渋谷すばると錦戸亮、グループから離れ新たなスタート地点に ソロ活動からみえるそれぞれの音楽表現

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2019年12月16日 10:52  リアルサウンド

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渋谷すばる『二歳』

 長きにわたり関西出身の7人のメンバーで活動してきた関ジャニ∞。渋谷すばるが、ジャニーズ事務所を退所することを発表したのが2018年の4月(表立っての活動は7月まで行い、事務所の所属は2018年12月いっぱいまでとなった)。その後、メンバー6人となった関ジャニ∞は2度のライブツアーを開催、15周年を記念するツアー(『十五祭』)を終えて間もなく、前年の渋谷に次ぎ、錦戸亮が2019年9月いっぱいでの退所を発表した。


(関連:渋谷すばる『ぼくのうた』MV


 両者にとって間違いなくこれまでの自分を形成するすべての礎であったであろう10代から所属した大きな事務所から巣立ち、次のステージでふたりはそれぞれ何をどのように表現していくのか。渋谷は2018年いっぱいで元の事務所所属が終了後、2019年2月末に自身のWEBサイトを開設。4月にはワーナーミュージックに所属することを発表し、10月にファーストアルバム『二歳』をリリースした。一方の錦戸もジャニーズ事務所を退所後、ほぼ0秒で(退所は9月30日、翌10月1日午前0時に)、事前の予告は全く無くソロ活動の幕開けを宣言するインスト作品「Point of Departure」の映像を世に放った。


 このようにソロになって初の作品を完成させるまでのペース、楽曲の作風といった何もかもがすでに全く異なるふたりゆえ、現時点でここで容易に並べて語ることはかなり憚られる。しかし、ここ1年と数カ月に渡る関ジャニ∞の激動の先に表出しつつあるそれぞれの表現をあらためて考えてみたい。


●渋谷すばる


 “バンドをやるアイドル”関ジャニ∞がバンド形態での楽曲を披露する際にリードボーカルをとることの多かった渋谷は、グループのバンド表現における屋台骨を担ってきたことも確かだった。大部分が筆者の個人的な憶測になるが、彼の夢にメンバー全員を付き合わせ続けてもいけないのではないかと、渋谷はどこかで思ったのかもしれないと『二歳』を聴くほどに気づかされる。というのも、それくらい、彼が1音1音の作り込みにこだわり尽くしており、レコーディングドキュメンタリー映像からは、0から音楽を学び直したかった様子がよく見て取れるのだ。確かに関ジャニ∞のメンバー全員にとって渋谷はとても大きな存在であるし、とにかく愛されて尊敬されていた。けれども、渋谷自身としては、もちろんメンバー全員で音楽を楽しみながらやっている手ごたえはあろうとも、自分のことだけで考えてみたらこの先“音楽一本”にしぼるなかで挑戦してみたいことはまだまだあり、そのためには残り半分の人生を費やし切らなくてはならない、と覚悟を決めたのだろう。そこにメンバーを付き合わせるにはあまりにも自分を中心に置いた夢であったがゆえの、ソロ転向なのではないかということが、痛烈に伝わってくる。


 彼が退所会見で話していたとおり、これまで21年にわたり大好きな音楽を“やらせてもらってきた”渋谷。グループとは別の道を選ぶという巨大な決断を経て、さらにストイックに、この先の自分の人生すべてを、音・音楽で表現してみるという挑戦を始めており、飄々としているように見えてその覚悟は崇高で、決意は固そうだ。退所発表の時点で「海外で音楽を学ぶことになるだろう」と彼が話したことも話題になっていたため、どこかの“学校”へ行くのだろうと考えていた世間の想像とは裏腹に、渋谷はバックパックを背負って東南アジアを歩き、その旅先をある種の“学び”のフィールドとして、この『二歳』を制作、完成させた。


 アルバムの収録曲「なんにもないな」などでは、東南アジア(タイからカンボジアへ)の電車での旅路の中でフィールドレコーディングされたのであろう音が曲を彩る重要な要素として収録されている。“6時間、ひたすら普通電車に乗っていくだけの、けれども一生忘れられない時間を体験したことで、考え方も変わった”と、渋谷はファンクラブ向けの媒体の中で話している。これまでの人生半分をアイドルとしてやりきってきたからこそ、初めてのバックパック旅で得た新鮮な刺激によって己の中から削ぎ落とされて出てくる何かを、すべて音楽に変換してみよう、ということなのだろう。


 『二歳』では1音1音を丁寧に作り込み、デモを制作。その上で、あえてアナログな手法を取り入れた。さらに渋谷は、音楽の根源を学び直し、打ち込みなどはせずにスタジオセッションを重ね生音にこだわりつつ、時にあえてシンセなどを用いた質感を混ぜ込みながら同作を制作した。その過程こそが、彼にとってはひとつの大きな学校のような体験でもあるのだろう。大好きなロックを続けるにあたり、そのルーツを辿ってみようという意志の感じられる作品になったのではないだろうか。個人的には、『二歳』から先行配信された「アナグラ生活」を聴いた時に強く呼び起こされたのは、ユニコーン解散後の奥田民生によるソロデビュー作『29』を聴いた25年前の感触だった。ちなみに『二歳』では東南アジアで出会ったパクチーを壮大なオチにもってきた「来ないで」など、渋谷ならではの笑いとロックのセンスが詰め込まれている。


 歌を歌うとは、曲を作るとは、そしてそれを人に届けるとは、一体どういうことなのだろうということを0から捉え直していこうとしているーーそして、その姿自体を見せるーー。自己探求としてパンク、ロック、あるいはフォーク、ブルースのスピリットをもう一度学び直し、磨き、ピュアな自己表現として音楽作品に落とし込むことに今後も挑戦しつづけることだろう。


●錦戸亮


 一方の錦戸は、事務所退所のメッセージにおいても「僕なりのエンターテイメントは何なのか」という言葉をシンプルに残したのみで、渋谷のように会見を開いたわけでもなかったゆえ、今後どういったことをしていくのかは誰もわからなかった。しかし、退所日の翌日、10月1日にはインディーズでレコードレーベル<NOMAD RECORDS>を設立し、ファンクラブも発足、11月のライブツアー日程までも発表され、誰もが度肝を抜かれたことはまだ記憶に新しい。文字通り0秒で次の行動を開始してみせた。12月にアルバムの発売も発表。“これからも自分にできることは全部、なんでもやってみたい”という決意表明としてなのか、アルバムからのリード曲「ノマド」を先行配信した。


 関ジャニ∞にいた時代からせっかちと言われ続けてきた錦戸とはいえ、あまりの行動の早さに誰もが驚くわけだが、つまるところ、彼は休みたくてグループをやめたわけでもなんでもなかったし、とにかく、大きなグループをやめたからこそ、そこでは実現しえなかったことにもなんでもトライし、どんどん実現してみたいのだろう。


 とはいえ、アルバム発売前である11月にライブを開催するという急な知らせについて錦戸は、これまでアイドルとして自分を支持してくれたファンに対し、申し訳なさのようなものも感じていたのではないだろうか。勢いよく見えるものの、彼のTwitterなどでの発言からはそういった感情や気配りが感じ取れたりした。そんななか行われたライブでは、グループ脱退発表後から制作を始めたという10曲を披露。曲は己のことを歌ったものというよりも、むしろ他者の物語を歌っているようだった。そして、他者の物語を自分自身で演じてエンターテインメントに昇華しているように感じられた。ジャニーズのなかでも2つのグループで同時並行で活動してきたという経験を持つ錦戸。アルバム『NOMAD』は、いくつもの視点が己の中に並走するような稀有な感覚を持ち合わせた錦戸ならではの、自意識のようなものを凌駕した、かなりバラエティに富んだ楽曲たちが並んでいる。楽曲を制作するストーリーメイカーであり、俳優としてそれを演じられるストーリーテラーとしての能力も兼ね備えた人間ならではの多様な世界観があるのだ。アルバムからの先行配信曲であり、実体験に基づくノンフィクション的な状況と心境を歌った「バッジ」や、細やかに女性の気持ちを描いたラブソング「ヤキモチ」を聴くだけでも、同アルバムが実に彩り豊かな作品であるかがわかるだろう。


 錦戸のソロアルバム『NOMAD』は12月11日に発売され、翌週には全国55館の映画館でのツアーファイナルのライブビューイングも開催。TwitterやInstagramを中心としたSNSの使い方も注目を浴びている。先日は清竜人との2ショット写真もインスタグラムで掲載し、新しい動きをシャープに伝え続けており、さらには古巣のジャニーズ事務所時代からの赤西仁とともに新プロジェクト・N/Aを始動させることも発表された。今回のアルバムは、錦戸のあらゆる“面白いこと”のためのほんのひとつに過ぎないのかもしれない。音楽に限定せず、音楽もひとつの手段としていくような、錦戸ならではのエンターテイメントの草案が、今の彼の脳内に渦巻いているようだ。


 関ジャニ∞は第2章へと突入、かくして渋谷と錦戸は別の場所より出発することになった。彼ら7人の物語がまたいつか別の章で交わることもあるのかもしれないし、もしくはまったく交わることは無いのかもしれない。ただ、関ジャニ∞も、その出身者たちも、今全員が非常にシンプルなスタート地点に立っていることで、ある意味、清々しさすら感じさせてくれることは確かだ。今後も、その活動を見据えしっかりと聴き込んでいきたいし、決して誰も歩みを止めることの無い彼らの今後にはますます期待が高まるばかりだ。(鈴木絵美里)


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