『彼方のアストラ』は“あの頃”の哀愁を呼び起こす ミステリーを引き立たせるキャラ造形の巧みさ

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2019年09月15日 08:11  リアルサウンド

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(c)篠原健太/集英社・彼方のアストラ製作委員会

 今でも、原作漫画の連載が佳境を迎えていたあの頃を、よく思い出す。


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 集英社によるアプリ「ジャンプ+」で連載されていた『彼方のアストラ』は、中盤以降、物語の仕掛けが明らかになるにつれ、爆発的な盛り上がりを見せた。同アプリにはコメント欄が設けられているが、そこに書き込まれる読者の考察や応援の声は、回を増すごとに過熱。Twitterでも話題に上ることが増えていった。その勢いのまま、壮大な物語は見事なクライマックスを迎え、この2019年の夏にはテレビアニメ化を果たす。毎週の放送日にTwitterが賑わうのは、まるで原作連載時の再演のようである。


 『彼方のアストラ』は、篠原健太によるSF冒険譚。単行本は全5巻で、マンガ大賞2019では大賞を獲得している。


 時は西暦2063年。惑星キャンプに参加した高校生男女9人は、突如現れた謎の球体に飲み込まれ、宇宙の果てに飛ばされてしまう。突然の遭難事故ではあったが、彼らは力を合わせ、友情を育みながら、母星への帰還を目指す。しかし、その9人の中には、遭難事故を引き起こした「刺客」が紛れ込んでいるというのだ……。次第に明かされるメンバーそれぞれの過去、そして驚くべき真実が、彼らの旅路に立ち塞がっていた。


 ジュール・ヴェルヌの『十五少年漂流記』からも着想を得たという本作。宇宙の果てに放り出されてしまった高校生たちは、未知の惑星をサバイバルしながら、自給自足の生活を始めることになる。「メンバー内に潜んでいる刺客は誰なのか」「なぜこの遭難事故が起きたのか」といった謎を配置しつつも、主に物語前半の魅力は、彼らが繰り広げる冒険の日々そのものだ。惑星ごとに異なる生態系、大気、重力。作者からは『ドラえもん のび太の宇宙開拓史』の影響も公言されているが、胸躍る感覚が途切れない、辛くも楽しい日々が描かれていく。


 本作は、「ミステリーの構成がすごい!」「伏線がすごい!」といったベクトルで語られることが多い。確かに、そこの精度が非常に高い作品だ。単行本5巻で見事に完結するので、ついつい友人や知人に勧めたくなってしまう。ネット上では未読者へのネタバレに丁寧に配慮して語られる場面が多く、それは、作品そのもののクオリティの高さの証明とも言える。


 しかしどうだろう。私は、そういった「ミステリー要素」は、実は『彼方のアストラ』の魅力における半分ほどに過ぎないと考えている。もう半分を占めるのは、作者・篠原健太による見事なまでの「キャラクター造形」だ。むしろこちらの方が、作品の骨格に相当するのではないだろうか。


 主人公であるカナタ・ホシジマをはじめとする、アストラ号の乗組員たち。男性5人、女性4人で構成されるメンバーは、容姿も性格もバラエティ豊かだ。


 抜群の身体能力を持ち、情に厚く、宇宙探検家の夢を持つカナタ。過去に山で遭難した経験から、仲間と手を取り合う大切さや、どこまでも諦めないタフな精神を持つ。「リーダー気質に溢れた青年」と書いてしまえば、どこかありふれた形容にも感じられるが、カナタの存在こそが物語を力強く前進させるのだ。頼れる存在でありながら、お調子者で、ちょっとポンコツでニブい面もある。しかし、着実にメンバーに好かれていく彼を、読者もいつしか好きになっていく。


 このように、本作のキャラクターは、一見すると「よくある」タイプが多い。「根暗で口数が少ない少女」「博識な眼鏡キャラ」「手先が器用なムードメーカー」「天然で朗らかな女の子」「ちょっとクセのある爽やかイケメン」……。しかし、本作をすでに読了した人は、彼らが単なる「よくある」に収まらない、どこまでも魅力に溢れたキャラクターであることを十二分に知っているはずだ。生き生きと関わり合う彼らは、まるでフィクションの存在とは思えないほどに、生命力に満ちている。


 改めてメンバーを見てみると、思わず笑みがこぼれてしまうほどに、全員がボケもツッコミもこなせる両刀使いであることに気づく。伸び伸びと青春を送る彼らにとって、通り一遍の属性など不要なのだ。それぞれに人生があり、コンプレックスを抱き、それを打破する強さを持つ。そんな「生きた」キャラクターたちの共同生活は、惑星探索の高揚感と合わさり、独自の読み味を形成していく。


 篠原健太の代表作といえば、2007年から2013年まで週刊少年ジャンプで連載された『SKET DANCE』だ。こちらも、アニメ化を果たした大人気作である。


 同作は学園コメディをベースに、抱腹絶倒のギャグと、濃密なヒューマンドラマ、主人公・ボッスンらの熱く切ない青春の日々が展開される。こちらも、とにかくキャラクター造形が見事なのだ。「フィクションにおけるコメディの登場人物」でありながら、「実際に隣の席に座っていそうなクラスメイト」という、驚くほどに親しみやすいバランス。「好きなキャラクター」というより、「友達になりたいキャラクター」と形容した方が適切だろうか。細かなエピソードを積み重ねていくことで、登場人物の人となりが読み手の心の中に刻まれていくのである。


 この、読者の心情を操作するテクニカルなキャラクター造形は、『彼方のアストラ』にも存分に活かされている。カナタと、アリエスと、ザックやキトリーと。読みながら次第に、彼らと友達になりたい錯覚に陥ってしまう。『SKET DANCE』と同じ高校生の設定も影響してか、『彼方のアストラ』における冒険の日々は、さながら林間学校のようだ。言い争いや喧嘩も起こるが、その分だけ、メンバー間の距離が縮まっていく。青春を生きる彼らにとって、同じ日々を過ごす体験は、こんなにも大きな意味を持つのだ。


 そんな「キャラクター造形」に隙がないからこそ、対する「ミステリー要素」も存分に活きてくる。物語が進行し、メンバー全員の好感度が際限なく上昇していくにつれ、「どうしてこの中に刺客がいるのか」と、思わず嘆いてしまうのだ。誰が犯人だとしても、それを信じたくない。誰かを疑ってしまう自分をつい恥じたくなる。作中のメンバーと同じくらい、いや、もしかしたらそれ以上に、読者の心をそういったポイントまで没入させてくる。


 しかし、クライマックスにて、「刺客」の正体は明かされてしまう。


 「ミステリー要素」という意味では、「犯人は誰か」が最大の関心になり得るだろう。しかし、『彼方のアストラ』は違うのだ。もはや関心は「誰か」ではない。「どうして」である。この旅を一緒に過ごしたこの登場人物は、どうして「刺客」なのか。なぜそんな宿命を背負ってしまったのか。友達では、仲間ではないのか。……これほどまでに、良い意味で犯人当てが形骸化していくミステリーも、そうそう無いだろう。誰だって、友達を疑いたくはないのだ。


 アニメ版の『彼方のアストラ』も、「ミステリー要素」と同じくらい、「キャラクター造形」を大切に扱っている。全12回というシリーズ構成において、ともすればミステリー部分を消化するだけで尺を取ってしまい、キャラクターの描き方が弱くなる懸念もあった。しかし、原作のエピソードを巧妙に再構成しながら、アニメ制作スタッフはそのどちらも妥協しない姿勢を見せた。


 そう、本作においては、魅力的な「キャラクター造形」こそが「ミステリー要素」を引き立てるのだ。この両輪があってこその、『彼方のアストラ』である。だから、コメディパートもぎりぎりまで削らず、原作における番外編四コマ漫画のネタも随所に配置していく。生き生きとした彼らを描くことが、この作品の骨格となるのだから。それを何よりもスタッフ陣が熟知している。原作ファンのひとりとして、敬意すら抱くバランス感覚だ。


 本作がエンドマークに近づいていく流れは、林間学校や修学旅行の帰りのバスの中を想起させる。楽しい時間ほどあっという間で、だからこそ、終わって欲しくなくて。しかし、その先の日常には、友達と共に過ごしたこの体験が、確実に活きていくのだ。


 『彼方のアストラ』が持つ独特の哀愁は、誰もが体験した「あの頃」から来ているのかもしれない。(結騎了)


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  • これにせよラブライブにせよダンベルにせよ、レギュラー陣に嫌な奴がいないので全員を応援できるってのが作品の好感度に繋がるのではなかろうか。
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