新解釈のロビン・フッド映画 タロン・エジャトン主演『フッド:ザ・ビギニング』が掲示した可能性

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2019年10月17日 12:01  リアルサウンド

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『フッド:ザ・ビギニング』(c)2018 Summit Entertainment, LLC. All Rights Reserved.

 『ジョーカー』や『アベンジャーズ』シリーズなど立て続けにヒットを飛ばし、「アメコミヒーロー映画全盛」といえる状況にある、現在のアメリカ映画。そこに登場する数多くのヒーローたちのイメージをかたちづくったのは、コミック以前に語り継がれてきた伝承や神話の英雄たちだ。そのなかで現在のヒーローの姿に非常に近いと感じられるのが、中世イングランドの伝説に登場する、“義賊”ロビン・フッドである。


参考:抜群の歌唱力は過去作でも 『ロケットマン』タロン・エジャトンについて知りたい9つのコト


 イギリスのノッティンガム、シャーウッドの森に隠れ住み、特徴的なコスチュームに身を包んで、類稀な弓の技術で権力者と戦い、暴政に苦しむ貧しい人々に奪った富を分け与える。まさにロビン・フッドは、正義のヒーローの原型といえるのではないか。


 本作『フッド:ザ・ビギニング』は、そんなロビン・フッド伝説を、現在のヒーロー映画の文脈に沿いながら、現代社会の問題を反映させていくという、いままでになかった解釈のロビン・フッド映画だ。ここでは、本作の様々な興味深い点について、できるだけ深く考えていきたい。


 まず目を引くのは服装だ。ダークヒーロー“フッド”として目覚めたロビンは、ダイヤ柄のレザージャケットにフッド(フード)を付けたコスチュームを身につける。アーガイルチェックなどの伝統的なテイストをとり入れているとはいえ、もはや中世の印象というより、いま着ていてオシャレな服装である。その他、登場人物たちのコートやスーツ、兵士の装備に至るまで、衣装デザインを担当したジュリアン・デイ(『ボヘミアン・ラプソディ』、『ロケットマン』)による、現代風に解釈された衣装というのは、本作のコンセプトを雄弁に語っているといえる。つまり、中世の世界を、現代的な美的感覚でそのまま楽しめる作品に仕上げるという試みである。


 そんな、現代の目で“イケてる”ヒーローである“フッド”を演じるのは、『キングスマン』シリーズで脚光を浴び、『ロケットマン』で幅のある演技と歌唱力、そしてダンスのキレを見せ、人気を不動のものとしているタロン・エジャトン。その風貌や、身軽にアクションをこなせる身体能力は、本作のスピーディーなバトルに身を投じるヒーロー役に相応しいといえよう。そして、アベンジャーズの一員である、弓を操る“ホークアイ”を連想させる、そのアメコミ的なヒーロー像は、『キングスマン』がコミック原作のスパイ映画だったことを思い出させるのだ。


 本作の最初の見どころとなるのが、国土の一部を治める領主であるロビンが、十字軍の遠征に加わり、他国で戦闘する場面だ。弓をつがえながら、いつでも発射できる状態で警戒しながら市街地を進んでいく軍の姿は、現代の兵士の動きに酷似している。そして彼らを襲う、まるでマシンガンのような矢の連射兵器……。そう、ここでの描写は、まさにアメリカ軍やイギリス軍の兵士が駐留し戦闘を行った、イラク戦争そのもののように演出されているのだ。


 ここでの弓矢は、まさに銃と弾丸である。ゆえに、戦士たちにはいつでも死と隣り合わせの緊張が走っている。ここで現れるのが、ジェイミー・フォックス演じるジョンだ。敵同士として死闘を繰り広げるロビンだったが、運命の導きによって、ロビンはジョンを師として修行の日々を重ね、ヒーローとしての覚悟と技術を高めていくことになる。


 このようなコミック風の展開や演出に加え、現代の戦争を再現するような現代的表現が、単にかっこよさだけを求めているわけでないのは、本作の展開を観ていれば分かってくる。凄絶な戦闘を生き延び、祖国へ帰還したロビンは、自分が戦死したことになっており、領地や財産は取り上げられ、恋人を含めた領民たちは、過酷な仕事を強いられる鉱山で労働させられていた。しかし、悲劇はそれだけでは終わらない。ここでロビンにとって最も衝撃的だったのは、自分が命をかけて戦い、敵も味方も含め、多数の死者や負傷者を出した戦争を起こした理由が、一部の特権階級が金を儲けるためだったという事実である。


 実際に十字軍遠征は、キリスト教の名の下に、彼らにとっての異教徒であるイスラム勢力から、聖地エルサレムを奪還するという名目で行われた。現代の目で見ると、その大義名分自体にも疑問が発生してしまうが、それよりも十字軍は、進軍するなかで略奪や残忍な行為を行ったことで悪名高い存在として知られている。そして信仰の戦いは、いつしか領土や利益を奪うための侵略へとかたちを変えていく。


 イラク戦争もまた、危険な“大量破壊兵器”があるという名目で戦争に突入し、その情報が不確かなものだったと厳しく指摘され、アメリカ大統領と軍需産業との癒着が一部で疑問視された。国民にとって、信じられていた正義が正義でなくなってしまうという点において、イラク戦争も十字軍遠征と同様ではなかったのかということが、本作の描写から考えさせられるのだ。


 本作のプロデューサーに名を連ねる、スター俳優のレオナルド・ディカプリオは、意義を見いだせる作品でなければ、出演もプロデュースもしないことで知られている。環境問題への取り組みや多様性を尊重する活動をしているディカプリオが、本作の製作に加わったのは、権力を持つ者が弱者を苦しめるという物語の構図に、現代に重なる問題を見たからではないだろうか。


 圧倒的な経済格差を感じさせられる、権力者と鉱山労働者たち。不満が高まった労働者は、突如現れたダークヒーロー、ロビン・フッドとともに立ち上がる。団結して抗議をするなかで、手に火炎瓶のような武器を持って、武装した兵士たちと対峙する構図は、まさに現代のフランスや香港などで見られる、激しいデモ活動そのままである。ロビン・フッドは単独で戦うヒーローではなく、常に人々とともに協力し合う存在なのだ。


 圧政を敷き民衆を騙す権力者を演じるのは、近年『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』などに代表されるように、嫌味な悪役を演じさせれば天下一品のベン・メンデルソーンである。ビジネススーツにも似た服装で演説する姿は、どこからどう見ても現代の悪役にしか見えないが、彼が民衆との戦いのなか、炎が遮る道を、部下たちを犠牲にしながら進む姿は善悪の基準を超える謎のかっこよさがあり、さすが“フッド”の好敵手たる威厳を見せつける。


 本作の極めつけは、イヴ・ヒューソン(『ブリッジ・オブ・スパイ』)演じる、本作のヒロインであるマリアンとともに、フッドが鉱山での火花散る馬車チェイスを展開する場面である。この、ほとんど現代のカーチェイスと見紛うアクションは、中世の世界観と我々観客の感覚を強引につなげ、楽しく混乱させられてしまう。これはかなりユニークな体験ではないだろうか。


 ロビンは、表向きは権力者たちに協力しながらも、裏では“フッド”として民衆のために戦う、大富豪ブルース・ウェインとバットマンの関係のような、二つの顔を持ったキャラクターだ。マリアンは、フッドとしてのロビンを、「それこそがあなたの本当の姿」だと語りかけ、それがロビンの進むべき道を決定的なものとする。このように、二つの自分をめぐる葛藤と選択こそが、本作の重要なテーマであろう。


 現代に生きる我々も、社会のなかで求められる役割をこなす自分と、心のなかに秘めている、それとは異なる考えを持った自分が存在し、互いに折り合いをつけながら生きているところがある。本作の権力者のように、世間から尊敬されるような立場でも、裏では暗い欲望を持っていたり、ロビンのように、本当はもっと善良に生きたいという願望を持ちながら、それと逆の立場に収まっている場合がある。


 意識的にしろ無意識的にしろ、我々はそのどちらがより本質的な自分なのか、最終的にどちらの声を聞くべきなのかという葛藤のなかにあるのではないだろうか。そして、どちらを選択するかによって、我々も世の中を変えていくヒーローになることができるのかもしれない。本作は、その可能性を提示しているように思えるのだ。(小野寺系)


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