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将来の4番と期待したのに… 儚い夢を見せてくれた「不発の大砲」たち

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2019年12月13日 16:00  AERA dot.

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写真大阪桐蔭時代はプロでも大砲になると期待された萩原誠だったが…… (C)朝日新聞社
大阪桐蔭時代はプロでも大砲になると期待された萩原誠だったが…… (C)朝日新聞社
 今季のセ・リーグで新人王に輝いたのがヤクルトの村上宗隆。高卒2年目で36本塁打、96打点をマークし、歴代の様々な記録を塗り替えた。高校通算52本塁打の大砲候補が見事に開花した形となったが、過去には村上と同様に大きな期待をかけられて入団しながら、プロでは大成しなかった選手もいた。今回はそんな儚い夢を見せてくれた「不発の大砲」を紹介する。

【過去10年高校別「プロ野球選手輩出数」ランキング】

 阪神が1991年にドラフト1位で獲得した萩原誠は大阪桐蔭で春夏の甲子園に出場し、夏の大会では打率.688、3本塁打の猛打で同校の初出場初優勝に貢献した。高校通算58本塁打の大砲候補に、阪神は「ミスター・タイガース」と呼ばれた掛布雅之氏の背番号「31」を託した。トラ党の大きな期待を背負った萩原は、ウエスタンリーグで打点王や首位打者になったが、一軍では2年目まで本塁打なしと不発。3年目のプロ初本塁打から二度の1試合2本塁打を記録したが、結局一軍での通算本塁打はこの4本のみ。話題になったのは、プロ2年目に萩原誠斗、5年目からは名字の変更で誠と、登録名が二度変わったぐらいだった。

 高校通算本塁打数で注目されたのが、93年阪神2位の平尾博嗣と99年西武3位の大島裕行。大宮東高時代の平尾は、清原和博がPL学園で記録した通算64本塁打を超える68本塁打を放って注目を浴びた。春のセンバツでは初戦で先頭打者本塁打を放つなど、三拍子揃った内野手として期待された。ただ、プロ2年目から一軍出場したが、伸び悩みが続き、レギュラーの座をつかめないまま、01年に西武にトレードで移籍。西武でも準レギュラーの状態が続いたが、内野の全ポジションを守るユーティリティーぶりと「チャラ尾」の愛称でムードメーカーにもなり、18年間と息の長い現役生活を送った。

 大島は当時の歴代最多記録となる高校通算86本塁打をマーク。甲子園でも沖縄水産の新垣渚から本塁打を放つ活躍で、本人が熱望した地元球団への入団で大きな期待を受けたが、プロでは定位置奪取もままならない状態が続いた。4年目に96試合出場で7本塁打とプチブレイクし、翌年も8本塁打を放ったが、レギュラーにはなれず、左の代打要員となった。通算成績は23本塁打、106打点で10年間のプロ生活を終えた。

 同じく西武で96年1位の玉野宏昌は、巨人にFA移籍した清原和博の背番号「3」を受け継ぎ「清原の後継者」と呼ばれた。玉野の場合は、神戸弘陵時代に特筆した成績を残したわけではなく、甲子園出場もなかった。それでも高卒ドラ1で同じ内野手の背番号「3」には、必要以上の大きなプレッシャーがのしかかった。目立った成績もなく3年で背番号は「33」に変更され、プロ4年目には69試合に出場して本塁打も放ったが、実働わずか5年のプロ生活、通算4本塁打でユニフォームを脱いだ。

 ロッテで95年1位の澤井良輔は、銚子商業で春夏連続の甲子園出場を果たし、センバツではチームを準優勝に導いた。パワーあふれる打撃は、のちのメジャーリーガーで当時PL学園の福留孝介と「西の福留、東の澤井」と並び称される存在だった。その福留の外れ1位として地元チームに入団したが、プロの変化球に対応できず、3年目まで一軍出場は2試合のみ。5年目にようやく初本塁打を記録したが、通算6本塁打でプロ10年目に戦力外通告を受けた。その後も社会人野球でプレーしたが、NPBに復帰することはなかった。

「不発の大砲」には高卒選手が多いが、即戦力の期待に応えられなかった大卒選手もいる。

 1989年にドラフト1位で巨人に加入した大森剛は、慶応大で東京六大学リーグ史上6人目となる三冠王に輝くなどリーグ通算17本塁打を放ち、ソウルオリンピックにも出場した。ドラフトではともに巨人を熱望していた上宮高・元木大介とどちらが1位指名されるかが注目されたが、ドラフト前に「高校生より下の指名は受けない」と宣言した大森を巨人は選択した。プロ入り後は、イースタンリーグで二度、本塁打と打点の二冠王を獲得したが、一軍では結果を残せず、プロ実働8年間でわずか5本塁打に終わった。

 02年に西武の自由獲得枠で入団した後藤武敏は、横浜高で松坂大輔と甲子園春夏連覇を達成した時の主力打者だった。法政大でもリーグ三冠王に輝き、西武でも1年目から開幕4番に抜擢され、1年目から11本塁打を記録。しかし、その後は守備の不安もあり定位置は確保できず、11年オフにトレードでDeNAに移籍。ベイスターズでは「ゴメス」の愛称から登録名にGの文字を入れ、代打の切り札として存在感を発揮した。

 05年ヤクルト希望入団枠の武内晋一は、智弁和歌山高で1年からレギュラーとなり、2年春に準優勝、夏は優勝。早稲田大でも1年春からリーグ戦に出場し、日米大学野球ではMVPに輝いた。ヤクルトでは故障が多く、13年間のプロ生活で一度も規定打席到達がなかったが、勝負強い打撃で左の代打など、息の長い活躍を続けた。

 最後に、近年の「不発の大砲」として、愛知県でかつては私学4強と呼ばれた強豪校出身の2人を挙げたい。

 06年に高校1位で中日に入団した堂上直倫は、父と兄も中日の選手というサラブレット。中学生の時にナゴヤドームで行われた中日のファン感謝デーでのエキシビジョンマッチで、リトルシニア東海選抜の4番打者として出場した堂上は、中日側で投手を務めた福留から左翼スタンドに飛び込む本塁打を放った。愛工大名電では春のセンバツで2本塁打を放ってチームの優勝に貢献し、ドラフトでは3球団競合で1位指名を受け、地元の中日に入団。ちなみに、抽選を外した巨人の外れ1位指名は坂本勇人だった。坂本が球界を代表する選手に成長したのに対して、堂上は打撃面で苦しみ、なかなか一軍で定位置を確保することができなかった。それでも堅実な守備でチームに欠かせない存在となり、今季はプロ13年目で初の2ケタ本塁打と、打撃面でも覚醒の兆しが見えている。

 09年広島2位の堂林翔太は、エース兼4番として中京大中京を夏の甲子園優勝に導いた。決勝戦では本塁打を放ち、1大会の通算タイ記録となる6二塁打を記録するなど、打率.522、12打点とスラッガーの片鱗を見せた。野手専念となった広島での入団時の背番号はアレックス・ロドリゲスの「13」。プロ3年目に野村謙二郎監督の抜擢で144試合フル出場を果たし、飛ばないボールの統一球のシーズンでチーム最多の14本塁打を放った。その一方で、三塁手として両リーグワーストの失策数を記録し、150三振もリーグ最多と弱点も露呈した。背番号が現役時代に野村監督が付けた「7」となり、その後も一軍での起用が続いたが、守備の不安と確実性のない打撃で徐々に出番が減り、最近2年間は本塁打ゼロ。外野も含めた複数ポジションを守り、現在は生き残りをはかる状況だ。

 まだ現役選手の堂上と堂林には、これからまだ先に覚醒する可能性がないとは言えない。さらに若い選手では、清宮幸太郎(日本ハム)や安田尚憲(ロッテ)などが、やや伸び悩んでいる印象もあるが、未完のまま終わらないことを願いたい。

このニュースに関するつぶやき

  • 高校の通算本塁打はあんましあてになれへんからね。 グラウンドの規模、対戦相手のレベル、試合数などなど、考慮せなあかん条件が多すぎる。 飛ばす力があることは確認できるけど。
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  • カープでは堂林のことが載っているけど、僕の中ではやっぱり岩本よなぁ(苦笑)岩本は絶対に大砲の4番として君臨してくれると思ってたんやけど。プロの世界ってホンマに厳しいと思うわ。
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