令和突入で変化した朝ドラ『スカーレット』、賛否割れた『全裸監督』……2019年を振り返るドラマ評論家座談会【後編】

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2020年01月01日 13:31  リアルサウンド

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写真 『スカーレット』(写真提供=NHK)
『スカーレット』(写真提供=NHK)

 2019年も、各局、各配信サービス等から多種多様なドラマが放送された。リアルサウンド映画部では、1年を振り返るために、レギュラー執筆陣より、ドラマ評論家の成馬零一氏、ライターの西森路代氏、田幸和歌子氏を迎えて、座談会を開催。


 脚本家の安達奈緒子の作家性や、YouTubeからの影響を感じさせるテレビ東京の深夜ドラマについて話し合った前編に続き、後編では『本気のしるし』『いだてん』『全裸監督』などから、ドラマにおける男女の描き方に注目。また、令和という新しい時代への突入とともに変化したNHK朝ドラ『なつぞら』と『スカーレット』についても議論を交わした。


■『本気のしるし』『いだてん』から考えるキャラクターの“揺れ”


ーージェンダー観において、男性・女性の描き方で気になるドラマはありましたか?


成馬零一(以下、成馬):『本気のしるし』(メ〜テレ)は、浮世という女性を通して、そこにある社会的要因とか、男の中にある暴力性を見せる演出の仕方になっていますよね。坂元裕二の『カルテット』(TBS系)にも吉岡里帆演じる有朱ちゃんという魔性の女タイプのキャラが出てきましたが、有朱と浮世は似ているようで違うんですよね。


西森路代(以下、西森):有朱は自ら惑わそうとしてる人、浮世は“そうとしか生きられない”人、ですよね。ただ、実は有朱だって、ちゃんと有朱から見れば、実は“そうとしか生きられない”んだと思います。最近は、そういう見方をするようになりましたね。以前であれば、浮世だって“そうとしか生きられない”人には見えていなかったかもしれない。フェミニズムを知ったかこそ、そんな風に見られるようになってきたのかもしれません。


成馬:『本気のしるし』の登場人物は全員自分が何をやっているのか、よくわかってないんですよ。全話の演出を担当した深田晃司監督は平田オリザさんの青年団の演出部に所属していて、大きな影響を受けているそうです。先日インタビューしたのですが、既存のドラマにおける役者の演技は、自分が何をやっているか分かっていて演じているようにみえる。台詞も、ドラマを見ている第三者(お客さん)を想定して喋っているようにみえるけど、自分の作品では聞いている人は0人で目の前にいる相手に向かって話してくれと役者に演出している。そうすれば自然と声のトーンも小さくなるはずだと監督が話していたのが印象的でした。そういう意図で演出しているので『本気のしるし』の映像は、まるで自分の普段の姿を見ているような居心地の悪さを感じるんですよね。


西森:映画『スリー・ビルボード』を見た時に、善良に見えた人が悪になったり、悪な人が善良になったりと、すごくあやふやで、キャラクターだからといって一貫しているわけではなかったことが印象的で。深田監督の『よこがお』を見た時に、そのキャラクターの“揺れ”の部分をすごく感じました。『本気のしるし』もそうで、最初に見た時はどうしても浮世がファムファタールに思えてしまって、監督は何を意図しているんだろうとすごく考えてたんだけど、見ているとだんだんわかってきました。以前、深田晃司監督にインタビューした時、本当は女性が弱い立場にあるのに、「『女性は弱くないから大丈夫だ』というメッセージを無理に込めようとすると、そこには危うさがあると思います」と言われていたんです。そういう問題意識も作品の中に入っていますよね。


成馬:面白いのは、ヒロインの浮世さんをどう思うかで、その人の女性観や人間観が露わになってしまうところですよね。だからすごく怖い作品だと思います。主人公の辻(森崎ウィン)も不気味に見えますよね。同僚に二股をかけていてモテるし仕事もできて本来幸せなはずなのに、空虚さがにじみ出ている。同時に、辻みたいに振る舞う瞬間が瞬間は自分にもあるなぁと、何度も思わされました。自分では怒っているつもりがなくても、浮世さんの視点を借りることで、相手を威圧するように話していたのだと理解できる。その意味でも鏡を見ているような作品でしたね。


西森:森崎さんも土村さんもオーディションで選ばれていますが、特に森崎さんはこういうイメージがまったくなかったから意外でした。“男の罪”を背負って演じられるというのは、俳優にとっていいことじゃないかと思います。なぜなら、やっぱり複雑さが表現できますからね。


成馬:今回、自分がベスト5に選んだ作品は結果的に全部男性が主人公で、男の中の暴力性みたいなのを感じさせる作品でしたね。『いだてん』(NHK総合)のまーちゃん(田畑政治/阿部サダヲ)も、彼が政治的な毒を飲み込んだ瞬間に滅びの予兆が生まれていて、こんなふうに話が進んでいっていいのか? と見ていて不安になりました。


西森:そうですね。前編の主人公である四三さん(中村勘九郎)には暴力性がないですからね。私も一見明るいキャラクターのまーちゃんが、犬養毅(塩見三省)と出会って彼の思いを聞いたのに、「暗いニュースは読みたくない」と切り捨ててしまうのがすごい怖いなと思ったんですよね。でも、その後はスポーツが好きな明るい人としての一面が描かれることが多かったので、間違った見方をしたのかなと思った時期があったけど、やっぱりそう感じたものは間違いではない部分もあったんだなと。妻との関係性も、いいものにも見えるし、どっか不安な感じもあって。でもそれも、『スリー・ビルボード』や『よこがお』などに見られる、人間性や善悪が一貫してることなんて現実にはありえないというリアリティだなとも思いました。


成馬:純粋な競技スポーツだったオリンピックが政治的なものに飲み込まれていくことになったきっかけを振り返ると、まーちゃんと犬養毅のあのシーンを思い出しますよね。『いだてん』は宮藤官九郎にしては珍しく政治や社会を丁寧に描いてるんですよね。それこそクドカンは「みんなでビールを飲んで騒いでるだけで幸せ」みたいな仲間同士の共同体、政治の世界とは無縁の市井の人々を描いていた存在だったんですが。


田幸和歌子(以下、田幸):『いだてん』には女性メダリストたちもたくさん出てきて、フェミニズム的な回も何度かありましたね。


西森:クドカンが、韓国映画『お嬢さん』のパク・チャヌク監督と対談をしていたんですが、そのあたりから徐々に変わってきたのかなって勝手にそんな風に思ってみています。『監獄のお姫様』(TBS系)は、あきらかに『お嬢さん』に描かれていたような構造がみられたし、ハ・ジョンウ演じる藤原伯爵が、伊勢谷友介演じる板橋吾郎に重なりました。これも、男の罪を演じることを引き受けてる系ですね。でも、その前に放送された『ごめんね青春!』(TBS系)の頃はまだ書けていなかったと思うんですよ。『いだてん』でも「男の可愛さとか男のわがままを許せ」みたいなところはまだあって、ただこれもやっぱり、揺らぎあるキャラクター、人間の中の両面を見せることになっているように思います。私たちだって、男のわがままを許したくはないけれど、それが可愛く見える瞬間だってある。そこは、どっちがどっちには簡単には分けられないもので。


成馬:『本気のしるし』の原作漫画もそうですが、00年代に、男子校的な共同体があって、それを壊す悪女みたいな存在をみんなが好んで描いていた時期があって、クドカンもそういう対比でドラマを作っていたんですよね。ホモソーシャルな空間を砕くためのサークルクラッシャーとしての女性を描いていたのですが、2019年になって、やっと、そうじゃない描き方ができるようになってきたんだと思います。


西森:一方の視点で描くとそう見えるだけで、反対から見ると、そうせざるを得ない理由があるんですよね。『カルテット』の有朱もそうなんですけど、人を惑わしたり、サークラをすることでしか抵抗できないからということもあると思うんです。さっきも言ったように、深田監督にインタビューした時に「女の人がエンパワーメントされて強いものとして書きすぎると、本当に虐げられたりしていることが消えてしまうから、なきこととするほうがひどい」という風におっしゃっていたことを考えると。浮世の現状を無視しないことが、フェミニズムなのかもしれない。


成馬:それこそ大根仁監督の『モテキ』などにも繋がっていきますよね。『奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール』も水原希子演じる女の子がファムファタール的な感じですが、やっぱり#MeToo運動以降、明確に空気が変わっていて。だから大根さんも『いだてん』をやったことは大きかったかもしれませんね。女性の描き方に関して、一段上がった感じがします。


西森:ファムファタールを女性が演じるものであったところを、男性が演じたことで反転させたものとしてEXILE/三代目J SOUL BROTHERSの小林直己さんが出演した『アースクエイクバード』(Netflix)があったと思うんですけど、ファムファタールという意味で男女を反転させたこの作品を見ると、これまでのファムファタールが何だったのかが見えてきて面白かったですね。


■「あったことをなきことにする」フィクションの是非


――男の中の暴力性、弱さという話でいうと、『全裸監督』(Netflix)も。


成馬:『全裸監督』は評価が難しい作品です。評価する点は、Netflixでの海外展開を想定した日本で初めてのドラマということですね。『ナルコス』や『ブレイキング・バッド』といった海外でヒットしたドラッグを題材にしたピカレスクドラマを、アダルトビデオの世界に置き換えており、国内ドラマとしてはクオリティの高い映像に仕上がっている。ダメな点は、実話を元にした話でありながら、黒木香からの許諾をとっているかどうかが曖昧なところ。続編も作られるのだから、今後のためにも権利関係の問題は明快にしてほしい。評価が難しいのは、アダルトビデオ業界の描き方と黒木香の位置づけですよね。


 80年代の黒木には、フェミニズム的な側面が確実にあったわけで、『全裸監督』も黒木が女性として開放されていく物語だとも言える。一方、村西とおるはマッチョに見えるけど、実は「弱い男」として描かれていたと思うんですよね。このあたりの描き方は破天荒な男の武勇伝として書かれていた原作(本橋信宏著『全裸監督 村西とおる伝』) とは大きく違います。村西がエロの世界に入った背景には、妻が男に寝取られて家族を失ったというトラウマがあるわけですし、AVの撮影も滑稽なものとして見せており、他者性が欠落している村西を露悪的に見せているとも言える。『全裸監督』は脚本家4人で各話を共同で書いていて、脚本家ごとに各キャラクターを割り当てて、全話のセリフを書いていくという手法をとっています。また、脚本家のアシスタントとしてコリアンの女性とバイリンガルの日本人女性の二人が参加しており、彼女たちの意見を取り入れることで原作にあった今の時代にそぐわない要素を削り、現代的な物語に仕上げていったみたいです。


西森:実はそこが重要なところで、現実にあったことを物語にするときに、今の感覚に合わせて描いてしまうところが問題であったのではないかと。これが、まったくのフィクションであれば、そのまま見られるし現代にふさわしい物語であると感じたと思うんですよ。でも、あったはずのことを、良い物語にすることでなきものにしてしまうことのほうに危惧してしまいます。


成馬:「これはAVに女性が出たことによって女性が性的に解放されて自由になった物語であり、その象徴が黒木香なのだ」と言えないことはないけど、実際にはもっと様々なことが起きていたわけですよね。実話を元にした作品の難しさはそこですよね。『全裸監督』は政治的な正しさと、性欲に代表される身体的な欲求は必ずしも一致せず、時に対立してしまうことがあるということを描いた作品だと思います。それは、『腐女子、うっかりゲイに告(コク)る。』(NHK総合)にも感じます。ただ、『腐女子〜』は終わり方に不満も感じていて、純(金子大地)以外のキャラクターの描きこみが足りなかったと思うんですよ。純がクラスメイトにゲイだとバレて、飛び降りて自殺未遂をする。そのあと、純が戻ってくるときに学級会をやるんですが、そこは1話まるまる使ってやったほうが良かったと思うんです。そしたら他の生徒たちが純のことをどう受け止めるかというテーマをもっと突き詰めることができたはずなのに、そこが曖昧になってしまった。三浦さん(藤野涼子)にしても小野(内藤柊一郎)にしてももっと描けたはずだし、もっとストーリーを深められたはずじゃないかと思います。QUEENの音楽に乗せて三浦さんが演説して生徒たちが盛り上がった勢いで問題を誤魔化して、いろんなことを曖昧になってしているように感じた。


西森:幸せな世界に収束していくのは脚本を手がけたロロの三浦直之さんの作風だなとも思いましたね。


成馬:小説は一人称だし、作家の人生が込められたものだから純を描ききればいいと思うのですが、ドラマは3人称の世界だからこそ、各登場人物の内面がもっと描けたんじゃないかと思います。ただ、その過不足も含めて気になっている作品ですね。同じNHKのよるドラなら『だから私は推しました』の方が完成度は高かったと思うんですが、一番ひっかかって気持ちがざわついたのは『腐女子〜』の方だった。志の高い作品を作ろうとしたことは確かで、限界に突き当たったが故に、いろんなものを露呈した作品だったと思います。


――この数年「ドラマは悪役のいない優しい世界が多くなっている」というような話がありましたが、そこからまた対立や衝突を描く必要性もあるのかもしれませんね。


田幸:現実のほうがひどすぎて、優しい世界を見てる方がつらいのかもしれない。


成馬:『おっさんずラブ』(テレビ朝日系)がヒットし、またLGBTに対する理解が世間的に深まったからこそ、いやそんなことないよという形で出たのが『腐女子〜』なんでしょうね。


西森:この前、杉田俊介さんとお笑いをテーマに対談をしたんですが、お笑いも優しい世界になっていて人を傷つけないけどしみじみと楽しさを感じられるような芸風が主流になっているという話をしました。「かが屋」は誰も傷つけない日常を描いていて、それもずっと見てたい感じなんです。その後、『M-1グランプリ』で最終決戦に出たニューカマーの「ぺこぱ」と「ミルクボーイ」を見て、それが確固たるものになった気がしましたね。杉田さんはそれでもひりひりしたものを提示しながらやるお笑いを今求めていると言われていて、批評という観点で考えると、そっちのほうからの、つまり優しくない目線、そこにある問題点から目をそらさないという批評はやっぱり必要だなと思いました。ドラマでも、「ずっと見ていたい系」の癒し系ものもあれば、「問題の本質をえぐる」ものも必要ですしね。


■お仕事ドラマから考える、価値観の違い


ーー対立ということでいうと、『わたし、定時で帰ります。』(TBS系)などのお仕事ドラマでも、それぞれの働き方に対する考えが衝突しているように見えました。2018年は『獣になれない私たち』(日本テレビ系)もありましたが、2019年のお仕事ドラマはどうでしたか?


成馬:『わたてい』も『けもなれ』も主人公の世代が同じですよね。晶(新垣結衣)と結衣(吉高由里子)も、87年生まれ前後のゆとり第一世代で年齢が30〜32歳。一方、脚本家などの作り手たちは団塊ジュニア世代で、95年ぐらいに就職氷河期を体験した心境を投影されているのかもしれません。日本の労働自体が目まぐるしく変わってきたから、好景気の時に就職できた人と就職氷河期を体験した人では仕事に対する考え方が全然違うんですよね。会社には、バブル世代も就職氷河期世代もゆとり世代もいれば、今好景気になってから入社してきた人もいる。その混乱を描くだけで、お仕事ドラマは面白くなる。


田幸:分かり合えなくて当然だと思うんですよね。『わたてい』で泉澤祐希さんが演じた来栖くんも、モンスター新人のように扱われてしまっていたけど、合理的な普通の判断のように感じる部分もあって。また、部長(ユースケ・サンタマリア)も悪者のように見えていたけど、そんなに仕事に全部を注ぐことって悪いこと? という疑問を持ってしまいました。


成馬:向井理が演じる種田さんのほうが、業が深いですよね。部長と共犯関係にあって、彼が頑張りすぎて、全部できてしまうことで根本的な問題が解決されない。もっと駄目なやつだったりパワハラ上司だったりがいるほうがまだ状況としては分かりやくて、なんとかできる余地があるけど、最大の問題が「仕事ができる人」にあったという見せ方は、ちょっとぞっとしてしまいました。


西森:種田の年齢がちょうどそういう狭間にあって、引き受けるしかない立場になってしまうっていうのも、わりと納得したりするところもありました。だからこそ、ヒロインと一回は別れることになって、種田の働き方に対する考え方が変わったら、よりを戻すっていうのは、わりと物語として妥当だなと。あと、このドラマは、働き方から自らの思い込みや呪縛が表れていて、それを、ひとりひとりが解いていく話ではなかったかと。


田幸:働くことに対する価値観の違いを提示することがすごく上手でしたよね。働き方改革って表向きは正しいんだけど、実際に生きている人間に当てはめると齟齬が出てきてしまう。そういうのがドラマでしっかりと描けるのは大事だと思います。


成馬:10月期でいうと遊川和彦脚本の『同期のサクラ』も職場が舞台のドラマです。『家政婦のミタ』や『過保護のカホコ』(いずれも日本テレビ系)など、遊川さんはずっと家族がテーマでしたけど、『ハケン占い師アタル』(テレビ朝日系)から職場が舞台になりました。会社に何かあるという、作家としての嗅覚みたいなものが働いてるんでしょうね。


田幸:今一番価値観が違うのは会社ですもんね。同じ日本人であっても全く別の言語で話すような多国籍な感じになってる。


成馬:そういう意味で会社モノのドラマはまだまだ増えそうですね。ただ、今の会社モノのドラマの弱点は全員正社員になってしまっているところだと思います。『わたてい』には派遣社員のデザイナーの女性が出てきましたが、会社の中にもいろんな立場があって非正規雇用の人たちもたくさんいる。そこをちゃんと描くことで新しい面白さが生まれてくる。


田幸:あのデザイナーの子は、今までだと悪者として描かれてた女性ですよね。


成馬:一昔前なら先ほど話に出たファムファタール的な「男に色目を使う」女という扱われ方をしていたかもしれない。『わたてい』では会社の構造によってそうさせられてるところを描いて、ちゃんと救っていました。


西森:私は会社で働いたことも、派遣社員として働いたこともあるので、ものすごくリアルすぎて泣きそうになる役でしたね。これは自分の経験というか、感じたことなんですけど、派遣社員って社員よりも役に立っていないとか、能力がないっていうことをすごく実感させられるんです。まあできる仕事の範囲も狭いので構造的にも当然なんですけど、できることがあったとしても、立場上、勤務内容に書かれたこと以上のことをやらせてもらえることもない。だから、派遣が役に立てるとしたら、愛想をふりまくとか、コミュニケーションを円滑にするとか、そういう方向しか見つからない。そして、周囲もその役割を求めてくるんですね。社員の女性は多少愛想が悪くても、実績を出してくれるから仕方ない。でも派遣は、そういうことがないので、職場を明るくしてくれよと。そうなると、自分のような人間でも、なんとかコミュニケーションくらいは普通にしたいと思う。そういう思いから、あの派遣社員が、コミュニケーションでなんとかしたいと思った気持ちがものすごくわかって。こういう話って、なかなか見えないことなので、どんどん言っていかないとと思いますし、ドラマであそこまで描いてくれたことは、感謝しかないですね。


――『これは経費で落ちません!』(NHK総合)も契約社員の女性が、経費の申請は査定にひびくのではと思って、自腹をきっていたというエピソードがありましたね。


成馬:『これは経費で落ちません!』も面白かったですよね。『凪のお暇』の裏での放送だったけど、かなり健闘していました。映画の『決算!忠臣蔵』もそうなんですが、お金の流れって面白いですよね。働き方だけではなく、そういうドラマも増えていくかもしれない。


■“本気モード”な『スカーレット』 朝ドラも平成から令和へ


成馬:『スカーレット』(NHK総合)、『天気の子』、『ジョーカー』は、自分の中では同じくくりの作品だと考えていて、「令和」になって気分が一気に変化したと思うんですよね。『天気の子』も『ジョーカー』も、主人公は自分のことを普通だと思っているけど、ものすごく理不尽な状況にいて、それは基本的には社会のせいだったりする。そのことに気付いて頑張るんだけど、どんどん状況がひどいことになっていきますよね。『スカーレット』も似た構造で『なつぞら』から『スカーレット』になった時に平成から令和になったんだなぁと感じました。『なつぞら』は誰も傷つかないという優しい朝ドラだけど、『スカーレット』から厳しい世相が反映されて本気モードに入ったというか。妙に殺伐としたところがありますよね。


ーー『なつぞら』はいかがでした?


成馬:『なつぞら』は良い面もたくさんあったのですが、不満が残る作りでした。理由はひとつで、当時、東映動画で起きた労働争議を描かなかったことで物語が歪になってしまったなと思います。そのせいで、ジブリに繋がる日本アニメーションの骨格を描けなくなってしまったと思うんですよね。労働争議で描くべきだった課題を、女性の職業問題として描いてしまったことで、会社の問題を個人の問題にすり替えてしまったように感じました。60年代後半から70年代初頭にかけての、学生運動や労働争議は、戦争を描くよりも難しくなっているのかもしれないですね。『まんぷく』も「あさま山荘事件」については描けなかったし、『ひよっこ』も、共産主義のにおいはあるけど、当時の労働運動や安保闘争を直接は描けなかった。その問題が、『なつぞら』にはそのまま出ていた印象で、もしかしたら今のドラマが抱える根源的な問題なのかなと思います。


田幸:アニメーションの深堀が少なかったんですよね。北海道の開拓者魂は描いていたけど、最終的にはホームドラマとしての側面が強かった。『なつぞら』は「記念すべき朝ドラ100作目」ということで、書かなきゃいけない素材が多すぎたのかもしれませんね。過去の朝ドラヒロインを総出演させて、キャストも主役級の人が多かった。作品というよりも「朝ドラ100作目の祭り」という意味が大きかったのかもしれません。


成馬:対して『スカーレット』は範囲が限定されているが故に、作り込みがうまくいっている。主人公の喜美子(戸田恵梨香)に対して世界が基本的に優しくなくて、そこが『なつぞら』とは大きく違うところですよね。


田幸:元々朝ドラってヒロイン至上主義のものが圧倒的に多いんです。ヒロインは愛されていて、みんなヒロインのおかげで幸せになっていくというのが王道だったけど、『なつぞら』で視聴者からなつ(広瀬すず)が嫌われてしまって……その反動なのか、きみちゃんが可哀想すぎて、みんな応援する側になっています。


成馬:朝ドラのヒロインが「嫌われない構造」を作ったという意味では、すごく画期的ですよね。ひねくれたヒロインの性格を設定したり、不幸な子をヒロインにするというのは、『純と愛』や『まれ』でもやってたけど、作り手の作為が強く出過ぎていたせいで、無理やり不幸な物語を見させられているように視聴者が感じてしまった。対して水橋文美江さんの脚本は、うまさを感じさせないうまさがあって、『スカーレット』はいい意味で作家性が目立たない。貧乏で、身内に駄目な人がいるから不幸が起きるという構造をしっかり描いているのがうまくいっていると思います。


田幸:長女の性を感じますよね。妹2人は自由に許されているのに、なぜだか長女だけが父(北村一輝)に縛られている。


成馬:姉妹3人とも、別の方向から父親に似てきていますよね。簡単に言えば、父親がクズなんだけど、そう単純には切り離せない。喜美子の中にも常治に近い部分もあるし、すごい“業”を感じさせますよね。一人の人間を悪にして切り捨てられたら楽なんだけど、身内だとそれができないので、身内に足を引っ張られていると感じることができないこと、それ自体が不幸だと思います。貧困がノスタルジーではなく“現在のこと”として描かれている。おそらく後半は喜美子の中にある常治的な要素が強く出てくる展開になると思うのですが、今の方針を貫けば画期的な朝ドラになるんじゃないかと期待してます。(取材・文=若田悠希)


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