「ヤクザの腕を切り落とした男」の更生ストーリーに涙! 元極妻が考える半グレ問題

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2019年09月29日 19:02  サイゾーウーマン

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サイゾーウーマン

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今は亡き某指定組織の三次団体幹部の妻だった、待田芳子姐さんが語る極妻の暮らし、ヤクザの実態――。

怒羅権創設メンバー・汪楠さんのドキュメンタリー

 9月22日放映の『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)の「半グレをつくった男 〜償いの日々…そして結婚〜」を、とても興味深く見ました。全国放送ではないのが残念ですが、すばらしい内容でした。

 「半グレ」として知られる中国残留孤児二世、三世のグループ「怒羅権(ドラゴン)」創設メンバーの一人である汪楠(ワン・ナン)さんの現在を追ったドキュメンタリーです。

 「半グレ」とは、今やネット事典「ウィキペディア」にも掲載されている言葉ですが、朝日新聞の解説には、「元暴走族や遊び仲間などがつながったグループ。『半分ぐれている』が語源とされる。近年、都市部を中心に台頭し、警察庁が『準暴力団』と位置付けて取り締まりを強化している。暴力団に属さず、繁華街で集団暴力行為を繰り返したり、特殊詐欺などの犯罪行為で資金を得たりしているとみられている。暴力団排除条例などの影響で表立って活動できなくなった暴力団が、半グレを利用しているとの指摘もある」(2018年12月13日)とあります。

 これまでに、怒羅権以外にもたくさんの半グレのグループの存在が報道されていますが、盃を交わすヤクザのような厳格なタテ社会ではなく、参加も自由で、場合によっては未成年の少年や女の子もいるのが特徴です。一方で、半グレでヤクザの組織にも籍を置く例もあります。汪さんも、一時期は日本のヤクザ組織に所属していたそうです。

世の中に対する「怒り」しかなかった

 半グレのグループでも特に有名な怒羅権は、日本でいじめられた中国残留孤児の二世や三世の少年たちを中心に、1980年代後半に結成されました。

 報道によると、汪さんも14歳の時に日本に来て、壮絶ないじめを受けています。中国ではエリート医師だったお父さんが中国残留孤児の女性と再婚したことで、お継母さんの連れ子も含めた一家7人での来日でした。でも、新しい家族となじめず、居場所がなかったのだそうです。また、お父さんの医師免許が日本では役に立たず、生活も苦しくなりました(毎日新聞15年11月22日付)。

「人って誰かを殴るときにためらうじゃないですか。でも俺らは、何度も喧嘩を繰り返しているうちに、その感覚が麻痺してしまった。相手が死ぬかもしれないとわかっていても、一切躊躇はなかった。俺たちにあったのは、世の中のすべてに対する“怒り”。それだけです」(「FRIDAY」19年5月10・17日号/講談社)

 汪さんは、週刊誌にこう明かしています。いじめや差別、貧困が怒羅権を生み出したことには胸が痛みます。オットの若い衆たちも、そんな子たちばかりでした。

 世間で怒羅権の存在が知られるようになったのは、いつ頃だったでしょうか? 結成された80年代後半から10年ほどの間に、メンバーは800人ともいわれるほど膨れ上がり、13年には警察庁から暴対法の「準暴力団」の指定を受けています。

 いじめから仲間を守る自警団的な意味合いはすぐになくなり、盗んだバイクで暴走し、シンナーを吸ったり、日本の暴走族とケンカしたり、さらにはピッキングなどの窃盗や、みかじめ料の強要などにも手を染めていきました。ヤクザも今は半グレと一緒に活動することが多いようですが、80年代のヤクザは、怒羅権のことは「若造」という感じで見ていたと思います。番組でも、それを思わせる汪さんのお話がありました。

「俺の財布を盗んだヤクザから、『お詫びに一杯飲もう』と言われて飲んだら、今度はその飲み代も払わせようとしたから、殴って日本刀で腕を切り落として、まだ怒りが収まらずに首を切り落とそうとして。やっぱり切れなかった……硬くて」

 怖くて切れないんじゃなくて、硬くてって……。この時の汪さんは19歳だったそうで、ヤクザは汪さんを若造として見下していたから、やられたのかなと思いました。今どきの若いコがこれを言ったら、ちょっとウソっぽいですが、「あの怒羅権」の元幹部が話すとリアルに聞こえますよね。「コイツは怒らせたら何をするかわからない」と思わせるのが、不良なんですよ。

受刑者に本をプレゼント

 そんな汪さんは13年の服役を経て出所し、今は受刑者の更生支援をするNPO法人「ほんにかえるプロジェクト」で受刑者に本を送っています。中国では優等生だったこともあって、獄中でなんと3000冊の本を読んだそうです。

 更生のきっかけは、判決公判での裁判官の説諭でした。

「君の人生や生い立ちには、共感できるところもある。罪を受け止めて償ってほしい」

 そう言われて、裁判官が自分に向き合ってくれていると実感し、怒りも消えたそうです。もともとは豊かな家庭に育っていたから、更生も早かったんでしょうね。逮捕と服役もあって日本国籍が取れないので生活はラクではないようですが、多くの方に支援され、素敵なお連れ合いとも出会えて、まずは順調のようです。現在の怒羅権のメンバーと会って、更生について話し合うこともあるのだとか。

 ネットなどでは冷たい視線もありますし、今後も試練はあるでしょうが、がんばっていただきたいですね。少なくとも私は、「今にコケよるで」的な見方はしていません。

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