“7人の野球部”から2年で西武の切り札に…離島からやってきた158キロ右腕・平良海馬【連載:ドラフト“隠し玉”ヒストリー】

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2019年10月10日 17:10  ベースボールキング

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今季はプロ初勝利も掴んだ西武・平良海馬
◆ “隠し玉”ヒストリー【第4話:平良海馬】

 ドラフト候補は、すべて強豪チームにいるわけではない。無名校、弱小チームから原石が現れる例も多く、時には離島に潜んでいることもある。

 2017年、沖縄・石垣島にある八重山高校の野球部を取材で訪れた際、ショッキングなニュースを聞いた。「八重山商工の部員が7人になった」という内容だった。

 八重山商工とは、日本最南端の高校ながら2006年に春夏連続で甲子園出場を果たしてその名を知られたチームである。伊志嶺吉盛監督が小学校から中学校、高校と身体能力の高い島の子どもを鍛え上げたドラマチックなチームだった。当時のエース右腕・大嶺祐太は、2006年秋のドラフトでロッテに1位指名されている。

 そんな八重山商工も伊志嶺監督が2016年夏を最後に退き、大分の日本文理大付の監督に就任。ただでさえ少子化のあおりを受けている上に、近年は島内の八重山高校や八重山農林に選手が流れているという。

 その話を聞いて、取材を終えた後に近所である八重山商工に向かってみた。薄暗い照明がグラウンドをささやかに照らすなか、確かに7人の野球部員が輪になってトレーニングに励んでいた。

 そのなかに、平良海馬はいた。当時高校3年になる直前だったが、その名はすでに沖縄県内で知られていた。投げては147キロの速球派右腕、打っては飛距離140メートル級のスラッガー。173センチ・84キロという投手らしからぬ厚みのある体型と、愛嬌のある顔つきが印象的だった。


◆ 今季は最速158キロをマーク

 写真を撮らせてもらいながら、少し話をさせてもらった。

 口が滑らかなタイプではなかったが、印象的だったのは「なんとかプロに行きたい」という強い思いを持っていたことだ。だから厳しい監督がいなくなっても、部員が足りなくても、毎日懸命に練習していると平良は言った。

 その後、八重山商工は春の県大会は部員不足のため、宮古工と連合チームで出場。夏の沖縄大会は新1年生を加えて単独チームで出場した。結果は1回戦で0−1と敗退したが、平良は最速154キロを計測。球場に詰めかけた11球団のスカウトの前で大いにアピールした。

 そして、2017年秋のドラフトで西武から4位指名を受けて入団。現在は体重95キロとさらにスケールアップを果たし、2年目の今季は自己最速となる158キロを計測。19歳ながら一軍戦力に加わり、26試合にリリーフ登板して2勝1敗1セーブ・6ホールド、防御率3.38の活躍でリーグ優勝に貢献した。

 練習試合の相手も少ない離島で、部員わずか7人という環境で腕を磨いていた。そんな平良の姿を見たからこそ、今の栄光はとびきりまぶしく映る。


文=菊地高弘(きくち・たかひろ)

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