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「不平等に対する復讐」 中村哲医師が人生をアフガニスタンに捧げた理由

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2019年12月11日 08:00  AERA dot.

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写真ペシャワール会現地代表を務めた中村哲医師。今年10月、アフガン政府から名誉市民権を授与されたばかりだった(撮影/古田大輔)
ペシャワール会現地代表を務めた中村哲医師。今年10月、アフガン政府から名誉市民権を授与されたばかりだった(撮影/古田大輔)
 12月4日、ペシャワール会の中村哲医師(73)がアフガニスタンで何者かに銃撃を受け、死亡した。戦争、飢餓、旱魃……。アフガンの人々と共に歩み、取り巻く不平等に立ち向かい続けた。AERA 2019年12月16日号から。

*  *  *
 中村哲医師が銃撃され、亡くなった。戦争と、飢餓と、終わらない暴力の連鎖。世界で最も危険な国の一つであるアフガニスタンで、だからこそ、そこに住む人たちを決して見捨てず、人生の大半をささげてきた。最後は本人が否定し続けてきた暴力によって、命を落とした。73歳だった。

 20年ほど前、当時大学生だった私は中村医師が帰国中に開く講演会に参加していた。中村医師は高校の大先輩でもある。質疑応答の時間となり、私は手を挙げて質問した。

 世界にも日本にも困っている人、苦しんでいる人はたくさんいます。なぜ、アフガニスタンなんでしょうか?

 中村医師は講演会や記者への取材対応の際にいつもそうであるように、表情を変えず、淡々とした声色で答えた。

「たまたま、ですね」

 そして、一拍おいてこう続けた。

「たまたまそこに行って、そこで困っている人を見た。あとは……まあ、義を見てせざるはなんとやらといいますか……」

 会場からは笑いが起きた。中村医師がはぐらかしているように感じた人もいただろう。だが、それは半ば以上本心だった。

 福岡で勤務医をしていた中村医師は、1978年、知人に誘われて山岳会のパキスタン遠征に医師として同行した。昆虫採集が趣味で「珍しい蝶(ちょう)がいる」という言葉に惹かれた。訪れた現地で運命を変える光景を目にする。

 それは、貧しく十分な医療を受けられない人々の姿だった。持ってきた薬品は山岳隊のためにとっておかねばならなかった。結核で血を吐く青年、失明しかけの老婆、ハンセン病の村人……。日本から医師が来たと聞きつけ、すがる思いで治療を頼みにくる人たちを見捨てざるを得なかった。

 帰国後、中村医師は自ら海外医療協力隊のメンバーとして現地に戻る決心をする。著作でこう書いている。

「余りの不平等という不条理に対する復讐(ふくしゅう)でもあった」

 84年、パキスタン北部辺境州のペシャワールに赴任。「診療施設というより包帯巻きをしている安宿」という状況から活動を始める。医療機器を少しずつ揃え、現地の職員に消毒の基礎から指導した。診療施設は拡充され、患者も職員も増えていく。さらに辺境へと医療拠点を増設し、アフガニスタンへも活動を広げた。

 海外から支援に来る人たちのほとんどは数年で帰国する。だが、中村医師は任期が終わっても独立して活動を続ける道を選んだ。

 当時、医療施設に通っていた子どもに「先生も日本に帰ってしまうの?」と問われ、こう答えたという。「お前が一人前になるまでは残る」

 実際にはそれよりもはるかに長い活動となった。(ジャーナリスト・古田大輔)

※【「困った人々の心に明るさをともす」 中村医師が亡くなった同僚に誓った生き方】へつづく

※AERA 2019年12月16日号より抜粋

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  • 貧者に対する支援は権力者の利益に直結 だからいつまでたっても解決しない
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  • 海外で感謝される日本人。日本の誇りです。
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