『HiGH&LOW THE WORST』の“裏主人公”=轟洋介 人望なき男が仲間を手に入れるまで

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2019年10月19日 08:01  リアルサウンド

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前田公輝演じる轟洋介(c)2019「HiGH&LOW THE WORST」製作委員会 (c)高橋ヒロシ(秋田書店) HI-AX

 鬼邪高校は、SWORD地区の中でも独特のシステムを持った集団である。普通ならばトップは1人だが、鬼邪高は全日と定時に分かれており、それぞれにトップを抱えている。「HIGHER GROUND」の歌詞にもある通り、ハイロー世界ではキングにぶつかることができるのはキングだけである。そうである以上、キングとキングはぶつからなくてはならない。宿命として内紛のタネを抱えた、二人の王を持つ集団、それが鬼邪高校である。


 轟洋介は、そんな鬼邪高校の一方の王になるはずだった男だ。鬼邪高校の全日に転校し、瞬く間に実力で校内を掌握。しかし定時の村山こそが鬼邪高の真のトップであることを知り、全力で挑むも敗退する。その後、鬼邪高全日制は群雄割拠の内紛状態に突入し、一方で定時は校外でのトラブルに対処する「大人」の集団としての色合いを強める。SWORDと九龍グループとの一大バトルが描かれた『END OF SKY』と『FINAL MISSION』では、「全日の実力者」というポジションである轟の出番はなかった。残念なことに。


 『HiGH&LOW THE WORST EPISODE.0』から映画『HiGH&LOW THE WORST』で語られた鬼邪高全日の内紛状態を招いたのは、ひとえに轟の人望のなさだった。なんせ、轟は村山以外の人間を「敵」か「下僕」にしか分類していないフシがある。唯一の例外である村山に対しては全力で噛み付く(シャツの裾も飛び出す)が、それ以外の人間に関しては出会い頭にハイキックをキメるような男である。辻と芝マンは轟についていっているが、それとて轟が頭を下げて「俺を男にしてくれ!」と頼んだわけではない。あくまで辻と芝が勝手についていっているだけである。


 だいたい轟、「なんか俺に人間がついてこないな〜! なんでだろう???」という状況で読む本が『君主論』である。ドラッカーの『マネジメント』とかじゃないのだ。空気の読めなさと人間に対する関心の薄さに関して、轟は格が違う。まあ、そんな性格と見た目が完全にかみ合っているのが、キャラクターとしての轟のグッとくるポイントではあるんだけど……。


 『THE WORST』は、ドラマと映画を通して「トップに立つべき人物像とはどのようなものか」を提示した物語である。単に喧嘩が強いだけではダメであり、トップに立つべき男は人に担がれる神輿として適正な資質を備えている必要がある、という結論を提示している。その結論と言える人物像が、花岡楓士雄だった。楓士雄のパーソナリティは完全に少年漫画の主人公のそれであり、自ら進んで鬼邪高の生徒に担がれる神輿の座に登っていった。喧嘩の強い弱いとは別に、楓士雄はまさに、「担ぎ甲斐のある神輿」だったのである。


 思えば轟の不幸は、乗りたくもない神輿に乗せられて周囲に担がれかけたところにあると思う。轟の関心は村山にのみ向いており、それ以外は敵と下僕でしかない。そもそも集団のボスというポジションに興味が薄そうである。そんな人間が乗った神輿ほど、担ぎ甲斐のないものもないだろう。そして、神輿は神輿だけでは祭りの中心たり得ないのである。『仁義なき戦い』の名台詞に「神輿が勝手に歩けるんなら、歩いてみいや!」というのがあるが、神輿が勝手に歩くことはできないのだ。この「神輿としての担ぎ甲斐のなさ」が、鬼邪高全日の内紛を招いた。


 村山は過去に、鬼邪高をやめると言い出したことがある。あれを言えたのは、村山が自覚的に自分から神輿に乗った男だからだろう。自分で勝手に神輿に乗って「神輿の上にいる人間にとって何が大事か」を自分で見つけたのだから、降りるのだって自分で判断できる。自ら望んで神輿の上に登った男が、鬼邪高生を満載したダンプカーの上に乗っかって突っ込んでくるのは、「周囲が望んで担ぎ、また自らも望んで担がれる男」としての村山を象徴した絵面である。また、『THE WORST』であのラストを迎えることができたのも、村山のカリスマと自分の行動に対する自覚と責任感あればこそだろう。


 しかし、轟は違う。別にそんなことに執着はなかったのに、勝手に周囲から「神輿としての轟」に不合格判定を押されたのである。またそうである以上、自分から降りることすらできない。なんせ辻と芝が勝手についてきているのだ。名ばかりのトップであるにも関わらず全日の内紛に轟一派として参加せざるを得なかったというのは、轟の不幸を象徴する出来事であると思う。


 映画の『THE WORST』は、そんな轟が望まぬ立場から解放される物語でもあった。思えば、向いてないなりに轟は鬼邪高のトラブルを解決しようとしていた。ドラマでは他校へと単独で殴り込みをかけていたし、一応「鬼邪高全日のトップ」としてやるべきことをやろうとはしていたのである。しかし、自分のことを「どろっきー」と呼ぶ楓士雄が現れ、そしてそんな楓士雄を受け入れることで、轟はようやく神輿の上から降りることができたのではないだろうか。


 さらに言えば、そこまできてようやく轟は「世の中には敵と下僕以外の人間もいる」と身を持って知ることができたのである。ベタな話だがそれは「仲間」だった。普通にやったらクサい内容になる話だと思うが、『THE WORST』はそれを楓士雄のキャラクターと壮絶なケンカと巧みな脚本でサラッと観客に納得させる。このあたりのバランス感覚は、この映画の大きな見どころのひとつだろう。周囲には敵と下僕しかいないと思っている人間が「仲間」を発見する過程を、それをメインに据えた作品でもないにも関わらずスムーズに見せるというのはなかなかできることではない。


 「変わるもの/変わっていくべきものと、それでも変わらないもの」というのは、ハイロー全体に貫く大きなテーマである。それで言えば、轟は今回確実に大きく変化することができたキャラクターの一人である。『THE WORST』は、望まぬ神輿に乗せられた一人の男が、他者を受け入れて仲間と自由を手に入れるまでのストーリーだったのだ。要素と情報量が多すぎて撹乱されているものの、轟に関して言えば驚くほど真っ当なビルドゥングスロマンである。


 もうかつてのような、触れれば切れるような轟洋介はいないと思うとちょっと寂しいけれど、ラストであの轟が仲間と肩を並べているのを見ると、そんなことを言うのは野暮というような気もする。願わくばこの先、仲間たちと轟がどのような関係を築いていくのか、そして彼がどんな大人になっていくのかを末長く見せてほしい……。高校時代が遠い昔になってしまった人間として、しみじみとそう思うのである。(文=しげる)


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