました。これは大学、しかもいわゆる「偏差値」が高い大学の教授たちの共著ですから、教育界の「いちばん上の部分」の話です。ところがそういう危機感と、教育困難校の学級崩壊とが、「日本の教育の危機」として、混同して語られがちな傾向もありました。

 さすがに2010年代になると、『定年後』と『下流老人』は別の本として売れるようになりました。この点は、2000年代までのように、日本社会のなかの違う部分の現象を区別せずに語っていたのとは違うといえます。「上級国民」「下級国民」という表現も出てきているようです。それだけ、階層社会が固定化しているという認識が広まってきたともいえるかもしれません。

■自民党が強いわけではない

 政治の話に関心のある人もいると思います。ここからは、『私たちの国で起きていること』と『平成史 完全版』に書いたことになります。

 自民党の党員は90年代から減っています。ピーク時の1991年に547万人いたのが、2012年に73万人まで減りました。政権奪回して2018年には110万人まで回復させましたが、ピーク時には到底及びません。

 これはなぜか。ここまで見てきたように、これだけ地域社会が弱体化して、自営業が減ってくれば、町内会、商店会、自治会が高齢化・衰弱化して機能しなくなるのは当然のことです。また2005年に郵便局を民営化したとき、自民党の党員がごっそり減っています。つまり旧来型の日本のシステムの基盤と、自民党員の多い部分は、ほぼイコールと言えます。そこが衰弱すると自民党も衰弱する。

 それでも自民党が選挙に勝ち続けているのは、棄権する人が増大しているのが大きな一因でしょう。1999年に公明党と連合して以降、自民党は公明党の協力と、野党の分裂、棄権の多さのために援けられています。

 2000年代以降、自公合わせて約3割の固定的に得票しています。より正確に言うと、日本の有権者は2000年代以降、約1億人で定常的です。人口はあまり変わっていないから約1億人で、わかりやすいですね。そして自公合わせて、2000年以降のどの国政選挙も、ほぼ2600万から2700万票を獲得しています。2005年のいわゆる「郵政選挙」は例外ですが、あとはどんな事件や議員の失言があってもほとんど変わりません。おおざっぱに言って、有権者の約3割です。

 一方で、いわゆるリベラル系の政党を全部足して、約2000万票というのも2012年以降はほぼ変わりません。民主党が立憲民主党と国民民主党に分裂したり、れいわ新選組ができたりといろいろありますが、それらと社民党・共産党などを足した得票はほぼ2000万です。これは全有権者の約2割です。

 この状態で、投票率が50%であれば、5割棄権・3割自公・2割リベラル系となります。この構図のままだと、基本的に自公は安泰です。2012年以降の国政選挙は、すべて投票率は50%台以下です。なお、維新とか「みんな」とかN国とかは、選挙によって波がありますが、おおむね全部足して300万から800万くらいの得票数です。

 2009年に民主党が勝ったときは、投票率が70%まで上がり、野党が選挙協力をしました。こうなると、棄権3割・自公3割・野党4割となって、民主党を中心とした政権ができた。でもこれは、投票率が7割に上がらないと難しい。投票率が5割では不可能です。

 では自民党が強いのかというと、総得票数は伸びていません。旧来型の基盤、つまり自営業が減って地域社会が不安定化しているのですから、増える理由が見当たらない。しかし、棄権が多いうえに、野党が分裂して2000万の中で食い合っている状態なので、少ない票数でも勝っている。

 なお若い人に自民支持が多いという話もありますが、あれは自民支持が多いというより、「支持政党なし」が多くて野党支持が少ないというほうが正確です。たとえば支持政党なしが6割、自民支持が3割、野党支持が1割なら、「政党支持のなかでは自民が75%」という数字になる。そもそも若い人は投票率が低いので、全投票数のなかでみれば、自民支持が多少比率的に多くともあまり全体の押し上げになっていない。

 それでは、どうしたら投票率が上がるのか。過去の事例からいうと、投票率が上がるのは、二大陣営対立になったときです。2005年の郵政選挙や、2009年の政権交代選挙のように、争点のはっきりした二大陣営の選挙になると関心が上がり、棄権が減る。

 それに対して、投票率がガクンと落ちるのは、新党ブームのときです。1990年代半ばと2010年代がそうでした。数え方にもよりますが、1993年から2000年には33の新政党、2012年以降で25の新政党ができました。そんなに離合集散を繰り返したら、ふつうの有権者はとても覚えきれない。当然、投票率は下がります。

 毎日ニュースやネットを調べているような人は別ですが、たいてい次々と新政党ができると投票率は下がる。そもそも、3年後にあるのかどうかわからない政党には投票したくない人も多い。こういう状況で投票するとすれば、昔からあって10年後もあるだろう政党、つまり自民党になりやすいでしょう。

■弱まる社会的ネットワーク

 さて、結論です。ここ30年の変化というのは、「地元型」が減って「残余型」が増えた。しかし、「大企業型」はあまり変化がない、というのが私の見立てではあります。

 政党は、町内会や労働組合に組織されている人を重視しがちです。そうなると、「残余型」は社会保障制度だけでなく、政治からも漏れ落ちる。そうでなくとも制度の隙間にあたる存在ですから、困っている人が多いであろうと推測できます。

 しかし、少なくとも2000年代までは、そうした変化に気付くことに遅れました。それは、「大企業型」が日本社会の典型だという固定観念を、社会全体に投影して語ってしまっていたからといえます。こうした認識を、変えていくことが必要でしょう。

 また投票率が下がっているのは、政治に対する無関心だけでなく、地域的なネットワークや労働組合など社会的なネットワークの弱体化が原因になっていると思います。たしかにSNSは発達しているけれど、フェイス・トゥ・フェイスのネットワーク、職場や地域のネットワークが弱っている。面と向かって話さずに、ネットだけで言い合っていたら、分極化が起きるのはどこの世界でも同じです。

 これまで日本は、農林水産業や商業などの自営業が、先進国のなかでもとても多い国でした。そのため、「地元型」の地域ネットワークによりかかって、社会保障の充実や、政党政治の活性化をさぼってきたという側面があります。地域や家庭で互助していれば福祉は少なくて済むとか、地域関係で得票すれば政策を語らなくていいとか、そういうかたちでやりすごしてきた。企業福祉に頼るとか、労働組合の選挙動員に頼るとかも、同様だったといえます。

 これからは、それではやっていけません。社会そのものの足腰が弱っている。これからは、その現状を把握したうえで、対策を考えていかなければなりません。なかなか簡単に答えが出るものではありませんが、今日の話がご参考になれば幸いです。どうもありがとうございました。

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