ホーム > mixiニュース > エンタメ > 芸能総合 > くらもちふさこ、ジャニーさんに共感「若い男の子はときめくというより、いじりたい」

くらもちふさこ、ジャニーさんに共感「若い男の子はときめくというより、いじりたい」

1

2019年10月14日 18:00  週刊女性PRIME

  • 限定公開( 1 )

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

週刊女性PRIME

写真くらもちふさこさん プロフィールイラスト
くらもちふさこさん プロフィールイラスト

 長年、少女マンガを描き続けてきて、ファンのみならず同業者からも強い尊敬の念を集める作家、くらもちふさこ先生。常に時代の最先端を行くスタイリッシュな絵には誰もが憧れたし、行間を読ませる会話や抑制の利いた演出は、まさに超一流のマンガ表現の宝庫だ。

 近年、朝ドラ『半分、青い。』の登場人物のモデルとなったことで再び注目を集めているが、その変わらない作品の魅力と、時代に即して変わり続けられる稀有な柔軟性の源泉を探った。(聞き手・文/小田真琴)

                 ◆ ◆ ◆

自分で経験したことしか描けない

──デビューから47年がたった今でも、くらもち先生は「少女マンガ」をお描きになっています。同世代の多くのマンガ家さんが大人向けのマンガを描いたりしている中で、くらもち先生の唯一無二の存在感が際立ちます。

 この世界に入って最初に覚えたスタイルが「実体験に基づいて描く」という方法でした。ウソのないものがいちばん読者に伝わるんですよね。デビューした当時の私がまだ10代だったからっていうのもあるんですけど、その「実体験」がたまたま少女の気持ちだったんです。

──年を重ねるとともに、その初期衝動が薄れたりはしなかったのでしょうか?

 そういうものが自分の中でフィットしなくなっていけばおそらく変わったんじゃないかと思いますけど、あ、まだ全然本気で描ける!っていう状態が続いておりまして(笑)。

──すごいことですね。

 私が独身で子どもも産んでいないから生活に変化がなかったということも大きかったと思うんですよね。スタイルを変えていかれる方は、自分の生活環境に変化がある方が多いので。

──編集サイドから大人向けを描いてほしいというオファーはなかったのでしょうか?

 『別冊マーガレット』を卒業して『コーラス』に移ったときにありました。雑誌のコンセプトが「少女まんがもオトナになる」だったので(笑)。気持ちの中では大人っぽくしようとしていたんですけど、まぁ描いてみたら、やっぱり少女マンガだったんです。それが『天然コケッコー』。

 主人公は中学生ですが、大人が読んでも喜んでもらえるものを描いたつもりでした。やっぱりまわりの状況にあわせて、スタイルを変えることはできなかったんです。

──先生の世代は24年組(※1)の洗礼をもろに受けてきたと思うのですが、その影響はなかったのですか?

 わたしも高校生のころにハマりました! 『ポーの一族』を描く前のころの萩尾望都(※2)先生をよく読んでいました。「少女マンガ」の枠を取り去りましたよね。

──先生はそういう世界はお描きになりたいとは思わなかったのですか?

 自分の器の限界を知っていますので……。読者としては楽しく読ませていただきましたが、自分の力を100%出しきれるっていうのは、自分のスタイルで描いてきた世界だったんです

──過去の短編で『セルロイドのドア』というSFっぽい作品もありますが。

 あれは子どものころから自分の頭にあった童話的な世界を描きました。こういう形もあるかなって思ってマンガにしたんです。

──やはり実体験だったのですね。作品の中に実際にお住まいになった場所もたくさん登場します。

 私が小中学生のころは、みんな水野英子先生が描くドレス姿とかに憧れたものですが、その時代の読者は作家が想像で描いた作りごとの世界が好きだったんです。ところがある時期から学園ものとか恋愛ものが流行りだしたことでリアルが追求されるようになってきた。

 そのころから私も舞台設定を意識するようになって、自分が生まれ生きてきた土地であったり、一度でも足を踏み入れた場所であったり、その空気を感じたことのある土地を描いて、物語の世界を作り上げるようになったんです

──『いつもポケットにショパン』の舞台は代官山ですよね。

 ピアニストになるために英才教育をうけるお子さんたちが住んでいるのはちょっと特殊な世界だと思ったんです。自分が知っている所ではどこなんだろうって思った時に、生まれ育った渋谷の代官山がありました。私がいたころは野っ原だったのですが、作品を描いた1980年代の代官山は、大使館があったりして高級感があった少し気取った街だったので、いいのかもしれないとチョイスしました。

──『海の天辺』は池袋、『駅から5分』『花に染む』は駒込、『天然コケッコー』はお母様の故郷の島根ですね。

 『いろはにこんぺいとう』は以前に住んでいた社宅でした。やはり住んでいた場所というのは、思い出そうとするうちに、あんなことがあった、こんなことがあった、というエピソードも蘇ってくるんですよね。

──記憶力がいいんですね!

 いやいや、逆です! 主人公の名前ですら忘れるんです! 打ち合わせでも、なんだっけほら……あの主人公の……みたいな! 『くらもち花伝』(※3)を出した理由のひとつも、最近あまりにも忘れっぽくなってきているので、記録してもらうためだったんです(笑)。

──逆に若くして売れっ子になってしまったがゆえに、できなかたったこと、描けなかったこともあったのでは?

 やっぱり結婚とか出産をしていたら自分の作品にどう影響していたかを見てみたかったのはありますね。お見合いをしたこともあったのですが、マンガを描きながら主婦業をするというのは、今の時代なら理解してくれる方も多いのでしょうけど、当時はなかなかそういう方には巡り会えませんでした。

 ただ20代、30代のころは、結婚願望がないわけではないんですけど、作品を描きたいという意識のほうが強かった。不器用な人間なんで、両方はできないなって。

理想の絵を探し求めて

──先ほどターニングポイントとして『天然コケッコー』のお話がありましたが、この影響は大きかった?

 そうですね。自分の中では冒険したつもりなんですけど……。

──第一印象として絵ががらりと変わりました。舞台は田舎なのにとてもスタイリッシュな絵で、こう来たか!と感動しました。

 ありがとうございます。絵に関しては、なかなか好みの形に到達できなくて。

──以前に読んだインタビューで「自分の絵をうまいと思わない」とおっしゃっていて、くらもち先生ほど絵がお上手な方もいないのに、不思議に思ったんです。

 下手でもいいんですけど、自分で好きだと思える絵に行かないんです。いまだに。だからきっとまたなにか描いたら、絵が変わると思います。

──理想にたどりつけない?

 ほかのマンガ家さんの絵では好きな絵がいっぱいあるんですよ。でも、じゃあそれをまねてみようかと思っても、自分のものにはならないんです。その人を超えなきゃ意味がないし。

──どんなマンガ家さんの絵がお好きなんですか?

 私の絵は生真面目な感じのかちっとしたものになってしまいがちなので、もうちょっとやわらかい線が理想ですね。谷川史子先生とか、田渕由美子先生とか、萩岩睦美先生とか……。ああいうタッチは絶対に描けないんです。ふわっとした感じの……。

──綿菓子のような?

 そうです! 谷川史子先生の旦那さんの青木俊直(※4)先生が究極の完成形ですね。細かいわけではないのに形は取れてるし、最短の、いちばん少ない本数の線で、確実なものを描かれてる。

──それは意外でした!

 ああいうふうになりたいとは思うけど、無理(笑)! 私の本質にはないものなので。そういう方向に向かいながら、自分のスタイルが確立できたらいいとは思うんですけど。

本当に描きたいことは外からやって来る

──『いつもポケットにショパン』(※5)のお母さんや『海の天辺』(※6)の山崎先生など、くらもち作品の作品にはすてきな大人のキャラがいて、その大人の視点や倫理観が作品にしっかり織り込められています。

 描いたのが20代の後半だったのですが、当時の私が好きだった大人の女性像への憧れが強く反映されています。キャラクターは私の分身で、もちろん主人公は私自身ではあるんですけど、子どもっぽい部分が主人公で、主人公に入れられない部分はまわりのキャラクターに入れていきました。

──どなたかモデルがいたのでしょうか。

 山崎先生のモデルは私の高校時代の先生で、ちょっといいなと思っていた音楽の先生と漢文の先生のミックスです。生徒に媚びず、すました感じのクールな先生でした。だけどなぜか私は怖いとも思わず、将来、少女マンガ家をめざしたいという相談を、担任ではなくその先生にしたことがあるんです。動物的な勘なんですけど、その先生に言いたくなったんですね。

 大人になって、ああ、私、ああいうタイプが好きだったんだ、だったらあのタイプ描きたいな、と、そういう流れですね。

──それと同時に子どもの世界も生き生きとお描きになる。今の10代の子たちのカルチャーにも詳しいのがすごいです。

 仲良しだった多田かおるさんがものすごいオタクだったんですよ。アニメイトに連れてってもらったり、ゲームも多田さんに教わりました。ゲーム機を買って『ドラクエ』やりだしたり(笑)。

──身の回りに素晴らしいガイド役の方がいらっしゃったんですね。

 多田先生以外にもマンガ家さんってものすごく知識が豊富な方たちばかりで、そういう方々とお付き合いをしていると、ツイッターやインスタのやり方も教えてもらえるんですね。勉強っていっていいものかわからないのですが、そういうところで面白いと思えることがいっぱい吸収できたんですね。

 それがあったからここまで描けたと思うし、そういう外から入ってくるものがなかったら、もっと早く描けなくなっていたように思います。

──自分の中から出てくるリアルなものと、外から入ってくる新しいものとの相乗効果で作品が作られているのですね。

 それこそ現金書留封筒の口みたいに、幾重にも折り重なってできているんですよ。自然に描きたいと思えるものは、自分で探すよりも飛び込んできてくれるものでした。

──なんでも「面白がれる才能」もあるのでは。

 自分自身にたいした知識はないんです。ただ、面白いと思ったものは自分の中に吸収したくなる。オタクだしミーハー。そういうものがないと、ここまで来れなかったでしょうね。

──今はスマホをお使いのようですが、もしかして『DQウォーク』(※7)もやってますか?

 やってます(笑)! スマホでよくゲームするんですよ。いま若い人たちがゲームとかアニメの方に傾いているんですよね。だから触れておきたい世界なんです。遊びではあるけど、どこにつながるかわからない。なにをやっててもムダは一切ないなと思います。

──いまお母様の入院生活をお手伝いなさっていますが、それも貴重な経験でしょうか。

 面白いです、というのも不謹慎かもしれませんが、いろんなお年寄りや看護師さんにお会いできるんですけど、考え方とか人との接し方が見えてくるんですよね。非常に勉強になりますし、私は就職せずにこの世界に入ってしまって、ほかの社会を見てないから、いろんなことが新鮮でしょうがないんですよ。

ついに“ジャニーさん目線”に到達

──週刊誌はご覧になります?

 母が入院している病院でよく読んでいます。面白いですよね!

──アンコールが3回』や『ハリウッドゲーム』などのバックステージものもお描きになってきたくらもち先生。芸能関係もお好きと伺っていますが、最近のイチオシは?

 若い男の子に関しては、ときめきというよりは、俳優として面白いとか、そういう視点で見るようになってきましたね。松坂桃李くんは好きです。俳優としてこの人いいなって。『アシガール』の伊藤健太郎くんもいいよね。女の子ではフカキョンが大好きです。『ルパンの娘』にハマっちゃって。

──SMAP後の男性アイドルはいかがですか。

 ジャニーさんが亡くなったじゃないですか。あまり表に出ない方だったし、最近はもうずっと人任せにしてるのかなぁって思ってたんですけど、そうじゃなかったって話を聞いて、もう涙が出そうなくらい「わかる!」って思ったんですよ

──まさかのジャニーさん目線!

 若い男性の歌手でも、俳優さんでも、「この子、髪型変えたらもっとよくなるのに……」って、プロデュースしたくなるんです(笑)。

──YOU、髪型変えちゃいなよって(笑)。

 (笑)。だからね、ときめくというより、いじりたい(笑)。マンガだとそれが自由にできちゃうんですよね。そこに通じてるんだと思うんです。ほんとおこがましいと思ってますけど、でもほんとジャニーさんは立派だったって思ってます。

──先生はずっと集英社でお描きになってますよね。

 私自身は作品が描きやすい環境ならどこでもよかったのですが、本当に恵まれていまして、集英社はずっと描きやすかったんです。

──「別マまんがスクール」のご出身でしたよね。骨の髄から集英社!

 講談社にも投稿はしていたんですけど、集英社さんは面倒見がよかったんです。鈴木光明先生が添削して、原稿用紙2枚くらいに細かい字でびっしり講評を書いてくださるんですね。ものすごくしごかれて、育てていただきました。

──たくさんの作家が育ちました。「別マまんがスクール」を主導していた編集者さんはその後、白泉社に移って、『花とゆめ』や『LaLa』にも同じシステムを導入しましたよね。

 そうなんです。美内すずえ先生のマンガによく出てくる名物編集者の方です。「くらもちさんも白泉社においでよ」っていわれました(笑)。

──そうだったのですか! かなりの作家さんが移りましたよね。

 美内先生、和田慎二先生……山岸凉子先生もそうですね。私は美内先生のアシスタントでしたから、先生についていこうかとも思いましたし、白泉社に行っていたらどうなっていたかと今でも思うんですけど、同期でやっていたマンガ家さんたちが動かなかったんですよね。やっぱり仲良かった方たちがいるところでやっていこうかなって。

──妹さんの倉持知子先生や、多田かおる先生、聖千秋先生ですよね。

 みんなでお手伝いしあってましたね。今でも聖先生とはいちばんの仲よしで、こんなに長いおつきあいになるとは思わなかった。今の作品(『スパデート』)もノリにノッていて面白いです。

──いくえみ綾先生のペンネームはくらもち先生の作品のキャラクターの名前から取られてるんですよね。昨年は2人展も開催して大盛況でした。

 歳は7つくらい離れてますね。もうこれくらいの歳になると差はあまり感じない。お互いよく生き残ってきたなあって、そんな同志みたいな感じです。

少女マンガを描くということ

──振り返るとあっという間ですか?

 そうですねえ…。45周年のときだったかな? 2人展やりませんかっていくえみ先生に言われて。そのときの正直な感想がまだ45年なのかと。以前にちばてつや先生が50周年を迎えられた時に、50周年か、私はそこまでやれないだろうな、って思っていたらあと2年(笑)。だから50周年になったら自分でお祝いしてもいいかなと思っています。

──現在の連載は『ココハナ』(※8)でのエッセイのみですが、今はネタを仕込んでいる状態でしょうか? 『花に染む』が長かったですものね。

 そうですね。『花に染む』が終わって私は矢吹丈になったんで、しばらく描けない! 白い灰だよ! ってみんなに言って回ってましたね(笑)。

──でもまたお描きになろうとしている(笑)。宮崎駿監督が引退宣言を撤回して新作を製作中ですが、同じような状態でしょうか?

 あの気持ち、本当にわかるんです! やめるっておっしゃっていたのに、でもすぐに描かれて。その心の動き方、とってもよくわかるんです。

──生みの苦しみはやはり強いストレスなのでしょうか。

 連載中は休んでいても、最終回になるまでは心底からは休めない。ずっと責任みたいなものを抱えているんです。きちっと自分の納得のいくところに着地させないといけないという、その緊張がずっと続いてるんですね。だから連載が長ければ長いほど、自分が思ったところにいけるかどうか、ずーっと少しずつ神経がすり減ってる感じなんです。笑ってたり、遊んでたりしても。

──ラストはあらかじめ決めてから描くのでしょうか。

 ある程度決まってますね、そこにいくにはどうやったら読者に喜んでもらえるだろうかって。走りながら考えてます。大変なんです。

──新作も少女マンガでしょうか?

 自分の環境次第ですね。これが少女マンガだと思えば少女マンガになっちゃうのかなって思いますし。

──くらもち先生が「少女マンガ」というときの定義は?

 実は自分の中では少女マンガの定義って作っていないんです。たぶんまわりの方が決めてくださってるんだなって。できあがったものが少女マンガだって言われたら、まぁそうなのかなって。

──くらもち先生こそが少女マンガなのだと思います!

 そうですか(笑)。そういうふうに言っていただけると、少女マンガ家冥利に尽きますね。

《PROFILE》
くらもちふさこさん ◎1955年、東京生まれ。『別冊マーガレット』などで少女たちの心に残る名作を数多く描き、多くのマンガ家からも敬愛されている。代表作に『いつもポケットにショパン』『天然コケッコー』など。2017年、『花に染む』で手塚治虫文化賞「マンガ大賞」受賞。

(※1)24年組…昭和24年ごろに生まれた萩尾望都、竹宮惠子、大島弓子、山岸凉子らを表す総称。従来の枠組みにとらわれない作品を発表、少女マンガの新時代を拓いた。
(※2)萩尾望都…今なお圧倒的な作品を作り続ける少女マンガ界の生ける伝説。代表作に『ポーの一族』『トーマの心臓』など。
(※3)『くらもち花伝』…くらもち先生の初めての自伝。集英社インターナショナルより大好評発売中。
(※4)青木俊直…マンガ家。『ウゴウゴルーガ』のキャラクターデザインなどでも知られる。
(※5)『いつもポケットにショパン』のお母さん…娘には冷たく厳しいように見えるが、それだけではない優しさや娘を思う気持ちが人一倍強いキャラクター。
(※6)『海の天辺』の山崎先生…主人公が恋する男性教師と恋仲にあった年上の女性教師。主人公をひとりの女として対等に扱い、大人の女性として振る舞うさまがとてもカッコいい。
(※7)『DQウォーク』…9月にリリースされたドラクエのスマホゲーム。実際に歩きながらドラクエ世界を楽しめることで話題に。
(※8)『ココハナ』でのエッセイ…『とことこクエスト』。『ココハナ』は毎月28日ごろ発売!

    あなたにおすすめ

    ニュース設定