天皇の落とし子とされる「一休さん」、50歳下美女と驚きのセックスライフ!?【日本のアウト皇室史】

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2019年10月05日 20:02  サイゾーウーマン

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サイゾーウーマン

堀江宏樹さん(撮影:竹内摩耶)

 皇室が特別な存在であることを日本中が改めて再認識する機会となった、平成から令和への改元。「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な天皇家のエピソードを教えてもらいます!

セックス、肉食……宗教のタブーに切り込む「一休さん」の奔放さ

――前回に引き続き、室町時代の天皇・後小松天皇の御落胤(父親に認知されない庶子、私生児)かもしれない一休さんこと、臨済宗の僧侶・一休宗純(いっきゅうそうじゅん)(1394〜1481)についてお話をうかがいます。一休さんが「天皇の子どもかもしれない」というウワサは朝廷も黙認し、現在でも、京都・酬恩庵一休寺にある一休さんの墓所は、宮内庁が管理しているんですよね。また、一休さんの母親は、天皇からの寵愛を受けるほど、恋愛能力が高く、そのDNAを受け継いだ一休さんも“エロい”大人になったのでは? というお話で終わっていました。

堀江宏樹(以下、堀江) そうですね。では早速、大人になった一休さんについてお話することからはじめましょうか。

 5歳で京都・安国寺で出家、仏門に入った一休さんですが、数え年25歳で悟りを得るまでは迷走する日々が続きました。25歳のある夜、闇夜に響くカラスの鳴き声を聞いて、「姿は見えなくてもカラスはちゃんといるように、見えない仏様も実在している。私たちの心の中に……!」と悟ったわけです。「人は自分の心のままに」。それこそ「“ありのまま”に生きればよい」とね。しかし、悟りを開いたはずの一休さんですが、僧侶にはご法度とされていた“飲酒”や“肉”を口にしていたそうなんです。さらに、煩悩が宿るとされていた髪の毛も剃らずに伸ばし、女をバンバン抱くようになったとか……。当時でも臨済宗は、結婚・妻帯はおろか恋愛禁止ですし、女性とのセックスも絶対にダメ。

――「ありのままに」はいいですけど、ちょっと意味をはき違えているような……。

堀江 そのほかにも「女には飽きた。今度は男(=美少年)だ!」というようなことも言ってたみたい(笑)。いろんな意味で“肉食系”、“ヤバい”人物といったイメージが湧いてくると思いますが、実は当時の仏教界を皮肉るための“パフォーマンス”だったという説もあるんです。一休さんは寺の住職の座に収まろうとはせず、常に民衆と同じボロボロの衣を身にまとい、彼らと共に暮らしていたと伝えられます。その行動には、民衆に寄り添わず、心を救おうとしない仏教界の重鎮への「批判」が込められていたのでしょう。

――一休さんに“奇人”のイメージがついてしまいそうでしたが、民衆の心に寄り添う素晴らしい僧侶だったようで、ホッとしました。

堀江 “しかし”というか、“だからこそ”というべきなのか……。一休さんは詩集『狂雲集』の中で、70代後半を迎えた彼を慕う、20〜30代の盲目の美女・森女(しんにょ)との性愛の日々を漢詩につづり、披露しています。50歳ほど歳の離れた森女とのセックスについて、『婬水(いんすい)』という漢詩で、セキララに表現したと言われていますが、よく引用される一節に「美人の陰、水仙花の香(かほり)有り」というがあるんです。現代訳すれば「君のアソコは水仙のかおり」。「陰」を「かげ」または「いん(つまりアソコの意味)」と読むかは、読者の品性に任せられるってことですが、“エロ”の中にも気品を感じませんか(笑)? また、別の箇所には「口に清き香、満(み)つる」といった表現があり、これは“ディープキス”とまでいかなくても、森女の息の香りがわかるほどに“密着”している様子であると読み解くことができます。ま、どう転んでも“エロス”に満ちた漢詩であることは間違いないですし、一休さんが“スケベ”だったのは明らかですけど。

――当時の70〜80代といえば、現在の90〜100歳くらいに相当すると考えられるので、かなりの高齢者。漢詩まで用いて“五感”をフル活用するセックスって、体力・気力をものすごく必要としそう……。

堀江 逆に感心しちゃいますよね〜。ただ一休さんは、単に“エロ”かったのではなく、“盲目”の森女に語り聞かせるために書いていたと推察できます。俳優・原田龍二や、お笑いトリオ・東京03の豊本明長のように、性欲が全面に押し出されたLINEのトーク画面のスクリーンショットが世に出回るのとはわけが違う(笑)。一休さんのエッチな漢詩については、ロマンティックというか官能的な感じがしますよね。小説家・瀬戸内寂聴のどの本だったか失念しましたが、とある女性と恋におちた老紳士いわく、「老いらくの恋は、肉体的なセックスをできないからこそ、気持ちが極まる」という一節を読んだことがあります。一休さんのエロティックな漢詩も、それと同じ匂いがするんですよね。

 話はそれましたが、現役の僧侶にもかかわらず、“性的”な文章を書いてしまう一休さんは、88歳で亡くなっています。そして、森女のその後はよくわかっていません……。

――一休さんは、森女と官能的な日々を送る以外に、どのような晩年を過ごされたんですか?

堀江 「自由」を愛した一休さんですが、晩年は後土御門天皇から、皇室とゆかりの深い京都・大徳寺を再建、住職になるようお願いされ、断りきれなかったという記録が残っています。それが、なんと80歳の時! 5年かけて寄付金を募り、なんとか大徳寺を再建したものの、その2年後に一休さんは亡くなりました。また、一休さんが亡くなって約10年後。 一休さんを開祖として建てられた京都・真珠庵が再建されました。応仁の乱で燃失していたのを、一休さんを慕う堺の豪商が建て直してくれたのです。また、そこで一休さんの十三回忌、三十三回忌が行われた際、森女と思われる女性が、お布施をしたという記録が残っているんですよ。

――一休さんのことを、本当に慕っていたんですね〜。いろいろと“濃い”人生を送ってきた一休さんですが、そんな彼のDNAを受け継ぐ、お子さんはいたんですか?

堀江 御落胤などウワサがつきまとう星の下に生まれた一休さんですが、彼の子孫を“称する”人物はいます。一休さんの庶子で、母親は不明。臨済宗の僧侶になって、法名を紹偵(しょうてい)といいます。一時期、一休さんの弟子だったそうですが、素行が悪い人だったみたい。もしかしたら、天皇も一目置く一休さんの“ビッグネーム”を利用しただけなんて説もあるとか。

 それにしても、一休さんの「背景」を知ってしまったら、あのかわいらしいアニメを、二度と純真な気持ちでは見られなくなりますね(笑)。アニメに出てくる「将軍さま」こと足利義満も、実は孫の一休さんのことが気になるあまり、会いに来まくってるのかもしれない!? とか思えてしまって。

 ちなみに、一休さんの最期の言葉は「死にたくない」だったとか……。性欲と生命力の強さは比例するんですかね。

――次回は10月19日更新です!

堀江宏樹(ほりえ・ひろき)
1977年、大阪府生まれ。作家・歴史エッセイスト。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。2019年7月1日、新刊『愛と欲望の世界史』が発売。好評既刊に『本当は怖い世界史 戦慄篇』『本当は怖い日本史』(いずれも三笠書房・王様文庫)など。
Twitter/公式ブログ「橙通信

このニュースに関するつぶやき

  • 一休和尚、子供の頃の頓智坊主は有名で、大人になってからのひねくれエロ坊主逸話はそれに次ぐ、意外に知られていないのが、大人になってからの友人の浄土真宗蓮如上人との頓智合戦話。
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