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女性関係で天皇をクビ!? 儀式中のセックス疑惑――“タブーなし”の皇室事情【日本のアウト皇室史】

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2019年10月19日 20:02  サイゾーウーマン

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サイゾーウーマン

写真堀江宏樹さん(撮影:竹内摩耶)
堀江宏樹さん(撮影:竹内摩耶)

 皇室が特別な存在であることを日本中が改めて再認識する機会となった、平成から令和への改元。「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な天皇家のエピソードを教えてもらいます!

神聖な場所でもセックス!? 女性関係が原因で“クビ”になった天皇とは

――ふとした疑問なんですが、天皇の職務を「お仕事」として考えた場合、会社を“クビ”になったかのような辞めさせられ方をした天皇はいるのでしょうか?

堀江宏樹(以下、堀江) 何人かおられますが、その前に天皇の「退位問題」についておさらいしておきましょうか。古代の日本では、天皇に一度即位すると、その職務は亡くなるまで続きます。つまり、「終身在位」ということ。政治家から見て、都合の悪い天皇を無理やり退位させたり、天皇自身の気まぐれによる退位を防ぐために、そういうルールだったのでしょう。天皇の即位・退位は国家の問題ですからね。 

 そんな伝統があった中、“女帝”・皇極天皇(第35代天皇)が、最初の生前退位を敢行しています。645年、中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我蝦夷を皇室の敵として討ち取った「大化の改新」という大事件を見て、皇極天皇は「この政治の流れや大変化に、私では対応できない……」と判断したようですね。こうして彼女は退位し、弟の軽皇子(かるのみこ)が天皇として即位したのでした。

――たしか、“女帝”は適任の男性皇族がいない場合や、次期天皇が若すぎる場合などの“中継ぎ”としての役割が多かったんですよね。皇極天皇も自身の役目を終えたと判断したからなのでは?

堀江 いや、それはちょっと違うかな〜。皇極天皇以前にも女帝はおり、一度即位したら「終身在位」するルールは守られていました。有名なエピソードに、長生きしすぎた“女帝”・推古天皇(第33代天皇)のケースがありますね。彼女の甥は、あの有名な聖徳太子こと廐戸皇子(うまやどのみこ)で、彼は推古天皇から皇位を受け継ぐつもりだったと言われます。推古天皇は、当時の平均寿命と同じぐらいの39歳で天皇に即位した後も元気で、平均寿命の2倍近くの75歳まで長生きしました。結局、その間に廐戸皇子は失脚してしまい、仏教マニアになってスピリチュアル系の世界に埋没せざるを得なくなったわけです。そして、まだまだ推古天皇がお元気なうちに、彼の生命が尽きてしまったという……。

 話は戻って、皇極天皇が生前退位の先例を作って以来、さまざまな理由で退位したがる天皇は増加し、結局、江戸時代の光格天皇(第119代天皇)までの歴代天皇のうち、約半数が生前退位を経験ということになりました。その中には、いわゆる“クビ切り”のような形で退位した天皇もいますよ。

 その一人が、平安時代中期の花山天皇(第65代天皇)。この方は、武闘派の不良少年みたいなところがある方で、“本能”にも忠実でした。今年行われた、天皇陛下の即位の儀式にも登場した、古来より即位の儀式に使われる特別な「高御座(たかみくら)」という台の上で、布がカーテンのように目隠しとして張りめぐらされていることをいいことに、馬内侍という女官と“セックス”していたそう……。花山天皇の腰の動きに合わせ、儀式用にかぶっていた、特殊な金属製の装飾がついている冠が、“ちゃらん、ちゃらん”と音を立て、周囲にはバレバレだったとか。その後、儀式はなんとか開始されましたが、その途中で花山天皇はその特別な冠を「暑い!」といって投げ捨てたという。

――俳優・原田龍二が週刊誌に報じられた「カーセックス不倫」をしのぐ、ヤバさ……。おまけに、儀式で使用する神聖な冠を投げ捨てるなんて、どうかしてますね!

堀江 まぁ、この逸話が出てくるのは平安時代後期〜鎌倉時代に成立した、説話集『江談抄』など。「説話集」って、今風にいうと「ほんとにあった○○な話」的な意味になるのですけどね(笑)。 この時、花山天皇は17歳。この手の荒ぶるエピソードが全て真実なのかは、わからないものの、女性関係はやりたい放題だったことは本当。この頃、朝廷の若手メンバーは素行がホントに荒れていまして、「花山天皇に自分の女を取られた!」と思い込んだ藤原伊周(ふじわらのこれちか)たちから、花山天皇は矢で襲撃されたり。

――「女」が原因で、殺されそうになったんですか!?  

堀江 そう。いわゆる「長徳の変」ですね。でも本当は誤解で、実際は藤原伊周のお付き合いしている女性の“妹”と、花山天皇はデキていただけなのです。ただ、火のないところに煙は立たないという言葉通り、それまで女性関係でブイブイいわせていた花山天皇は疑われ、その疑惑ゆえに殺されそうになったという。ちなみに本来であれば、藤原伊周は天皇殺しを企てた罪で処刑されてもおかしくないものの、花山天皇の恩情で九州に流刑されました。

――荒ぶる天皇の存在は、臣下の人生や権力の構図まで変えてしまうわけですね。

堀江 荒ぶりまくっていた花山天皇ですが、19歳の時には早くも「オレの最愛の女が死んだ」という理由で退位を意識するようになりました。というのも、お産の最中に彼女が亡くなったのです。花山天皇は最愛の女性を失い、意気消沈すると同時に、天皇を辞めて出家、彼女の菩提を自分で弔ってやろうと決意していたのです。そんな、肩を落とす花山天皇の姿を見た、家来・藤原道兼は「自分も世の中にウンザリしているから、一緒に出家しないか」と持ちかけます。しかし、これは「こんな花山天皇にはついて行けない」という臣下による陰謀だったのです……。歴史物語『大鏡』によると、藤原道兼から一緒に出家しようともちかけられた花山天皇は、誰にも相談せず宮中をホイホイッと脱出してしまいました。そして、そのまま京都郊外のお寺で自分だけ出家させられ、退位もするという状況に追い込まれます。肝心の藤原道兼はというと「やっぱり父・藤原兼家の顔を見てからでないと、出家できません〜」などと言って逃げていったそうです。この頃、出家してしまえば、還俗することは基本的にできません。荒ぶる武闘派ヤンキーのような花山天皇でも、この時はさめざめと「道兼は私を騙したのね……」「嘘をついて、ハメたなんて怖い」と号泣したそう。高校などの古文の教科書にもよく出てくる逸話なので、ぼんやりと覚えておられる方もいるかもしれませんね。

――藤原道兼の「出家するする詐欺」にハメられ失脚。一般企業に例えると、同僚にハメられ、自分はクビや左遷。ハメた側の同僚は出世コースまっしぐらという感じですか……。平安時代後期までの天皇家は、藤原家に権力を握られていたんですね。あまりにも、花山天皇が気の毒なのですが、その後はどうされたんですか?

堀江 出家後は仏門修行に励み、和歌に明け暮れたといいます。歌人として優れており、多くの和歌を残しました。

――次回は11月2日更新です! 引き続き“クビ”になった歴代天皇についてお伺いします。

堀江宏樹(ほりえ・ひろき)
1977年、大阪府生まれ。作家・歴史エッセイスト。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。2019年7月1日、新刊『愛と欲望の世界史』が発売。好評既刊に『本当は怖い世界史 戦慄篇』『本当は怖い日本史』(いずれも三笠書房・王様文庫)など。
Twitter/公式ブログ「橙通信

このニュースに関するつぶやき

  • 「道鏡に根まで入れろと詔(みことのり)」 、「道鏡に崩御崩御と称徳言い」 。江戸時代の排風柳多留だったか…。道鏡も権力闘争の犠牲者で悪人にされたともいわれるが。
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  • どこまで本当なのか信じがたいですね。
    • イイネ!16
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