「宮内庁御用達」は怪しい制度!?  “皇室ブランド”にあやかるアウトな商売とは【日本のアウト皇室史】

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2019年12月14日 20:02  サイゾーウーマン

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サイゾーウーマン

堀江宏樹さん(撮影:竹内摩耶)

 
 皇室が特別な存在であることを日本中が改めて再認識する機会となった、平成から令和への改元。「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な天皇家のエピソードを教えてもらいます!

「宮内庁御用達」は廃止された制度!?

――最近、ネットで話題になったのですが、「宮内庁御用達」ってもう廃止された制度なんですよね? いまだに、その言葉を全面に押し出している商品もあるような気がしますが……。

堀江宏樹(以下、堀江) そうですね。そういう公的な制度は、1954(昭和29)年にすでに廃止されているのです。

 驚くかもしれませんが、「宮内庁御用達」という日本語自体、“怪しい”んですね。「皇室への納入品」と、“役所”である「宮内庁への納入品」は異なる単語で呼ばれています。皇室への納入品だけが「御用達」。役所である宮内庁への納入品は「御用」。だから、「宮内庁御用達」と言ってしまっている時点で日本語的にもおかしいし、要するにそういうふうに宣伝すればするほど、「怪しい」のです(笑)。

――そんな明確な違いがあったなんて驚きです。皇室ブランドが商品の付加価値になると思うから、「宮内庁御用達」と名乗るのでしょうか?

堀江 そうですねぇ。現代の日本で、「宮内庁御用達」を自称する商品は、「皇族の方が“一度”、買ってくれた」だけの物とか、へたすれば「プレゼントすると申し出をして、結果的に皇族の方に受け取ってもらえたことがある」程度のものも多いそう。コマーシャルには絶対に出演してくれない“セレブリティーの中のセレブリティー”ですから「ご愛用の品になりたい!」という、店側の思いがすごいのでしょう。

 江戸時代の参勤交代中、大名が滞在している旅館に商人たちが押しかけ、われ先に献上品を押し付けようとしたという話と似ているな、と思ってしまいます。

――献上品ですか。もらえるのであれば、もらっておけば良いのでは?

堀江 それが“タダ”では済まないのです。「わざわざ自分に品物を献上しに来た庶民の好意に応える」という形で、チップという名の支払いをしなくてはいけないのですよ。そして、チップのせいで相場以上に高めになるのです。さらに、「○○様に献上した」という事実ができてしまうので、それを相手側の商業活動に利用されてしまうことも。だから、江戸時代の大名に押しかけ献上された品物の大半は、そのまま返品されたようです。

 ちなみに江戸時代の天皇家の権威は近畿地方に「ほぼ」限定されており、この手の押し売りのような献上品攻めに遭うことはなかったようです。誰に人気が集まるかは時代によって変わりますからね。

 なお、現在の御用達業者の中には、「いくらで、こういう品を皇室に納入している」と情報を明かす店もありますが、トップシークレットにしている場合も多々あります。

――明治維新の後は、武士よりも天皇家がカリスマ性を持ったから、「皇室御用達」の看板を求める業者が増えたというわけですね。御用達になるには、どういう条件が必要だったのでしょうか?

堀江 日本で御用達という、ある種の“ブランド制度”の開始は1891(明治24)年。御用達になることは皇室が認めたという意味になり、産業奨励政策の1つだったようです。開始当時はまだ数少なく、日本橋の「魚屋荒木平八」、それからびっくりしちゃうんですが、イギリス・ロンドンのビスケット会社「トントリーパーマ」なる業者の2つが、皇室の御用達に認定されています。残念ながら、この2つの業者は現存しないようですが。

 制度が始まった当初は、宮内庁のお役人から「『御用達』の店になりなさい」という命令が下れば、「御用達店」になれたようです。が、時がたつにつれ、厳しい条件が課されるようになりました。お店の経営者一家に対して、親子三代にわたる家庭環境と思想歴、病歴などのチェックをするんですよ。製造担当者や職人にも、身体検査、検便、それから外出制限、禁酒、禁欲(!)なども課されるようになりました。それでも御用達制度の最盛期は1951(昭和26)年。この時は85軒にまで拡大していたそうです。そして54年、御用達制度は突然の廃止を迎えたという。

――最盛期が51年(昭和26年)。制度廃止が54年(昭和29年)だから、そのわずか3年間ですよね。何があったのでしょうか?

堀江 具体的な理由は公表されていませんが、日本中の業者から「ウチも御用達業者にしてください」という売り込みが激しくなってしまい、皇室ひいては宮内庁が困ったからではないか、と。この頃は、皇室の人気が大衆レベルで大いに盛り返しつつあった時代です。51年といえば、現・上皇后の美智子さまと現・上皇さまとの結婚が内々に決定した頃でもあります。また、上皇さまの妹君・清宮貴子内親王(当時)は、いわゆるファッションリーダーとして日本中から人気がありましたね。

――皇室の人気や権威にあやかりたい業者は、現在でもたくさんいるのですね。

堀江 そうですねぇ。御用達制度廃止前から取引が続いている業者“のみ”が、いわゆる宮内庁御用達を現在でも名乗っても良いと言われます。しかし、そういう業者ほどホームページの片隅に控えめに「皇室にも納品しております」的な情報を載せているだけなんですよね〜。

 例えば江戸時代になる前から、御所にお菓子を納め、天皇家に付き従うような形で東京にやってきた「とらや」は、ホームページに「後陽成天皇の御在位中(1586〜1611)より、御所の御用を勤めています」とさらっと書いているだけ。

 しかし、庶民たちが雲の上の人々である皇室の方々ご使用の品に興味津々だったのは今も昔も同じで、雑誌やテレビなどでもたびたび取り上げられました。例えば、今は廃刊になった「angle」(主婦と生活社)というタウン情報誌。1980年10月号の「天皇家の衣食住を支える人、店、品 宮内庁御用達型録(カタログ)」という記事が面白いので、見てみましょうかね。

――この前即位なさった、新天皇陛下が成人の時に着用した燕尾服も作った「金洋服店(きん ようふくてん)」が掲載されていますね。現在も高級テーラードのお店として渋谷の広尾で営業しているみたいです。

堀江 もともと華族や皇族たちの口コミが皇室に流れ込んだ形で、段階的に御用達ブランドとなったそうですね。73年8月1日号の「女性セブン」(小学館)によると、現・上皇さまのスーツは「金洋服店」ですが、ワイシャツは本駒込にある「加古シャツ店」で「全て」あつらえておられるそうで、シャツには「P.A」のイニシャルが刺繍されたとか。プリンス・アキヒトということですね。「加古シャツ店」は現在も営業なさっているようですが、あくまで地元密着のお店ということでしょうか。ホームページなどは設けておらず、詳しいことはわかりませんでした。

――次回は、12月28日更新予定。女性皇族のご用達ブランドについては、また次回お話したいと思います。

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