“仮面ライダー自身が仮面ライダーを超える”二重構造 劇場版は『ゼロワン』という物語の所信表明に

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2020年01月12日 06:01  リアルサウンド

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「ゼロワン&ジオウ」製作委員会 (c)石森プロ・テレビ朝日・ADK EM・東映

 振り返れば、2019年は仮面ライダーシリーズにとって怒涛の一年であった。


 元はファンの俗称に過ぎなかった「平成ライダー」というラベリングが、いつの間にか公式に取り込まれ、はや幾年。その元号の最後に登場したのは、タイムトラベルを重ねて歴代のライダーと邂逅する、『仮面ライダージオウ』という骨太な物語であった。10年前の『仮面ライダーディケイド』とは異なり、積極的にオリジナルキャストを登場させ、その度にSNSを中心にネットを広く沸かせていく。より今風なアプローチが込められた、そんなTV番組として駆け抜けていった。


 期せずして「平成ライダー」という呼称を取り込んだからこそ、「令和ライダー」の始まりを意識せずにはいられない。四方八方から「新たな始まり」を求められたであろう『仮面ライダーゼロワン』は、AIやシンギュラリティといったテーマを扱いながら、「新しさ」の形成に挑む。その物語の重要ポイントに位置付けられたのが、昨年12月に公開された映画、『仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション』である。


●「偽の歴史」を語り口に「本来の歴史」を仄めかす構造


 ある日飛電或人が目覚めると、そこは人工知能搭載型ロボット・ヒューマギアが支配する世界に変容していた。アナザーゼロワンという見知らぬ強敵、そして、大挙として押し寄せるヒューマギアたち。絶体絶命の或人の前に、最高最善の魔王として新たな世界を創造した常盤ソウゴ(仮面ライダージオウ)が現れる。ソウゴの導きにより、歴史が分岐した12年前を訪れる一行。そこには、或人の育ての父であるヒューマギア・飛電其雄の姿があった……。


 本作では、『ゼロワン』のパイロットを務めた杉原輝昭監督がメガホンを取っている。同監督が得意とする「魅せるアクション」は健在。こだわりのガンアクションや、CGを多用したアクロバティックな画作りなど、映像面の見どころは枚挙にいとまがない。物語の鍵となる飛電其雄を演じた山本耕史は、その端正な存在感を遺憾なく発揮。オールドファンにも嬉しいデザインに仕上がった仮面ライダー1型として、時を超えてやってきた息子の前に立ち塞がる。また、井桁弘恵演じる刃唯阿の貴重なポニーテール姿も必見だ。


 『ジオウ』の物語設定の基盤にあった、アナザーライダーと偽の歴史というギミック。本作『令和 ザ・ファースト・ジェネレーション』では、それらを舞台装置として導入することで、『ゼロワン』世界の原点に触れていく。時を超えて暗躍するタイムジャッカーによってアナザーライダーが生まれると、仮面ライダーの本来の歴史は変容し、偽の歴史に置き換えられてしまう。これを『ゼロワン』の前日譚に適用することで、「偽の歴史」を語り口に「本来の歴史」を仄めかす構造だ。


 TVシリーズという本筋のためか、衛星アークに関わる真相は隠しつつ、その時代に生きたキャラクターの精神性を抜き取っていく。つくづく、『ジオウ』という作品の特異さを思い知らされる。本来あり得ない「親子ライダー対決」を、こうした「if(もしも)」の舞台を活用することで実現させるのだ。まさに夢の対決である。


 劇中にて、ジオウに変身するソウゴは、「仮面ライダーに原点も頂点もない!」と声高々に叫ぶ。いや、その歴史には、原点も頂点もあったはずなのだ。偉大なる歴史の第一歩である本郷猛の仮面ライダー1号や、2000年に放送された『仮面ライダークウガ』など、時代をゼロから始めた作品は確かに存在した。


●超えるべき古い価値観


 しかし、常に「今の子どもたち」に向けて変化し続けてきた平成ライダー、そのアイデンティティは、ひとつの枠に収まらない「個性」の渋滞そのものにある。自身の集大成となった映画『劇場版 仮面ライダージオウ Over Quartzer』で描かれたように、平成ライダーは常に、その時その時を懸命に突き進んできた。「その時」を生きた視聴者にとっては、もしかしたら1号やクウガよりも、「その時」の仮面ライダーが原点かつ頂点なのだろう。「個性」を叫び、たとえ不格好でもその足跡を尊重する。それこそが、平成という一時代に築かれたひとつの価値観であった。


 だからこそ、それを継ぐ令和の仮面ライダーには、多様性が求められていく。既存の価値観を疑い、破壊し、その更なる先を目指す。むしろ『ゼロワン』には、『ジオウ』によって「多様性を訴えざるを得ない」「過去を超えねばならない」状況すら生まれているのだろう。


 それを象徴するかのように『令和 ザ・ファースト・ジェネレーション』にはふたりの仮面ライダー1号が登場する。高速移動によって赤いマフラーをなびかせる仮面ライダー1型、そして、恒例の巨大CG枠となるアナザー1号である。特にアナザー1号については、その出自や背景について、描写が弱い部分も散見される。とはいえ、「仮面ライダーは悪から生まれた」という、もはや形骸化しつつあるクロス・オブ・ファイアの概念を叫ぶその様子は、そっくりそのまま「超えるべき古い価値観」としてジオウの前に立ち塞がる。


 ゼロワンは1型と、ジオウはアナザー1号と。それぞれ、シリーズの原点かつ頂点である仮面ライダー1号を模した存在と拳を交える。それは、『ジオウ』が提唱した「古い価値観に縛られない個性」、その宿命を意図しているのかもしれない。偉大なる仮面ライダー1号の「明」「暗」を、1型とアナザー1号にそれぞれ分離させることで、「仮面ライダー自身が仮面ライダーを超える」構図を二重に作り出しているのだ。


 「令和」という単語を劇中で扱うことなく、求められる「新しさ」を描く。それは間違いなく、「個性」を強く叫んだ『ジオウ』の発展型でもある。価値観や存在は、「古い」から悪い訳ではない。むしろ、「古い」過去があったからこそ、「新しい」今がある。そこに敬意を払いながら、破壊し、跳躍する。過ぎた過去は変えられなくても、未来なら変えられるのだ。AIという「既存の社会を変革する存在」を扱う『ゼロワン』は、物語の精神性そのもので「令和=新時代」を描くのだろう。


 『令和 ザ・ファースト・ジェネレーション』は、あえて言うならば、前作『ジオウ』の劇場版に見られた型破りのインパクトや規格外の迫力には欠ける作品である。しかし、『ゼロワン』という物語の所信表明を、『ジオウ』の作品ギミックを活用して今一度打ち出す。その手堅い作りは、平成の残り香が感じられるこのタイミングでこそ、目撃して欲しい。


 そんな『ゼロワン』のTVシリーズ本編は、年明けからより一層の加速を見せている。「社長で仮面ライダー」という或人と同じ立場を持つキャラクター・天津垓が本格的に登場。仮面ライダーサウザーとして、桁外れの強さを披露する。何やら或人の祖父である是之助との因縁も見え隠れする垓は、煮えたぎる野心を隠すことなく、飛電インテリジェンスに牙をむく。


 年末までで描かれた「お仕事」描写はそのままに、会社同士の対決として、より職業ネタを本筋に絡めていく『ゼロワン』。これまでは敵組織のテロ行為によって怪人と化していたヒューマギアが、それがなくとも暴れ始めてしまう。ロボットは、AIは、「人類の敵」として危険視されてしまうのだろうか。AIが持つ前代未聞の「利便性」と、いかに距離を取り、どのように付き合うか。その存在に頼るべきか、いや、「頼りきり」で良いのか。『ゼロワン』はAIを通して、そこに生きる人間の「学習(ラーニング)」こそを裸にしていく。


 2020年という一年も、『ゼロワン』が怒涛に彩ってくれることを、願ってやまない。(結騎了)


このニュースに関するつぶやき

  • 生駒のライダー1号はオーズWスカルのマグマの中ライダーにも見えるよん(・ω・)
    • イイネ!4
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