隠し子疑惑、流血事件! 天皇と国民的アニメ『一休さん』の接点とは?【日本のアウト皇室史】

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2019年09月21日 20:02  サイゾーウーマン

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サイゾーウーマン

堀江宏樹さん(撮影:竹内摩耶)

 皇室が特別な存在であることを日本中が改めて再認識する機会となった、平成から令和への改元。「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な天皇家のエピソードを教えてもらいます!

“天皇家の策略”と国民的アニメ『一休さん』の深い関係

堀江宏樹(以下、堀江) NHK連続テレビ小説『なつぞら』を見ていると、主人公・なつ(広瀬すず)が夫・坂場和久(中川大志)のことを「いっきゅうさん」って連呼していますよね。その光景を見るたびに、国民的アニメ『一休さん』を思い出す読者も多いのではないでしょうか? いきなりですが、アニメのモデルになったと言われている、「史実」の一休さんって、室町時代のとある天皇の御落胤(父親に認知されない庶子、私生児)だったという有名な仮説をご存じですか?

――堀江さんの著書、『天皇愛』(実業之日本社)でチラッと読んだことがありますが、詳しくは知りません。

堀江 一休さんこと、臨済宗の僧侶・一休宗純(いっきゅうそうじゅん)(1394〜1481)。今回は読者になじみ深い「一休さん」の名前で彼を呼びますが、彼の実父は室町時代の「後小松天皇」だったという仮説があるんです。一休さんの後半生には、すでにこのウワサが世の中にじわじわっと広まっていたようで、一休さんが亡くなって13年目くらいに、公家・東坊城和長(ひがしぼうじょう・かずなが)が、自身の日記『和長卿記』で「秘伝だけど、一休和尚は後小松天皇の私生児だ。でも、世間はこのことを知らない……」といった意味のことを書き記しました。東坊城和長は子孫に伝えようと日記に書いたものの、いつの間にか世間に広まり、朝廷もこのウワサを黙認したのです。現在でも、京都・酬恩庵一休寺にある一休さんの墓所は、宮内庁が管理していますし、墓所には皇族の出身であることを示す「菊の御紋」が付いています。

――それでも、御落胤のウワサが事実かどうかはわからないのでしょうか?

堀江 文献的に見た場合、決定打に欠けていて。その上で、一休さんがいくら有名人だったにせよ、天皇家が“仮説”を半公認のように扱われていることは驚きです。ただ、それには“天皇家の策略”があったと僕は推測していて、「衰退していた天皇家の“カリスマ性”を一休さんの知名度や話題性を借り、復活させようとしたのでは?」と考えています。わかりやすくいえば、意外な新メンバー加入で、人気を盛り返そうとするアイドルグループみたいな感じかな。

――天皇家も人気を気にする時代だったんですね。“歴史”や“血”といった意味では、現在の皇室とつながっているものの、考え方があまりにも違いすぎますね。

堀江 仮説といえば、一休さんの父親という説がある後小松天皇も、実は足利義満の子どもだったのかもしれない……という恐ろしいウワサがありますよ! これは、昭和の有名歴史作家・海音寺潮五郎の仮説なんですがね。

――「火のない所に煙は立たぬ」という有名なことわざがありますが、当時の上流社会は、“性愛”が乱れていたため、さまざまな仮説も生まれたのでしょうか。

堀江 “お盛ん”だったことはたしかなようで、理由の一つと言えます。系図上では、後小松天皇の父親は後円融天皇であるものの、後小松天皇の誕生にも“ウラ”があると囁かれているんですよ。後円融天皇の同い年のいとこに、通称・金閣寺などを建造した室町幕府第三代将軍・足利義満がいるんです。勘が鋭い方はお気付きになるかもしれませんが、2人は後宮の女官を奪い合ったりしていたとか。

――権力を持つ男性は、本能的に肉食化が加速するんですかね。

堀江 足利義満は、後円融天皇が愛した女性たちを我が物にしていったようなので、かなりの肉食系ですね。そして、嫉妬を爆発させた後円融天皇は、義満と関係を持った後宮・三条厳子(さんじょう・たかこ)に、ケガをさせる流血事件を起こしたというエピソードも残っています。ちなみに三条厳子が出産したのが、一休さんの父親“かもしれない”後小松天皇。

――血気盛んな時代とはいえ、さすがに臣下の義満が後宮の女性たちに手を出すなんてアウトなのでは? そんなことをしたら、大事な皇統が乱れる可能性もありますし、当時はDNA鑑定もないのに……。

堀江 平安時代以来、天皇家は第百代で滅亡するという“都市伝説”が、日本中で広まっていました。歴史用語でいえば「百王論(ひゃくおうろん)」と言います。「天皇家の終わり=日本の終わり」と考える人もいたでしょう。

 第99代目の天皇が、足利義満にひどい目に遭わせられた後円融天皇。天皇家の威厳・カリスマ性が衰退していく一方で、足利義満は天皇以上に人を惹きつけ、骨太な人物ではあったと言われています。足利義満は後円融天皇にも、かなりの圧で接していたという記録まで残っており、「天皇家を乗っ取ろうとした」などとも言われているんですよ。その後、足利義満は、第100代目の天皇・後小松天皇の在位中に突然死を遂げましたが、それくらいの出来事では、天皇家の勢いを盛り返すことはできません。そんな時に、元・皇子の肩書をもつ一休さんが登場したら……。天皇側も調査したはずですが、可能性が少しでもあれば、一休さんを血縁者として黙認、つまり身内に取り込み、弱りつつある天皇家のカリスマ性を補強したかったのでしょう。

――御落胤の一休さんが、本家を乗っ取るとは考えなかったのでしょうか?

堀江 一休さんは、正当な後継者にはなれない庶子(本妻以外の女性から生まれた子)ですからね。出家もしているし、安心といえば安心。まぁ、これは歴史エッセイストの僕の想像ですが。

 一説によると、一休さんの母上様は、日野家という高い身分の公家出身だったといい、並みいる後宮の女官たちを出し抜き、後小松天皇の寵愛を勝ち取ったそう。ただ、彼女の幸運に嫉妬した、ほかの女たちから命を狙われるほどになり、生まれた子ども(後の一休さん)と共に後宮から逃げ出さざるをえなくなりました。それにしても、このストーリーはなんだか美化されすぎていて、怪しいんですけどね〜。

――そして、史実の一休さんは成長後、かなりエロい人になったとか……。天皇からの寵愛を受けるほど、恋愛能力が高そうな母親のDNAをバッチリ受け継いだんでしょうね。

堀江 一休さんはケタ外れのカリスマの持ち主ですし、「英雄色を好む」ということわざ通り、エロスの方面もすごい気がします。『源氏物語』でもその手の資質は、母の桐壺更衣から息子の光源氏に見事に遺伝していますね。

 お話が良いところにさしかかりましたが(笑)、詳しくは次回に続きます。

――次回は10月5日更新!

堀江宏樹(ほりえ・ひろき)
1977年、大阪府生まれ。作家・歴史エッセイスト。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。2019年7月1日、新刊『愛と欲望の世界史』が発売。好評既刊に『本当は怖い世界史 戦慄篇』『本当は怖い日本史』(いずれも三笠書房・王様文庫)など。
Twitter/公式ブログ「橙通信

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