追悼・安部譲二さん――極道から作家になった「究極のお坊ちゃま」に合掌

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2019年09月15日 19:02  サイゾーウーマン

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サイゾーウーマン

安部譲二オフィシャルページより

今は亡き某指定組織の三次団体幹部の妻だった、待田芳子姐さんが語る極妻の暮らし、ヤクザの実態――。

■祖父は夏目漱石と同級生!

 映画化もされた半自伝的小説『塀の中の懲りない面々』(文藝春秋)などで知られる作家の安部譲二さんが、82歳で亡くなられました。謹んでお悔やみ申し上げます。

 事務所の公式サイトには、「かねてより自宅療養中でありました安部譲二は、急性肺炎により令和元年九月二日永眠いたしました。生前は多くの方々に安部譲二とその作品を愛していただき、心より感謝申し上げます。自宅でもサポートして下さる在宅医療の方々を常に笑わせ、明るく前向きな安部譲二ワールドを展開しておりました」とあります。最期まで安部さんらしい生き方をされたのですね。

 報道などによりますと、安部さんは1937年、昭和12年のお生まれだそうです。そんなお年でしたか。それよりすごいのは、プロフィールですよね。おじいさんは帝大で夏目漱石や正岡子規と同期、お父さんの仕事の関係でロンドンやローマで育った元祖帰国子女。麻布中学校で橋本龍太郎元総理と同期だったのは安部さん本人もよくネタにされていました。

 でも実際には「共産党に投票していた」とWikipediaにありました(笑)。

 それに、中学、高校と問題を起こし続けてヤクザになったのに、英語とイタリア語がペラペラで実家がエリート系ということで500倍の倍率を突破して日航に入社されました。そして、お客さんを殴ってクビになった……というのもすごいエピソードです。

 なんせお坊ちゃまですから、お父さんの本棚も充実していたそうです。漱石の全集や世界文学全集などはローティーンの頃に読破していて、文学の才能もあったんですね。中学生の頃に応募した小説が江戸川乱歩の目に留まり、「この子は心が病んでいる」と心配されたというのも以前に話題になりました。

 究極のお坊ちゃまで、貧困や差別には無縁なのに極道になったのは、やはり「心」のせいなのでしょうか。ケンカばかりしていて、あの安藤組の安藤昇さんにスカウトされています。当時の安部さん14歳、安藤さん26歳くらい。すごい時代です。やっぱり14歳特有の「中2病」もあって、いろいろやらかしたくなるんでしょうか。

■「オレのほうが安部よりおもしろい」

 安部さんが『塀の中の懲りない面々』を出版されたのは1986年、バブル全盛の頃でした。この頃ってゴルフやスキー、マリンスポーツや海外旅行、高級レストランなどにお金が使われた時代で、本はあまり売れていなかった……というのは後から聞きました。

 しかも、「国内で前科14犯、海外で前科3犯の40歳過ぎの元ヤクザ」ですから、当初はどこの出版社も相手にしなかったそうです。でも文藝春秋の編集者が評価して発売が決まり、発売1カ月で25万部のベストセラーになったんですね。

 編集者さんによりますと、10万部を超えると性別や世代、職業などに関係なく読まれるていることになるそうですから、読んでいたのはヤクザだけではないんですね。むしろサラリーマンさんとかのほうが溜飲を下げられていたかもしれません。

 でも、実は少なくないヤクザたちが、安部さんに対してヤキモチを焼いていたんですよ(笑)。今みたいにスマホもありませんから、ヤクザはけっこう本を読んでいました。それに、塀の中はヒマなので、読書の習慣もできるようです。

 安部さんをテレビや新聞で見かけるたびに、オットの兄弟分たちは「ワシのほうがおもしろいのを書ける!」とか「ここの文、間違ってる!」とか「こんなんウソばっかりや!」とか、言いたい放題でした。文句あるなら、自分も書いたらいいんですよ。特にアルコールが入るともう大変で、「アベを呼んでこい!」的なモードになってました。もちろん本当には呼ばないし、呼べませんけどね。

 過去にヤクザからの恐喝を含むイヤガラセが来たかどうか、安部さんに聞いてみたかったです。合掌

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