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ドラフト候補、津田学園・前投手が野球と並行して9年続けたスポーツ

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2019年10月17日 12:12  ベースボールキング

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ベースボールキング

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今年の夏に津田学園(三重)のエースとして甲子園に出場。U18日本代表にも選出され、この秋のドラフト候補にも名前が挙がる前佑囲斗投手。プロ注目の大型投手はどのように野球と出会い、続けてきたのだろうか
野球を始めたのは小学1年生の時。2歳上の兄・恵弥さんがプレーする姿を見て野球に惹かれ、地元チームの関パワーキッズに入部した。もともとは外でボール遊びをするのが好きで、「小さい頃から野球しかしていなかったと思います」と白球を追いかける日常の中、本格的にボールに触れるようになった。
3年生までは野球を楽しむことが目的で、投げて、打って元気良くグラウンドを走り回っていたが、4年生からは全国大会を目指すうえで、練習の密度が上がり、厳しい練習メニューが増えた。そんな中、5年生になると前は本格的にピッチャーとしてマウンドに立つようになった。

中学時代は津ボーイズに所属し、初めて硬球を握った。津ボーイズは県内でも屈指の強豪で、全国大会にも出場していた。こちらにも兄が所属しており、兄を追っての入部。2年生の時、チームがジャイアンツカップに出場したが、当時は控え投手でマウンドに立つことはなく、3年生になってエース番号を背負ったが全国大会には縁がなかった。今では150キロを超える速球を投げられるようになったが「スピードよりもボールのキレで勝負するタイプでした」と当時を振り返る。

幼い頃から身長は高い方で、身長は小学校6年で170cmまで伸びたが、体重がなかなか増えなかったのが悩みだった。
「おそらく体質が原因だったと思います。食べる量は少なくはなかったし、中学2年くらいから昼と夜、700グラムのご飯を食べていたのに太れなかったんです」。

それでも間食をしたわけではなく、とにかく3食をしっかり食べることを心掛けてきた。中学時代は体を鍛えるのが好きで、腹筋や腕立て伏せを日常的に行っていたが、それでも体重はなかなか増えなかったという。





小学1年から野球と同時に始めたのが水泳だった。週末は野球、平日は週に2度、水泳に通い続けた。ケガをしにくい体にするようにという目的で始めたが、プロ野球界でも、幼い頃から水泳をやっていたという選手が実は多く、その効果は絶大だと言われている。中学3年まで野球と水泳を両立させていた前も「可動域が広がって体に柔軟性もついて、今でも野球に生きている部分が多いです」と水泳で培われた体の強さを実感している。

津田学園に進んだのも、やはり兄の影響だった。在学する兄から津田学園の環境を聞き、入学を決意した。兄と同じく、学校近くにある寮で生活を送ることになったが、入学して佐川監督から言われたのは体作りについてだった。「1年生から試合に出るには、まず体重を増やしていこうと。食べる量を増やすことと、体の芯を太くすることから始めました」(前)。
高校では器具を使って可動域を広げたり、体に負荷をかけるトレーニングをするようになり、入学時は68キロだった体重が、2年夏には76キロまで増えた。142キロだったストレートが、約2カ月後の秋季大会で147キロを計測し、一気に注目の的となった。

スピードがついたのは、夏休みの間にウエイトトレーニングの量を増やし、体重が一気に10キロ近く増えた成果もあった。そこから150キロという明確な目標もでき、今夏の三重大会で152キロを叩き出すなど、着実に進化を遂げている。

中学時代は全国のマウンドとは無縁だった。だが、与えられたテーマに真摯に向き合い、地道に練習を積み重ねた日々が、プロに注目されるまでになった、現在の自分を作り上げた。
「2年生の時は怒られることが多かったけれど、3年生になって自分で何事も判断できるようになりました。津田学園に来て人間的に成長ができたと思っています」。

無限の可能性を秘めた右腕は、無名だった中学時代から確実に前進し続けている。今でも良き相談相手で、自分の道しるべとなってくれた兄へ感謝の思いも胸に、さらに厳しいプロの世界へ挑む。(文・写真:沢井史)

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