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ヤクルトに移籍した辻発彦が戸惑い。「こんなチームに負けたのか?」

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2019年09月20日 06:51  webスポルティーバ

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西武×ヤクルト “伝説”となった日本シリーズの記憶(38)
【リードオフマン】西武・辻発彦 後編

(前編はこちら)

【1993年のヤクルトは目の色を変えて臨んできた】

――前年は4勝3敗で辛勝。そして、翌1993(平成5)年の日本シリーズもスワローズと激突することになりました。この年、ライオンズは(オレステス・)デストラーデ選手がメジャーに復帰。大幅な戦力ダウンでシリーズに臨むことになりました。

 デストラーデが抜けたことで、確かにホームランは減るかもしれないけど、他のメンバーがしっかりしているチームだったので「別に大丈夫でしょ」と思っていました。それぐらいの層の厚さはあったと思うし、そうでなければ、あれだけ何度も日本シリーズに出られないですから。

――1993年の日本シリーズは、初戦から波乱がありました。スワローズ先発の荒木大輔投手による厳しい内角攻めの結果、一番の辻さん(「辻」は本来1点しんにょう)、三番の石毛宏典さんがともにデットボールという幕開けとなりましたね。

 「そういうこともあるだろう」とは思っていました。ヤクルト先発の荒木はシュートが武器だし、厳しくインコースを突いていく投手でしたからね。荒木自身も気の強いピッチャーだったし、野村(克也)さんからも「中途半端に攻めるのではなく、厳しいところに投げろ」という指示も出ていたでしょうから。

――波乱の幕開けとなった1993年の日本シリーズ。前年とは逆に、スワローズが3勝1敗と先に王手をかけた後、ライオンズが2連勝。この年もまた3勝3敗で第7戦までもつれこみました。この年のスワローズについてどんな印象をお持ちですか?

 1992年は、とにかく岡林(洋一)がひとりで頑張った印象があるけど、1993年は川崎(憲次郎)が印象に残っていますね。そして、チーム全体が目の色を変えて、「何が何でも勝とう」という気持ちが前面に出ていました。あと、前年は(ジャック・)ハウエルが絶不調だったという記憶があるけど、1993年はハウエルもきちんと結果を残したことを覚えています。

【移籍後に感じた「ヤクルトの強さ」とは?】

――これはみなさんに聞いているのですが、この2年間でライオンズとスワローズは全14試合を戦って7勝7敗。ともに日本一になりました。果たして、両チームの決着はついたのでしょうか?

 うーん、本当に紙一重の差でしたからね。ヤクルトは本当に強かったですよ。足の速いヤツもいるし、ホームランバッターもいたし、しぶといバッターもいたからね。あの頃のヤクルトはとにかくバランスのいいチームだった。それは間違いないですね。

――これはその後の話となりますが、辻さんは1996年にスワローズに移籍。翌1997年はスワローズの一員として、パ・リーグ覇者のライオンズと日本シリーズを戦っています。1992年、1993年の時と、何か違いはありましたか?

 その時、僕はレギュラーではなかったので状況は違うし、西武のメンバーもガラッと変わっていたので、1992年、1993年とはやっぱり別ですよね。ただ、僕は西武を自由契約になったところを野村監督に拾ってもらったわけだから、「絶対に西武には負けたくない」という気持ちが強かったです。

――移籍してスワローズの一員となって、スワローズに対する印象の変化などはありましたか?

 率直に言って、「えっ、ヤクルトってこんなチームだったの?」と思ったことは、よく覚えています。言い方は悪いけど、「オレたちは、こんなチームに負けたのか?」って思いでしたね(笑)。

――「こんなチーム」というのを、具体的に教えていただけますか?

 当時、古田(敦也)とか、池山(隆寛)とか、飯田(哲也)、土橋(勝征)、伊藤(智仁)とか、いい選手がたくさんいたけど、クラブハウス内やロッカーの雰囲気を見ていたら、「こいつら、学生か?」って感じなんです。いろんなところから音楽は流れてくるし、試合前なのにみんなでサッカーのテレビゲームをやっているし(笑)。西武時代には考えられない雰囲気でしたから。

――試合前の過ごし方が、ライオンズとスワローズはまったく違ったんですね。

 はい、まったく違いました。でも、一度グラウンドに出ると、みんながひとつになって戦っている。それを見て、「今の選手たちはこういうものなんだな」と気づくと同時に、「これがヤクルトの強さなんだな」ということを強く感じました。

【「あの2年間は、まさに死闘だった」】

――あらためて、1992年と1993年の激闘について、どんな感想をお持ちですか?

 シリーズが始まる前は、「知将対決」とか、「キツネとタヌキの化かし合い」などと注目されていたけど、実際は監督どうこうじゃなくて、選手たちによる死闘ですよ。「死闘」という表現がピッタリの戦いだったと思います。

――辻さんは現役時代に何度も日本シリーズに出場していますが、「死闘」というのは、この2年間だけですか?

 僕は西武で9回、ヤクルトで1回、全部で10回、日本シリーズに出場していますけど、それぞれ印象は違いますね。阪神を相手に初めてシリーズに出場した1985(昭和60)年はまだ2年目だったので無我夢中だったし、1986年の広島とのシリーズでは1分け3連敗からの4連勝という劇的なものだったし、思い出はいろいろあります。

 ヤクルトと戦った1992年、1993年のシリーズに関しては、似た者同士の両チームが全力でぶつかったシリーズでした。似た者同士だからこそ、一歩間違うと、まったく逆の結果になる。その繰り返しでしたから。

――だからこそ、「死闘」と言える日本シリーズなんですね。

 とくに1992年は延長戦が4回もあったし、最後の最後までどうなるかわからないシリーズでした。この時は西武が日本一になったけど、今から思えば「本当に疲れた」、そんな日本シリーズでしたね(笑)。今でも、こうして注目していただけるのは嬉しいですよ。

(飯田哲也の証言につづく)

このニュースに関するつぶやき

  • 社会人時代は、中軸だったがプロで生き抜くためにどういう選手になるべきかexclamation & questionを模索して努力した選手。走力では平野の方だが、辻も俊足だったし守備力も定評あった。流し打ちはセの和田、パでは辻という位に素晴らしかった
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  • ヤクルトスワローズって不思議な魅力があるんだよ(���ʥѡ��� ˘ ω˘ ��(OK))
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