『なつぞら』が描き続けた“命を与える”営み 改めて胸に刻みたい、泰樹がなつへ授けた言葉

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2019年10月14日 06:11  リアルサウンド

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『なつぞら』写真提供=NHK

 『なつぞら』(NHK総合)の放送が終了して、早くも2週間。朝ドラにはそれぞれの作品ごとに違った魅力が隠されており、第100作目にあたる本作もまた素敵なメッセージがたくさん散りばめられていた。


 アニメーションとは、動かないものに“魂”を与えて動かす、“命を与える”ことを意味するのだと本作で知った。思うに、この「命を与える」という営みはアニメーションに限らず、なつ(広瀬すず)を含めたあらゆる登場人物が、本作中で行ってきたことに通ずるのではないか。


 絵を描くことも、土地を耕すことも、舞台の上での演劇も、お菓子作りも、あるいは一杯の天丼を作ることだってそうだ。それぞれのやり方で、“命”が与えられる場面が丁寧に描かれてきた。アニメーション製作で言えば、登場人物の設定から物語の細部に至るまでとことん作り上げていく中で、なつや坂場(中川大志)たちはひたすら作品のリアリティを追求していった。子どもであろうと、大人であろうと、ワクワクさせることができて、観る者の感性や知性に訴えかける作品。そんな作品の製作の裏側には、彼らの葛藤と努力があったのだ。一時北海道に帰ってきて、なつと倉田先生(柄本佑)が再会した場面で、先生はなつが携わったアニメを観て「お前の魂を感じた!」と言うが、“魂”の存在、“命”の存在はときにこうしてしっかりと伝わるのである。


 父の雪之助(安田顕)に認めてもらうべく、バタークリームのケーキを作ったときの雪次郎(山田裕貴)の姿にも、“魂”を込めようとする姿があった。あるいは、なつや咲太郎(岡田将生)が千遥(清原果耶)の天丼を食べたときに、深い感慨に包まれたのもまた、そこに家族の記憶というある種の“命”が宿っていたからかもしれない。


 そして、『なつぞら』ではアニメーションの製作自体もそうであるが、結婚、妊娠・出産、そして育児という人生のステージの中で直面する壁も、作中の随所で描かれてきた。会社に直談判しなければならないときもあれば、保育園に落ちることだってあった。製作の現場だけではなく、仕事から帰ってきてからも、日々頭と体をフルに使うなつの姿がそこにはあったのだ。


 そんなときなつの周りでは、しばしば手を差し伸べてくれる人々がいた。産後も東洋動画で正社員として働けるように力を貸してくれたのは、仲さん(井浦新)や神っち(染谷将太)だった。あるいは、優を預ける場所が見つからなかったときに、面倒を見てくれたのは茜さん(渡辺麻友)だった。「東京を耕してこい」と泰樹から励まされて上京したなつ。ただ、「耕す」ことはいつも自分だけでできるとは限らない。それはときに誰かの力を借りなければいけないときもある――ちょうど、子どもの頃、天陽の家の畑で農業ができるように、皆で切り株を引き抜いたときのように。


「人は人を当てにする者を助けたりはせん。逆に自分の力を信じて働いていれば、きっと誰かが助けてくれるもんじゃ」


 これは、まだ幼かったなつが雪月でアイスクリームを食べるシーンで、泰樹から掛けられた言葉である。なつは決して「人を当てに」すればいいなんて考えてこなかったし、それは幼い頃からずっとそうである。まずは自分ごととして困難を引き受けて、その上で何ができるかと必死に考えて、できることは可能な限り自分の力でこなしてきた。それでもどうにもならないときには、なつは感謝して周りの力を借りてきた。困っているとき、辛いときには、きっと自分の頑張りや辛さを知っている人がいる。それは当たり前のことのようであるが、実は現代の私たちが今最も知っていなくてはならないことかもしれない。開拓者たる者、力強く、勇ましくというのは、アメリカ人的なフロンティア・スピリットであるが、常に一人で力強くなんて、どだい無理な話である。


 そして、本作ではヒロインのなつのドラマだけではなく、役者を目指した後、父親の背中を追っていった雪次郎の物語、なつと同じく子どもを授かって、料理人として腕を磨いてきた千遥の物語、北の大地で農業をする傍ら、絵を描き続けた天陽の物語など、それぞれの舞台で大地を切り開くドラマが描かれてきた。作中で色濃く描かれたものもあれば、視聴者の想像に委ねられたものもあった。いずれにせよ、『なつぞら』は様々な「開拓」の在り方を鮮やかに映し出した朝ドラであった。人は皆、開拓者。そのことを教えてくれた朝ドラに感謝したい。(國重駿平)


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