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ミャンマーで日本のディーゼル動車がバスになっていた!? <下川裕治の旅をせんとや生まれけむ>

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2019年09月20日 11:30  AERA dot.

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写真下川裕治(しもかわ・ゆうじ)/1954年生まれ。アジアや沖縄を中心に著書多数。ネット配信の連載は「クリックディープ旅」(毎週)、「たそがれ色のオデッセイ」(週)、「東南アジア全鉄道走破の旅」(毎月)、「タビノート」(毎月)
下川裕治(しもかわ・ゆうじ)/1954年生まれ。アジアや沖縄を中心に著書多数。ネット配信の連載は「クリックディープ旅」(毎週)、「たそがれ色のオデッセイ」(週)、「東南アジア全鉄道走破の旅」(毎月)、「タビノート」(毎月)
「おや?」と思って立ち止まる。そしてはじまる旅の迷路――。バックパッカーの神様とも呼ばれる、旅行作家・下川裕治氏が、世界を歩き、食べ、見て、乗って悩む謎解き連載「旅をせんとや生まれけむ」。第9回は「日本からミャンマーに譲渡された中古ディーゼル動車」について。

*  *  *
 歪み波打つミャンマーの線路を、日本から譲渡された中古ディーゼル動車が走っている。以前、JRなどでは「キハ」などとボディに書かれ、全国の鉄道路線を走っていた車両である。その後、日本は電化が進み、不要になった車両が海を渡ったわけだ。日本の鉄道ファンが撮影にでかけ、テレビの旅番組などでも紹介されている。

 ミャンマーの全鉄道を乗りつぶす、という旅の企画で、何回もミャンマーに通った。そして数えきれないほどディーゼル動車に乗った。そのたびに悩んでいた。これは列車なのだろうか。なんだかバスに乗っている気分なのだ。実際、ミャンマー国鉄もRBE、つまりレイルバスエンジンと呼んでいる。

 この旅は1冊にまとまったが、乗り残した路線があった。今年の7月、残った2路線に乗るためにミャンマーに向かった。

 まず乗ったのは、モンユワとボディタタウンの間を、1時間ほどで結ぶ列車だった。1日1往復だけのローカル線である。モンユワを発車するのは朝の7時すぎ。駅へ行くと、駅長さんが切符をつくってくれた。運賃は100チャット、約7円。申し訳ないほど安い。

 駅長さんと一緒に、ホームで列車を待った。やってきたのは、日本の中古車両だった。1両だけがゆっくりと入線した。

「しばらく前まで2両編成だったんですけど……」

 駅長さんが説明してくれた。1両だけの列車は、やはりバスのようにも映る。

 ミャンマーの全鉄道路線を乗りつぶす旅は手間どり、2年以上がかかってしまった。その間にも、ディーゼル動車のバス化はどんどん進んでいたような気がする。2両、3両といった編成が減り、1両で運行する路線が多くなっていたのだ。

 あるとき、運転手は列車を停め、車両から降りると、その先にあるポイントを自分で切り替えていた。そして列車を進ませると、またポイントをもとに戻す。その姿は、路上の障害物をどかすバスの運転手に似ていた。路線にもよるが、ポイント切り替えは別の駅員が行うという鉄道の連携プレーがなくなっていた。

 モンユワからボディタタウンに向かう列車も、線路脇に広がる市場では数メートルおきに停車した。そこでおばさんが売り物の野菜を担いで降りていく。きっと停まった場所が、彼女が店を広げる場所なのだ。もうこうなると、駅の意味はなくなってしまう。

 ミャンマーに渡った日本の中古車両。乗り込むと、僕の世代は懐かしさがこみあげてくる。しかしもう列車ではないのかもしれない。バスになって生き延びようとしているということか。

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