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杉田かおるさん 母を在宅介護した4年半で「芸能人になってよかった」その理由とは?

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2019年09月24日 07:00  AERA dot.

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写真「絶望の後にしか希望はやってこない」金八先生の言葉のとおりでした(撮影/写真部・東川哲也)
「絶望の後にしか希望はやってこない」金八先生の言葉のとおりでした(撮影/写真部・東川哲也)
 女優の杉田かおるさんは4年半にわたり、慢性閉塞性肺疾患(COPD)を患っていた母親を在宅介護し、2018年にその母を看取りました。その間、芸能活動は10分の1くらいにまで減らしたそうです。週刊朝日ムック『さいごまで自宅で診てくれるいいお医者さん2020年版』では、杉田さんが在宅介護になった経緯、介護中の生活、介護経験で得たものについて語っています。

*  *  *
──どういったいきさつで自宅での介護が始まったのですか。

杉田:母は長年、慢性閉塞性肺疾患(COPD)を患っていました。63歳のときに、呼吸が苦しくなって病院に行ったところ肺気腫(当時の病名)と診断されました。たばこを死ぬまで吸い続けると宣言していた母ですが、あと一本吸ったら死んでしまいますよと言われ、たばこを吸うことをやめました。階段の上り下りや坂道などはとても苦しそうでしたが、ゆっくりとなら日常的な動作はできていました。

 それが、80歳になる手前でCO PDの症状が悪化して急性増悪を起こし、病院のICU(集中治療室)に入りまして。命に危険が及ぶような状況でした。で、そこからは24時間連続の在宅酸素療法が必要になり、生まれてからずっと一緒に暮らしてきた私が、母の看病、介護をすることになったわけです。

──施設を利用するなど、在宅介護以外の選択は考えませんでしたか。

杉田:母をサポートしながら芸能活動を続けるために、受け入れてくれる高齢者施設をあちこち探しました。でも、母は呼吸器機能障害の等級が最重度の1級だったので、そういう重篤な患者が入れる施設は見つかりませんでした。

 病院のほうは、療養目的なら「人工呼吸器を使用すれば入院できる」というお話で。母は亡くなる半年前まで外食してウナギを食べるほど胃腸が丈夫だったので、最初から自分の口から食べる楽しみが奪われてしまうようでは、入院はとても無理だな、と娘として思いました。

 そうなると、重度のCOPDの母を、この先、静かに看取れる場所はどこかと考えたら、自宅しかない。ほかに選択肢がない。それが現実でした。

──在宅介護をするのに公的なサービスを利用しましたか。

杉田:はい。住んでいる市の地域包括支援センターへ行って、介護保険と医療保険のサービスを受けるために、調整役のケアマネジャーさんを紹介していただきました。

 在宅サービスの中でも、一時的に入院したときを除いて、母が切れ目なく定期的に受けたのは、月1、2回の医師による訪問診療と週1回程度の訪問看護です。ベッドや車いすも借りることができました。

 でも、最初のころは、呼吸器が専門のお医者さんで訪問診療をしている先生が近所に見つからなくて、消化器が専門のお医者さんにお願いしていました。母が風邪を引いたりするとすぐに往診もしてくださり心強かったです。

 途中から、母の検査入院先の呼吸器科で診療していた先生が、ラッキーなことに近くで開業され、訪問診療を引き受けてくださったんです。

──2人暮らしだったのですか。

杉田:介護を始めたちょうど同じ年に私が結婚し、母と夫と3人で一緒に住んでいました。母と娘、2人だけで、毎日ずうっと向き合っていたら、たぶん、2人ともそうとう精神的にきつかったと思うんです。

 でも、3人だとけんかにもならずに、なんか、こう、とても穏やかな雰囲気で暮らせたといいますか。夕食の時間には、今日も一日無事に過ごせたってことで、毎晩、3人で「おめでとうございます!」と言って、乾杯していました。

 もちろん、母がせき込んだり痰を出したり息苦しいときは背中を始終さすってあげたり、トイレに行く際は介添えしたり。母の動脈血の酸素量の数値にも注意を向けていなければならないし。手を貸したり、目配りしたりすることは、いろいろありました。

──食事作りも杉田さんが?

杉田:そうなんです。母用に朝、昼、夜の3食と夫用に朝、夜の2食。毎日5献立を考えて、料理して。だから、一日じゅうお皿を洗っているみたいな感じだったんですよ。

 母の場合、風邪やインフルエンザにかかると命取りになりかねないし、C型肝炎もあったので肝がんと、やはり肺がんの予防に努める必要もありました。栄養価の高い野菜などを選んで、免疫力アップにつながるような食事を作っていました。私自身が、介護で共倒れしないために、きちんと食べなくちゃ、っていう思いも強かったです。

──芸能活動はできましたか。

杉田:それまでの10分の1くらいまで減らしました。もともと俳優業は、演じて好評価を得れば次にまた役がもらえるけれど、そうでないと仕事がこない不安定な職業なんです。介護は持続的なものだから、自分にはまだやるべきことがあると思うと、逆に私は不安を覚えなくて。

 慢性の病気をもつ母の介護を通じ、それまで自分が知らなかった社会のことを勉強したいって気持ちにもなりました。

──在宅介護は何年続きましたか。

杉田:4年半くらいです。その間、日々の睡眠不足のせいか、私も何度か体調を崩して、病院にかかることもありました。

 母は、もうずっと息苦しい症状があったのですが、それでも体調がいいときは、読書を日課にしていました。ロシア文学が好きで、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』とかを読んでいて。ものすごい集中力でした。

 それと、亡くなる半年ほど前まで、毎週日曜日の朝に、うちの地域のケーブルテレビで、私が子役時代に出ていたドラマ「パパと呼ばないで」や「雑居時代」をたまたま再放送していて、母といろんな思い出話をしながら見ることができたんですよ。私ね、このときほど、「芸能人になってよかった」って思ったことはなかったです。

──自宅で看取られたのですか。

杉田:実は、亡くなる3カ月前に、結核予防会複十字病院(東京都清瀬市)に入院しました。それが、もう肺も心臓もだいぶ弱っていて、自宅から複十字病院へ向かうタクシーの中で心肺停止状態になり、救急車ですぐ近くの病院のICUへ運ばれたんです。在宅酸素療法になったときから数えてもう3度目のICUでしたから、私はさすがに「ダメかな」って思いました。ところが、奇跡的に意識が戻り、目的の病院へ転院できたんです。

──なぜ複十字病院へ入院を?

杉田:呼吸リハビリテーションを受けるためです。車いすの母は手足は動かせました。それで、全身の筋肉をほぐすようにして鍛え、機能が落ちた肺の代わりに筋肉や横隔膜をつかうことで動ける呼吸法を身につけたり、上手な痰の出し方を教えてもらったりしました。

 指導してくださった理学療法士(呼吸ケアリハビリセンター部長)の千住秀明先生から、「このまま寝たきりになっていいんですか。棺桶まで歩くことを目指しましょう」と言われた母は、生き抜く力を引き出す、先生の呼吸リハビリのコンセプトにすごく感動して、がぜんやる気を起こしまして。母には自分が「ずっときれいでいたい」という思いもあったから、私は私で、リハビリ用に毎日色の違う、明るい色のシャツを用意してあげて。そうすると、よけいにリハビリを頑張るわけですよ、母は。

──効果はありましたか。

杉田:リハビリを始めて2週間で、車いすから立ち上がり自力で80メートル歩けるようになったんです。2カ月するとその距離が200メートルにまで延びました。そこから最後は老人保健施設に入り、3週間ほどしたお正月の朝、ご飯を自分で食べ終え、私とテレビ電話で「今から施設へ行くね」「気をつけて来てね」と会話した後、意識がなくなりました。海外に住む私の妹の帰国を待って、4日後に母は静かに息を引き取りました。83歳でした。

── 介護や看取りはだれもが直面しうる人生の出来事です。経験者としてアドバイスはありますか。

杉田:介護も看取りも、そのやり方やおこなう場所は本当にケース・バイ・ケースで、こうあるべきとは言えないと思います。私も出演したドラマ「3年B組金八先生」の中で、武田鉄矢さん扮する金八先生が「絶望の後にしか希望はやってこない」、そんな意味のセリフを言っているんですね。そのとおりで、母の受け入れ先が見つからず、在宅介護に踏み出した私は、何度もへこたれそうになりました。でも、最後に「希望のリハビリ」へ母も私もたどり着けた。

 リハビリを受けている母の姿に、自分の残された力を精いっぱい使える充実感があふれていました。そんな充実感をだれもが味わえる、これからの医療、介護であってほしいです。

(取材・文/成島香里)

○杉田かおる(すぎた・かおる)/1964年東京生まれ。女優、タレント。7歳で子役としてデビュー。79年TBSドラマ「3年B組金八先生」に生徒役として出演し話題に。母親が倒れてから健康に関心を高め、日本健康マスター検定を受ける。現在は健康マスター名誉リーダーを務め、2019年3月にはエキスパートコースにも合格。

※週刊朝日ムック『さいごまで自宅で診てくれるいいお医者さん2020年版』から

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  • ジェットコースター人生よ…
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  • 創価学会の腐った内情を暴露していた頃は嫌がらせも酷かったのかキツイ顔立ちが気になってましたが、久しぶりに写真を見ると穏和になっているという事は関係は切れたのかな?
    • イイネ!46
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