有料老人ホーム、職員の“全員辞職”で起こった変化――「入居者を守る」の意味

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2019年09月29日 22:02  サイゾーウーマン

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サイゾーウーマン

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“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。親に介護サービスを提供する側である有料老人ホームの管理職、山岸恵美子さん(仮名・44)の話を続けよう。

どうせ怒られるのなら、入居者のためになることを堂々とやろう

 離婚しシングルマザーになった山岸さんは、昔取得したヘルパー資格を生かし、自宅近くの有料老人ホームの介護職員になった。しかし、介護主任をはじめ介護職員全員から、就職してすぐに無視されるようになる。主任からは、「入居者の家族と一切しゃべるな」など理不尽な命令をされ、そんな空気を察した入居者から避けられることもあった。理由のない集団いじめにさらされ、毎日がつらく、家に帰ると涙が出てしまう。それでも娘を育てるために仕事を辞めるわけにはいかないと、重い足を引きずるようにして出勤した。

 そして、そんな日が1年続いた。

「究極までいじめられました。それが、あるときスーっと心がラクになったんです」

 開き直った、と山岸さんは振り返る。

「辞めるのはいつでもできる。ご家族としゃべるなと言われていても、どうせ叱られるのなら主任の言いなりではなく、入居者のためになることは堂々とやろうと気持ちを切り替えました。そして、これまでとは違うホームをつくろうと決心したんです。意地だったと思います。私が辞めずに毎日出勤すれば、先輩たちはあからさまにイライラするし、『まだ辞めないんだ』と嫌味を言われたりしますが、私は辞めない。ざまあみろ、と思うことにしました」

 山岸さんが、「入居者のために頑張ろう」と決意するきっかけとなったできごとがある。

「まったく言葉を発しない入居者の方が、就寝前の口腔ケアでどうしても口を開けてくれませんでした。そのとき、先輩がその方の歯茎を強く押して、無理やり口を開けさせたんです。さっさと済ませて早く帰りたかったのでしょう。口腔ケアが終わったあとで、私はその方に謝りました。『●●さんの気持ちがわかるのに、守ってあげられなくてごめんなさい』と。すると、その入居者の方は涙を浮かべて、私の頭をなでてくれたんです。それからは、私にだけは口を開けてくださるようになりました。自分では何もできない入居者の方でも、嫌なことはわかります。私がいじめられるなんて大したことではない。ここで生活している入居者の方を守らないといけないと思いました」

 そんな気持ちをホーム長にも伝えた。主任やほかの職員はとうとう「山岸さんを辞めさせないのなら、私たちが辞める」と言い出した。ホーム長が「山岸さんが何をしたんですか」と聞いても、山岸さんに非はないのだから答えられるはずがない。

「ホーム長にとっては、ベテランの職員が辞めてしまうことの方が、私を守るよりもずっと困るはずです。たちまち人手不足になって、ホーム長も現場に出ないといけなくなるのは、目に見えていました。本社からも問題視されるでしょう。それでも、それらを覚悟のうえで、私を守ることにしてくれたんです。ホーム長には本当に感謝しています」

 結局、徐々にではあるが、職員は全員が辞めたという。山岸さんの入居者に対する態度が評価され昇進したことも、いじめていた職員には耐えられないことだったようだ。

「私をいじめの標的にすることで、ほかの職員は一致団結できていたんだと思います。学校と同じ。閉鎖された空間はこうなるんですね」

 山岸さんをいじめていた職員が全員辞めた後は、職員を募集しつつ、派遣スタッフを雇うなど何とかやりくりしながらしのいだという。

「ホーム長は本社から叱られたと思いますが、私には何もおっしゃいませんでした。その恩返しをしないといけないと思っています」

 しかし、それまでの職員が辞めたことで、ホームは風通しのよい組織に生まれ変わった。

「職員がものを言えるようになりました。これまで主任の言うことが全てだったのが、職員から『こうした方がよいのでは』とか『レクリエーションを考えてもいいですか』など、入居者のことを考え自発的にホームの改善点を提案してくれるようになりました。その気持ちを尊重し、得意なことを生かして役割を担ってもらうようにしています」

 今、山岸さんは管理職として、職員採用にもかかわるようになった。「ホームの良し悪しは職員に左右される」という信念は、これまでの経験から導き出したものだ。介護技術は入ってからでも身につくので、入居者の方への思いや人柄を重視して採用するようにしていると言い切る。

 同時に、人の上に立つことの難しさも感じている。

「なあなあになってもいけないし、職員を怒るのも難しい。悩むところですが、私が常に正しいわけでもない。何か考えがあってやったことなのかどうかを判断基準にしています。職員がストレスを抱えると、虐待などにつながります。ここから介護のイメージを変えていきたいんです」

 山岸さんには、もう一つ夢がある。それは入居者を一人ずつでもいいので、思い出の場所や昔住んでいた場所に連れて行くことだ。

「皆さん、最期まで家に帰りたいと思い続けていらっしゃいます。それをかなえてあげられない限り、私は後悔し続けることになるでしょう。入居者には事情を抱えている方もたくさんいます。『私の娘も、今ごろはあんたくらいになっているんだろうな』と言われることもあり、胸が痛みます。私は娘さんの代わりにはなれませんが、自分の親にしてあげたいと思うことをここで実現したいと思っています」

 離婚したとき中学生だった娘は大学生になり、保育を学んでいる。

「子どもは未来に向かって成長していきますが、入居者の方の多くはよくても現状維持。でも保育と介護は似ていると思うんです。入居者の方がリハビリによって状態が改善することがあるのですが、『回復の過程と子どもの発達とは似ているね』とか、『コミュニケーションが大事なところは共通しているよね』などと、娘と会話できるようになったのがうれしいですね。これまでどんなにつらくてもがんばってきてよかった。娘に負けないよう、私ももっと学ばないといけないと思っています」

 「介護は人」だ。親がどんな介護を受けるかは、介護を提供する職員次第なのだ。職員の入れ替わりが激しかったり、一度に多くの職員が辞めたりした施設は要注意だと言われているし、筆者もそう訴えてきた。が、山岸さんのホームのような例もあることを思えば、一概にそれが悪い施設だとは断言できないだろう。職員が入れ替わったことで、よい方に生まれ変わるのならば、入居者にとっても幸運だ。もし山岸さんのホームがこれまでのままだったら、入居者はどういう毎日を送っていたのだろう――。それを考えると恐ろしくもある。

坂口鈴香(さかぐち・すずか)
終の棲家や高齢の親と家族の関係などに関する記事を中心に執筆する“終末ライター”。訪問した施設は100か所以上。 20年ほど前に親を呼び寄せ、母を見送った経験から、 人生の終末期や家族の思いなどについて探求している。 

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