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「引退日は東京五輪決勝」天才クライマー野口啓代が決断のワケ

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2019年10月17日 07:00  AERA dot.

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写真今夏の世界選手権女子複合決勝のリードに臨む野口啓代  (c)朝日新聞社
今夏の世界選手権女子複合決勝のリードに臨む野口啓代  (c)朝日新聞社
 2020年東京五輪で活躍が期待される選手を紹介する連載「2020の肖像」。第4回は、スポーツクライミング女子の野口啓代(30)。2020年東京五輪のハイライトの一つは、初めて開催される「アーバン(都市型)スポーツ」。その中で代表内定第1号となったのが野口だ。10代のころから華々しい実績を積み重ねてきた天才クライマーは、大舞台に特別な思いで臨む。朝日新聞社スポーツ部の吉永岳央氏が野口の五輪にかける思いに迫る。

【6歳のときの野口啓代選手の写真はこちら】

*  *  *
 現役を退く日付は、もう決めている。

 20年8月7日、金曜日。

 野口は言う。

「東京五輪(女子決勝)を最後の一日にしたい。最後が決まっているから、練習も頑張れるし、濃い時間を過ごせている」

 野口にとって、東京は最初で最後の五輪であり、引退の花道でもある。

 切符を手にしたのは、8月、東京・八王子で開かれた世界選手権だった。

「(この大会で)五輪が決まらなかったら、(ここで)引退しようかとも思っていた」

 強烈なプレッシャーを自らかけて力に変えるあたりは、日本女子の第一人者ならではの芸当だった。

「びっくりするくらいに落ち着けていて。本当に、今季の中でも一番良い登りができたんじゃないかな」

 東京五輪で実施されるスポーツクライミングは、五輪競技に採用される前にはなかった「複合」という新しい競技形式で行われる。

 15メートルの壁を登る速さを競う「スピード」、5メートルほどの壁に設けられた課題をいくつ登れたかの数を競う「ボルダリング」、12メートル超の壁に設定されたルートをどこまで登れたかの高さを争う「リード」の三つを一人の選手が全てこなし、総合ポイントを争う。

 世界選手権での野口は、第1種目・スピードで7位と出遅れた。だが、ここで慌てない。第2種目・ボルダリングでは、複雑な動きが求められる一つ目の壁を一発でクリア。最大斜度150度のパワーを要する次の壁もあっさりと2度目のトライで攻略し、この種目1位を獲得。3種目の総合で日本勢最上位の銀メダルとなり、五輪への道をこじ開けた。

 苦手のスピードを無難にまとめ、続く得意のボルダリングで一気に巻き返す。それが、野口が五輪本番でも描く戦略だ。

「もう、本当に夢みたい」

 と言いつつ、勝負どころで確実に力を発揮する実力者らしい試合ぶりだった。

 クライミングを始めて、20年になる。

 出会いは偶然だった。小学5年の夏、家族で行ったグアム島のゲームセンターで、大木を模した垂直のコースを登るアスレチックを体験。ロープをつけて約10メートルを登り切った感覚が、その後の人生を変えた。

「自分の力だけで高い所へ行ける感じが楽しかった」

 茨城県内にある実家は当時、乳牛約400頭を飼育する酪農を営んでいた。遊び場は、3万坪を超える広大な牧場だ。

「庭の木は数え切れないくらい。でも、子どもの時に全部登りました」

 自然の中で成長した少女にとって、木登りは当たり前の遊び。その延長線の上に、クライミングがあった。

 練習拠点は、父・健司さん(55)が自宅にある牛舎を改装して作ったクライミング壁だった。

 12歳で初出場した全日本ユース選手権で年長者をねじ伏せて優勝をさらい、「天才少女」と騒がれたこともある。

 高校1年で初めて挑戦した世界選手権では、リードで銅メダル。他にも、ボルダリングのワールドカップ(W杯)では4度の年間優勝を飾り、歴代2位の通算21勝。ずっと、日本のクライミング界を引っ張ってきた。

 ただ、決して順風満帆なクライマー人生ではなかった。登ることが怖くなったことがある。

 15年8月、W杯最終戦の直前だった。練習中に壁のホールドに左足をひっかけて靱帯(じんたい)を痛めた。翌シーズンに、けがは癒えた。ただ、崩れた心と体のバランスは戻らず、思うようには登れなくなった。

「どうやって乗り越えていいのかが、全然わからなくて……」

 何より苦しかったのは、目の前の挫折を乗り越える必要性を感じられなかったことだった。W杯の年間優勝や世界選手権の表彰台。目指すべき目標は、すでに達成済み。

「ならば、もう引退してもいいんじゃないか」

 そう思えた。

 スポーツクライミングが五輪の新競技に決まったのは、そんな思いを抱いていた16年8月だった。

 私は、五輪に出たいのか、どうか。

 問いかけた疑問の答えは、なかなか出なかった。

「すごく迷った」

 ただ、徐々にわき上がってきた思いの中に、復活すべき理由を見つけた。

「両親とか、クライミングなんて誰も知らないころからずっと応援してくれた人たちがいて。そのサポートは、すごく身に染みて感じている。日本の五輪で私のクライミングをその人たちに見せることができて、もしも喜んでくれるなら、やっぱり見てもらいたいって思った」

 今も現役を続ける理由の全てが、五輪には詰まっている。

「東京がなければ、もうやめていたと思う」

 復活した野口は、今季のボルダリングW杯で2年連続となる年間総合2位。世界選手権では銀メダルに輝き、東京五輪の表彰台はもちろん、金メダルも手の届くところにある。

 この夏、世界選手権前日の記者会見。会場に現れた野口はうれしそうに笑って、こう言った。

「16歳の時に初めて世界選手権に出場した時は、こんなに取材の方もいなくて、もちろん会見もなくて。それから14年。まさかこんなに世界選手権が大きくなって、日本で開催されるとは思っていなかった」

 クライミングを始めた当時の状況を語ってくれたことがある。

「好きではあったけど、友だちが知らないことをやっているのが恥ずかしくて。『クライミングっていうのはね』なんて、いちいち説明するのも面倒だし。だから、中学までは『私、いつやめるのかな』って思っていた」

 今よりずっとマイナーなスポーツだったころを知っているからこそ、愛するクライミングが大きな注目を浴びている現状がうれしい。

「あと1年かけて金メダルを目指せるよう、もっともっとトレーニングに励みたい」

 選手生活は、残りわずか。日本女子クライマーの先頭を走り続けてきた野口の引退試合を、かつてない大歓声が待っている。(朝日新聞社スポーツ部・吉永岳央)

※週刊朝日  2019年10月25日号

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