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球団別『平成の絶対的守護神』は誰だ?【パ・リーグ編】

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2019年11月11日 16:00  AERA dot.

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写真楽天・松井裕樹(C)朝日新聞社
楽天・松井裕樹(C)朝日新聞社
 平成から令和の時代、プロ野球は完全に投手分業制の流れに移行している。特に今季は、シーズン規定回数到達者がセ・リーグで9人、パ・リーグはわずか6人しかおらず、規定回数をクリアした投手が1人もいないチームがあるほどだ。

 かつてのような先発完投型の絶対的エースは、もはや消えゆく存在になっている。これほどまでにリリーフ投手の存在が重要となった現在だが、その流れが進んだ平成の時代、各チームに存在した絶対的守護神を振り返ってみたい。今回はパ・リーグ編だ。

■西武:豊田清

 平成の30年間でリーグ優勝11回と、パ・リーグでもっとも優勝回数が多い西武だが、長年活躍した絶対的守護神は意外に少ない。そんな中で、21世紀に入って5年間でクローザーを務めたのが豊田清だ。

 入団から6年間は二桁勝利を2度マークするなど、先発として活躍したが、7年目の2001年に守護神だった森慎二が不調で、当時の東尾修監督の説得もあり、開幕早々に抑えに転向して28セーブをマークした。

 本格的に抑えとなった02年には、当時のパ・リーグ新記録となる38セーブを記録し、57試合登板で防御率は0.78と、驚異的な数字でチーム4年ぶりとなるリーグ優勝の原動力となった。03年は8月に抑え転向3年目でNPB史上15人目となる通算100セーブに到達。この年も58試合で2勝3敗38セーブ、防御率1.24の好成績で2年連続の最優秀救援投手に輝いた。

 04年は故障に苦しみ34試合と登板数こそ減ったが、防御率0点台と安定した成績で、リーグ2位から出場した日本シリーズでは3セーブを挙げるなど、チーム12年ぶりの日本一に貢献した。

■ソフトバンク:馬原孝浩

 通算セーブ数やタイトル獲得数、NPB新記録の54セーブなど、記録的にはデニス・サファテが妥当かもしれないが、ここは敢えてチーム生え抜きの馬原孝浩を挙げたい。ちなみにホークスでのセーブ数は、両投手とも180セーブと完全に同数だ。

 プロ2年目の05年、シーズン途中に不調の三瀬幸司に代わってクローザーに抜擢されると、リーグ2位タイの22セーブを記録。開幕から抑えを務めた06年は51試合登板で29セーブ、防御率1.65の好成績を残した。

 150キロ台後半の豪速球を武器に不動の守護神となった07年は、54試合登板で防御率1.47。38セーブで初めて最多セーブのタイトルを獲得した。

 09年には第2回WBCに出場し、5試合に登板してチームの2大会連続優勝に貢献。シーズンでは通算セーブ数の球団新記録を更新するなど、29セーブを記録し、翌年も当時の日本人最速150セーブを達成して32セーブと、いずれもリーグ2位となるセーブ数をマークした。晩年は右肩痛に苦しみ、最後はFA人的補償で移籍となったが、記憶に残るクローザーだった。

■楽天:松井裕樹

 平成16年に球団創設と歴史の浅い楽天では、現役クローザーの松井裕樹が歴代16位タイとなる139セーブをマークしている。ちなみに楽天誕生に関連ある近鉄では、平成元年から16年まで現役生活を送った赤堀元之が、松井と同数の139セーブを記録しているのは興味深い。

 松井は桐光学園高校時代に夏の甲子園で大会記録となる10者連続奪三振と1試合22奪三振をマークし、1大会の記録でも68奪三振と左腕の歴代最高を更新した。楽天では前年にMLB移籍した田中将大の後を継ぐ左腕エースとして開幕から先発ローテ入りを果たした。しかし、2年目の15年に当時の大久保博元監督が奪三振率の高さからリリーフ転向を決意し、クローザー候補だったキャム・ミコライオの故障離脱もあり、若き守護神が誕生した。

 転向1年目から33セーブ、防御率0.87を記録すると、以降は3年連続で30セーブ以上をマーク。史上最年少で通算100セーブを達成した18年は不振で5セーブと低迷したが、今季は自己最多の68試合登板と復活し、38セーブで初めて最多セーブのタイトルを手中に収めた。

■ロッテ:小林雅英

 平成の初期は河本育之、近年も西野勇士など、名クローザーを多く輩出しているチームだが、平成を代表する守護神と言えば、NPB歴代6位の228セーブを記録した小林雅英しかいない。

 プロ1年目は10試合先発で起用されて3完投を記録しているが、リリーフ兼任で46試合に登板したルーキーイヤーから、MLB移籍前の日本での9年間で、毎年40試合以上に登板した。2年目の00年にはキャリア最多の65試合に登板し、中継ぎから不振のブライアン・ウォーレンに代わるクローザーとなり、11勝6敗14セーブと二桁勝利を記録した。

 01年に6日間連続セーブ、02年には33試合連続セーブポイントと、次々にNPB新記録を達成した小林は「幕張の防波堤」と呼ばれた。05年には薮田安彦、藤田宗一と「YFK」と称された勝利の方程式でチーム31年ぶりとなる日本一に貢献。「コバマサ」の愛称でNPB記録となる7年連続20セーブ以上を記録した右腕は、走者を許すケースが多く「劇場型」とも呼ばれた。08年に移籍したMLBでも2年間で67試合に登板して6セーブをマークしている。

■日本ハム:武田久

 15年間で534試合に登板し、その全てがリリーフ登板だった武田久。身長170センチとプロの投手としては小柄だが、最多セーブ3回、最優秀中継ぎ1回の実績は、平成の守護神と呼ぶにふさわしい。

 リリーバーとして覚醒したのがプロ4年目の06年。68年に森安敏明がマークした球団記録のシーズン67試合を更新する75試合に登板し、リーグ新記録の45ホールドポイントで最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得。チームは81年以来のリーグ優勝を果たし、44年ぶり二度目となる日本一にも輝いた。

 09年からは前年まで守護神だったマイケル中村が退団してクローザーを任され、抜群の安定感で3勝0敗34セーブ、防御率1.20で最多セーブのタイトルを獲得した。11年にはパ・リーグ初となる100ホールド&100セーブを記録。シーズン37セーブで二度目の最多セーブに輝き、12年もリーグ記録となる月間11セーブを記録するなど、32セーブで2年連続のタイトル獲得となった。

 低身長の低い重心から多彩な変化球を投げ込むスタイルは、剛腕投手のイメージが強いクローザーで異色の存在と言える。

■オリックス:平野佳寿

 高卒2年目で42セーブポイントの平井正史や、日本シリーズでオマリーと名勝負を演じた小林宏など、瞬間的な活躍をした守護神が多いイメージのチームで、通算156セーブを記録したのが平野佳寿だ。

 入団から4年目までは先発中心の起用で、右ひじ手術で登板ゼロに終わった08年を除く3年間でいずれも二桁黒星を記録した。希望枠入団のエース候補が、リリーフ転向で覚醒したのがプロ5年目の10年。中継ぎとして63試合に登板して防御率1.67、39ホールドポイントの好成績を残した。11年にはリーグ最多の72試合登板で49ホールドポイントをマークして最優秀中継ぎのタイトルを獲得した。

 岸田護とともに勝ちゲームを締めくくる役割を担い、本格的にクローザーとなった13年にはリーグ2位の31セーブ、14年には当時のパ・リーグ新記録となる40セーブで初の最多セーブに輝いた。リリーフ転向から5年連続で60試合以上に登板し、全ての年で投球回数を上回る奪三振数と、高い奪三振率を誇る。

 18年にMLB移籍を果たすと1年目から75試合に登板し、今季も62試合登板とタフネスぶりは健在だ。



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このニュースに関するつぶやき

  • 間違っても、小林雅英、益田直也、薮田安彦は違うな(笑)
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  • 何でノーこん馬鹿の写真?平成の珍リリーバー。リリーフで何敗してんだ。
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