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殺人の手付金は水晶1000万円――裕福な“箱入り娘”が心酔した教祖【板橋・占い師グループによる射殺事件:前編】

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2019年10月13日 21:02  サイゾーウーマン

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サイゾーウーマン

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世間を戦慄させた事件の犯人は女だった――。平凡に暮らす姿からは想像できない、ひとりの女による犯行。自己愛、欲望、嫉妬、劣等感――罪に飲み込まれた闇をあぶり出す。

 数日前に梅雨入りしていたが、その日の東京は、昼から晴れ間がのぞいていた。2001年6月9日、東武東上線下赤塚駅を北側に進んだ板橋区赤塚6丁目には、古いアパートや小学校、銭湯などが並ぶ。下町の風情を残した住宅街のなかで一際目立つ、タイル張りの塀に囲まれた豪邸の前に段ボールを抱えた男が立ち、インターホンを鳴らしたのは、夜の帳が降り切った20時55分のことだった。宅配便にしては遅い来訪だ。

 その直後、「パーン」と風船が割れるような乾いた音が周囲に響いた。何事かと外に飛び出した近所の者たちが集まると、この家に住む丸山寿治さん(70=当時)が、玄関で倒れており、その下に広がる血だまりがみるみる大きくなっていくのだった。

第6回:東京・板橋 占い師グループによる射殺事件

 丸山さんはこの日、宅配業者を装った男に銃で撃たれ、病院に搬送されたが、翌日未明に出血性ショックで死亡。銃弾は腹部を貫通していた。警察は、現場に残されていた薬莢から、犯行に使われたのは中型拳銃のマカロフとほぼ断定。捜査を開始した。

 工務店経営者の丸山さんは、新潟の出身で20歳の時に上京。もともと大工として働いていたが、東京オリンピックの年に、都営住宅30戸の工事を任され、それを機に独立。以降、建売住宅を作る仕事を地道にやってきた。事件当時は、体の具合が悪い妻と二人で暮らしており、平日は親族がその世話をしに通っていたが、夫婦だけになる土曜に事件が起こったことから「極めて計画的なプロによる犯行」と目された。また丸山さんは数年前に糖尿を患って以降、思うように仕事ができなくなり、土地転がしや競売物件に手を出すようになっていた。そのため、金銭トラブルによる犯行ではないかともみられたが、近所の者はそれを否定する。

「競売で競り落としたのは北区にあるマンション一棟だけ。老後の家賃収入を確保しようとしてのことです。土地転がしについても“60坪か70坪の土地を買って、二つに分けて売ったら儲かった”という話を聞いたことがある程度。確かに、かなりの蓄えがあったようでしたが、大工上がりの地味な人で、酒も女もやらなかった」

 丸山さんの生活ぶりからは、とても突然殺し屋に狙われるような人物像が浮かび上がらないが、捜査が進むにつれ、家庭内で問題を抱えていたことが徐々に明らかになる。だが決定的な決め手がないまま時間が過ぎる中、進展を見せたのは翌年の02年12月。元暴力団員A(46)が「仲間4人と組んで人を殺した」と警視庁に自首してきたのだ。Aはまた「自分は拳銃の処分をしただけ。成功報酬は2000万円」と自供。これにより、翌月の03年1月、丸山さん殺害の実行に関与したとして5人が逮捕された。

 5人のうち、Aを含む4人は実行犯として関わり、その指揮をとったのは、占い教団「グループ向日葵」のナンバー2、渡辺義介(47)。「グループ向日葵」は、吉川タカ子(64)が教祖を務める教団で、最盛期には200人ほどの会員を抱え、事件の2年ほど前からは、都内の寺の境内で年明けに「星祭り」という催しもしていた。そこでは護摩焚きなどが行われ、出店もあり、境内には多くの会員が詰めかけていたという。そして、かつては当時人気絶頂のSMAP・香取慎吾も吉川と交流があったとみられている。

 香取と同じように、この「グループ向日葵」の吉川と交流を持ち、また心酔していた会員の一人が、丸山さんの娘、笠原友子(44)だった。渡辺をはじめとする実行犯の逮捕ののち、吉川と同会アドバイザーの民野茂樹(48)、実行グループに拳銃を売ったという元暴力団員(46)が逮捕。そして同年2月23日、友子も逮捕されたのだった。

 友子は仕事熱心な丸山さんの長女として生まれた。

「弟さんがいたんですが、小学生の頃に事故で亡くなったこともあって、幼い頃から大事に育てられていました」(実家近くの知人)

 実際に丸山さんも「あの娘にはいくら金をかけたかわからない」と生前にこぼしていた通り、友子は中学から短大までエスカレーター式の私立女子校に進学した。

「俗に言う“箱入り娘”でツンとしたところがあって、会っても挨拶したことなかったわねぇ。いつもブランドの服を着て、ボーイフレンドに車で送り迎えさせてました。ちょっとこの辺じゃ見かけないお嬢さんだったことは間違いないわね」(近所の主婦)

「おしゃれで華やか。ブランド物を身につけ、六本木でよく遊んでいました。学校にはお嬢さん育ちが多いのですが、1ランク上という感じでした」(同級生)

「高校生の時に冗談で『お父さんのおカネは私が全部使ってやる』と言っていた」(友人)

 弟を亡くした両親から溺愛されて成長した友子は、1984年に、24歳で電子機器製造株式会社で役員を務める男性と結婚。2人の男の子に恵まれた。だが、家庭をもうけても、子ども時代と同じように、贅沢な生活を続ける。東京・渋谷区の一等地に自宅を構え、毎年家族で海外旅行に行き、息子2人を私立の名門幼稚園に入園させた。塾にも熱心に通わせ、大学までエスカレーター式の超有名小学校を受験させ、ベンツで送り迎えする日々を送る。

 こうした費用は、彼女がかつて子どもだった時と同じように、友子の両親が負担し続けていた。丸山さんに隠れ、母親から月に50万円の金を無心し続けていたのだという。

父との断絶で遺産相続に焦り――「相続から排除されてしまう」

 しかし、そんな甘えた生活は永遠には続かなかった。事件の3〜4年前、友子の夫が役員を務めていた会社が倒産し、多額の借金を抱えることになったのだ。友子は躁鬱状態となり、親戚に会っても挨拶すら交わさなくなっていく。この頃、友子の実母が具合を悪くしたこともあり、丸山さんから「一緒に住んでくれ」と頼まれたが、友子は事も無げにこう言い放った。

「板橋は田舎臭くさいからイヤ」

 父と娘の関係に亀裂が入ったのはこの時だった。丸山さんは、それまで大目に見ていた金の無心を断るようになり、故郷である新潟県内に所有していた土地やビルを、自身の弟と甥に譲るという内容の遺言書を作成。甥との養子縁組を決めた。

 焦る友子。ちょうどその頃、渋谷のエステティックサロンで知り合い、親しくなっていた吉川にこう訴えたのだった。

「お父さんが勝手に、甥との養子縁組を決めて、遺言状も作ってしまった。このままでは私も母も遺産相続から排除されてしまう」

 さらに「お父さんの会社の金庫に一億円あるのでそれを払うから」と、あろうことか父の殺害を依頼したのである。友子は、子どもの進学について吉川に相談したことがあり、それ以降は信頼しきっていたという。殺害の“手付金”として、水晶玉の購入代金1000万円を「グループ向日葵」に支払った。こうして、吉川の指示を受けた渡辺ら実行犯グループが暗躍し、丸山さんは殺害されてしまった。
(高橋ユキ)

――後編は10月14日公開

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