ハリウッドで広がる“男性像の再編” 2019年のトレンドワード「有害な男らしさ」をめぐる映画界の動き

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2019年12月30日 12:02  リアルサウンド

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「ようこそ2019年、トキシック・マスキュリニティの年へ」- IndieWire


 冬は、アメリカでアカデミー賞を狙う映画が次々リリースされるシーズンだ。今回のアワード・レースは、なんといっても男性……とくに「問題を抱えた白人男性」がトレンドだった。たとえば、IndieWireは「トキシック・マスキュリニティ」という言葉を前面に特集を組んでいる。しかしながら、New York Timesのような表現も可能だろう。「トラブルを抱えた男性、ハリウッドは助けを求めている」。こうした題目にあがるオスカー候補作品は数多い。人気ヴィランの前日譚を描く体の『ジョーカー』、裏社会で暗躍する男たちのドラマ『アイリッシュマン』、そして夫婦が離婚に揺れる『マリッジ・ストーリー』……これら3作、そろって白人男性主人公の問題や煩悶の描写が議論を集めた。これまで数多くの理想的な白人男性像を創出しては刷新してきたハリウッドに、今なにが起こっているのか。


 2019年アメリカのトレンド・ワードに「トキシック・マスキュリニティ」が入ることは疑いがないだろう。ハリウッドの大物プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタイン告発より始まった#MeTooムーブメント、そして女性蔑視的な発言も問題となったドナルド・トランプ大統領などを通して「男性性」、とくにマジョリティとされる白人男性のジェンダーにまつわる議論はヒートアップしつづけてきた。2019年秋の『ジョーカー』騒動を覚えているだろうか? 貧困の立場にある主人公が、不公平な社会で酷い目に遭っていき、殺人ヴィランへと目覚める……そんなプロットが簡単に予想できたこの作品は、上映前から大騒動を巻き起こした。平たく言えば、鬱憤と暴力衝動を抱える白人男性層を刺激する効果を危惧されたのである。事実、映画公開の際には、米軍がシアター攻撃を示唆するインターネットの書き込みを理由に警告を流し、複数の劇場が警備を強化した。より現実的に表すならば、銃乱射事件の発生が恐れられたのだ。近年、アメリカで同様の事件が多発していることは知っての通り。映画自体に罪はないとはいえ、『ジョーカー』リリース前に発生した騒動は、アメリカに住む人々の恐怖が刺激された事案だったのではないだろうか。同国の銃乱射事件の加害者には白人男性の割合が多くなっており、その一因として、社会的なジェンダー規範を挙げる専門家も出てきている。こうした深刻な社会問題もあって、2019年は「トキシック・マスキュリニティ」への問題意識が一気に増大していったのだ。


 「有害な男らしさ」と翻訳されることもあるこの言葉だが、どういった意味合いなのだろうか。1980年代後期の男性運動においてこの言葉を提唱した心理学教授シェパード・ブリスは、男性がみずからの感情を覆い隠すことでときに暴力的な激しい爆発に至る旨を「トキシック・マスキュリニティ」とした。これを医学用語として扱っていた教授は、その理由を1990年New Republicに語っている。「すべての病と同様に、トキシック・マスキュリニティにも解毒剤があると信じているからです」。2010年代末になると、「伝統的な男らしさ」の負の面とされる要素が当てはめられがちになった。この場合、感情の抑制、苦痛の隠匿、弱さへの忌避、強固なイメージ維持、パワーを示すための暴力的な行動、アンチ・フェミニティといった問題が並びやすい。いずれにせよ、重要なことは、「トキシック・マスキュリニティ」概念が、それを抱える男性当人を蝕む「毒」だと意識されていることだ。男性の自殺率の高さは、己の問題を「隠さなければいけない弱さ」と感じてしまうスティグマが一因とする専門家の声もある。2018年には、アメリカ心理学会から「伝統的な男らしさのイデオロギーに適合するようソーシャライズされた男性が心身に抱えうる悪影響」に関するガイドラインも発行された。


 「トキシック・マスキュリニティ」の「毒」を、近年でもっとも恐ろしく描いた映画は『アイリッシュマン』かもしれない。マフィア映画の名手マーティン・スコセッシ監督の集大成とも言える本作のメイン・キャストには、ロバート・デ・ニーロにアル・パチーノ、ジョー・ペシと、錚々たるベテラン男優が並んでいる。「男のドラマ」において、男女格差問題を疑問視する騒動も生まれた。『ピアノ・レッスン』『トゥルーブラッド』にてアカデミー賞とゴールデングローブ賞に輝いた女優アンナ・パキンがほとんど喋らず終わったことが話題になったのだ。主人公フランクの娘ペギー役として出演した彼女は、たった7ワード、合計2つしかセリフがない。人気女優ゆえに不満の声もあがったわけだが、一方、このペギーこそもっとも重要なキャラクターであるとする批評も出てきている。プロデューサーより「トキシック・マスキュリニティにまつわる映画」と宣言された『アイリッシュマン』において、主人公父娘の関係は物語の中枢と言ってもいい。1950年代から70年代を舞台とする劇中、デ・ニーロ演じるフランクは、幼い娘を叱った店の主を見せしめとして殴打するような、かなりマチズモな父親だ。彼は「子どもが増えるたび稼がないと」と語りながら犯罪の世界に入り、裏社会の男たちと「ファミリー」関係を結んで成り上がっていく。物語の後半部、例のパキンが演じる、成人したペギーのシーンが入るわけだが、そこからは非常にヘビーだ。結果的に暴力で家族をも威圧してきたフランクは、晩年に入り、家族に自説を唱えはじめる。「(自分は)いい父親じゃなかった。でもペギーを守ろうと…お前たちを守ろうとしていた」「お前たちはその…保護されていたんだ」。アメリカの伝統的家父長制のネガティビティを体現するような主人公に待ち受ける末路とは、一体なんなのだろうか。


「父親は不完全でもいい
“よき父親”なんて言われ始めてせいぜい30年よ
それまでの父親は寡黙でボーッとしてて頼りなく自分勝手だった
家族は愚痴をこぼしつつどこかそれを受け入れてた
欠点を愛していたの
ところがそれは母親には当てはまらない
社会的にも宗教的にも許されない」


 この演説は、『マリッジ・ストーリー』にてローラ・ダーンが演じる弁護士ノラのセリフだ。『アイリッシュマン』の時代から、社会のジェンダー意識がかなり変化した現代を舞台に、ある夫婦の離婚が描かれている。本作で注目された要素もまた「マスキュリニティ」である。映画のハイライトとなるのは、主役夫婦が怒鳴りあうシーンだろう。アダム・ドライバー演じる子煩悩な夫チャーリーは、妻に暴言をはいてしまったショックからむせび泣き、最後は相手の足にすがりつく。ここに至るまでが複雑なのだが、皮肉にも、『マリッジ・ストーリー』は、妻サイドの描写も多い構成ふくめて、ノラの言う「“よき父親”が求められるようになった30年後」の男性像のひとつを表象しているかもしれない。


 「トキシック・マスキュリニティ」という言葉が映画評論に馴染んで久しいが、裏返せば、現行アワード・レースで活発なものの正体は「男らしさ」の再編だろう。本稿であげた3作は、どれも壁にぶつかった男性が煩悶するシリアスな作風だが、異なるアプローチの主人公像も注目を浴びている。たとえば、マリエル・ヘラー監督『A Beautiful Day in the Neighborhood』は、トム・ハンクス演じる陽的な男性TV司会者フレッド・ロジャースを中心に「男性が感情の抑制を求められる社会」に目線を送った作品のようだ。また、1960年代を舞台にした『フォードvsフェラーリ』には、批判されがちな「伝統的な男らしさ」の善き活かし方にライトをあてたとする声もあがっている。ハリウッドは長い間、男性像の再編を行ってきた。それが特に活気となった今は、バラエティにあふれた、ある種実験的な男性表現の宝庫かもしれない。(文=辰巳JUNK)


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