川谷絵音がジェニーハイで描く“女性の清々しさ”とは? 『ジェニーハイストーリー』の歌詞を分析

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2019年12月10日 13:42  リアルサウンド

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ジェニーハイ『ジェニーハイストーリー』(通常盤)

 川谷絵音(ゲスの極み乙女。、indigo la End/Gt&プロデュース)、中嶋イッキュウ(tricot/Vo)、小籔千豊(Dr)、くっきー!(Ba)、新垣隆(Key)、からなるジェニーハイが、11月27日に1stフルアルバム『ジェニーハイストーリー』をリリースした。収録曲は全て川谷が作詞作曲を手がけているが、中嶋による女性ボーカルに合わせ、今作では女性目線の歌詞が多い。


(関連:ジェニーハイ『シャミナミ』MVはこちら


 1曲目を飾る「シャミナミ」は、生徒が先生に恋をする曲。これ以上想える人はいないと思うほどの恋だが、叶いそうにない。〈外見がシルエットしか見えない平安時代の恋愛の方が/いっそ私には合ってたのかもしれない/だって中身で勝負だから〉と、外見よりも内面を見てほしいと願う生徒の心情を、平安時代の恋愛になぞらえて綴っているのが面白い。そして終盤、急に視点が先生にスイッチし、生徒は先生に振られて〈とんでもなく病んじゃった/と思ったら笑顔になった〉という大展開も清々しい。題名である「シャミナミ」の「ナミ」については、サビで〈シャミナミナミダ〉と歌われていることから「涙」を表していると思うが、「しゃにむに=遮二無二(ひとつのことを一心不乱に行うさま)」に先生へ恋を募らせるという意味も感じた。平安時代、遮二無二、〈恋愛感情に憑かれた〉、〈折り紙付きの成功愛〉など、どこか「古風」なイメージの歌詞が「シャミナミ」を形作っている。内面の良さを〈ハートの分譲価格は億越えなのに〉というワードで表現するのも、キャッチーなジェニーハイらしい一曲。


 2曲目の「ダイエッター典子」では、〈モチモチガールを卒業したら/ボンキュッボンになるんだから〉とダイエット成功を目指す女性が主人公。〈タピオカ 原材料キャッサバ〉という歌詞も登場し、まさにタピオカブームの今の時代の女性を描く。痩せないのは自分の努力不足と自覚しつつも〈やる気出ない〉と連呼し、しまいには〈タピオカダイエット/食べ過ぎたら/奇跡的な体質変化起こるかもしれない〉とポジティブに自己を正当化。救いようのないダイエッターだな……と思って聴いていると最後に〈痩せてはないけど不幸でもない〉〈タピオカ摂取できないよりは/できる幸せを掴みたい〉と言い切られ、もはや清々しい。主人公は自分の幸せの優先順位がわかっている。ダイエットよりタピオカ。目の前にある幸せを掴める女が、結局は強いのかもしれない。


 続く「不便な可愛げ feat アイナ・ジ・エンド(BiSH)」はジェニーハイ初のコラボ曲。〈見境なく惚れられる世界線/私がナンバーワン〉と、誰にでもモテてしまう女性が主人公だ。〈私は一級品〉(イッキュウとかけている)〈寝ても 寝ても 寝ても 午前中/だったらいいのにな〉と女王様のごとくわがまま放題。可愛いすぎてもはや〈不便〉だと皮肉まで言う。〈夢ばっかり大きくて/他人の失敗喜んじゃう〉〈まだまだ私、楽しめるはず〉とさらに欲深い一面も。ここまで来ると悩みなどなさそうなものだが、〈人生残りの何十年 幸せの余韻続け〉という歌詞で一気に儚さが現れるのが川谷歌詞の面白いところ。〈I know/私は可愛くない〉〈だから私が欲しいのはオンリーワン〉とSMAP「世界に一つだけの花」的に締めくくられるかと思いきや、〈ナンバーワン〉も欲しいと欲張って終わるところが、これまた清々しい。


 5曲目の「プリマドンナ」は、オペラで主役をつとめる女性歌手の意味で「最も目立つ人」のことも指す。〈Yes No の合間に蔓延るのだけは/私が私を許さない〉〈あなたが羨む私でいれば/孤独も厭わないんだから〉と、孤独でも自分が〈歌わなきゃ〉〈始めなきゃ〉と自分を奮い立たせる女性像が浮かぶ。川谷が以前インタビューで、掛け持ちする複数のバンドについて「自分が動かないと始まらない」と語っていたこととも繋がる気がした。曲終盤では安全な場所から自分に槍を投げてくる存在にも触れ、それでも演じなきゃ、〈私プリマドンナ〉と歌われ、覚悟のようなものを感じた。一聴すると〈愛最麗〉が「愛されて」に聴こえるといった工夫は川谷の得意芸であるし、〈あなたを裏切る躊躇がなければ/すぐに魚になったのに〉と、人間以外の生物になるような描写は今までの川谷には珍しく、新鮮味もあった。


 7曲目の「グータラ節」は、〈帰ったら干物に乾いてぬくぬくしよ〉と、いわゆる干物女が主人公。「節」とつくタイトルと呼応するように〈味噌汁作ってよ江戸っ子諸君〉と今度は平安ではなく江戸っ子が登場。〈私は甘える生き物よ/一緒にグータラしないでね〉と甘えたかと思いきや、〈今日は愛の方が欲しいから/たまには一緒にグータラしよ〉と逆亭主関白ぶりを発揮。そして〈現実かけ離れちゃった/でもしょうがないわ〉とあっけらかん。あれ、こんな女子、他の曲でもいたような。そう「不便な可愛げ」「ダイエッター典子」の主人公はまさに“グータラ女子”。〈寝ても寝ても午前中なら良いのに〉〈食べても食べても太らなきゃ良いのに〉と上記二曲の主人公を彷彿とさせるフレーズが「グータラ節」に再登場するのも川谷歌詞の小粋さ。〈願望だけは一人前 せめてグータラ節は流行って〉と最後まで他力本願なところも3曲の共通項だ。


 ここまで見てきたように、『ジェニーハイストーリー』に登場する女性たちはみな清々しい。この清々しさの根源は、彼女たちの「自己肯定感」だと思う。8曲目の「愛しのジェニー」の〈自画自賛で何が悪い 自暴自棄よりずっとマシ〉というフレーズがまさにぴったりだ。「シャミナミ」や「プリマドンナ」の主人公の「強がり」的自画自賛も良いし、グータラ女子3曲の怠惰な自画自賛も共感できて楽しい。


 indigo la Endで描かれる、恋する女性像に代表されるように、川谷は女性目線の曲も多く手がけてきた欲張りなグータラ女子を描くことが出来たのは、ジェニーハイというほどよい脱力感のあるバンドのおかげだろう。実際前回の1stEP『ジェニーハイ』収録の「ランデブーに逃避行」でも〈歴史に残らなきゃなのに 昼まで寝ちゃった〉と布団の中で逃避行する女性を描いた。結成当初は、メンバーのキャラが濃いことから「ジェニーハイのテーマ」のようにキャラに注目した曲が並ぶかと思ったが、本作で「ジェニーハイ=グータラ女子」というもう一つの型を確立したように思う。最後に、今回は歌詞に注目したが、川谷の凄いところは、メロディが時に切なく、清々しさの裏に哀愁を感じる点にある。このギャップがジェニーハイに「中毒性」を感じる理由の一つだと思う。ぜひ本作で体感してみてほしい。(深海アオミ)


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