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赤字に苦しんできたダイエーに“復活”の兆し 流通帝国の崩壊から黒字化までの道のりをたどる

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2020年01月15日 06:22  ITmedia ビジネスオンライン

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ITmedia ビジネスオンライン

写真ダイエーが運営するイオンフードスタイル
ダイエーが運営するイオンフードスタイル

 再建途上のダイエーが復活へと向かっている。2019年度第3四半期決算(19年4〜12月)では、営業損失が19億円の赤字だった。しかし、前年同期の赤字は44億円だったので、大幅に赤字額が圧縮された。営業収益は2222億円で、5.1%伸びている。かつて3兆円を超えた年商と比較すれば寂しいが、着実に改革が進んでいる。



【画像】ダイエーの変化を感じさせる焼きたてパン



 18年度はトータルで40億円の赤字だったが、前年度における52億円の赤字より改善している。第4四半期単独に限ると5億円の黒字化に成功しており、明るい兆しが出ている。通年での黒字化も近いだろう。



 ダイエーを子会社にしているイオングループでは、ダイエーを大型の総合スーパー(GMS)事業から撤退させて、地域に密着したスーパーマーケットとしての再生を目指しているが、ようやく成果を出しつつある。地域も、首都圏と関西に絞り込み、洗練された都市型のローカルスーパーを目指している。店舗数は18年9月末現在で176店だ。



 近年、ダイエーは「ディーズベーカリー」のブランド名で焼き立てパンを展開。イートインスペースを設け、スマートフォンの充電が無料でできるようにするなど、売り場の改革を推進。特に「食」を充実させて、食品スーパーとしての生き残りに懸命だ。



 「ダイエー」や「グルメシティ」から「イオンフードスタイル」へとブランド名をリニューアルしている店が増えている。イオンの冠が付いていて、運営がダイエーとなっている。



●成長していないスーパー市場



 日本チェーンストア協会の資料によれば、スーパーの市場規模は1989年度の約13兆円から30年間横這いで成長していない。2018年度も約13兆円である。



 その背景には、急成長したコンビニがある。また、近年はドラッグストアが食品を強化して、スーパーの強力な競合として台頭してきた。衣料品はファストファッション専門店やアウトレットモール、家電は家電量販店、家庭用雑貨はホームセンターや100円ショップへと、それぞれ専門店に顧客が流れた。



 GMSはダイエーに限らず、どのチェーンも苦戦している。当のイオンも19年度第3四半期決算は181億円の赤字となっており、総合金融の422億円の黒字やディベロッパーの406億円の黒字などで、営業利益を補っている状況だ。イオンやイオンスタイルなどはあれだけの広い立派な売り場を持ちながら、採算が取れておらず、カード事業やイオンモールに入っている店舗の家賃収入でもうけているのだ。



 しかし、そうした中でも「業務スーパー」「オーケー」「成城石井」「ヤオコー」のように、独自路線を歩み堅調に売り上げを伸ばしているチェーンがあり、やり方次第ではまだまだ成長が可能だ。



 では、ダイエーのこれまでの偉大な足跡とその崩壊から、再生への道筋を振り返ってみよう。



●価格破壊の先駆者



 ダイエーは1980年、小売業界で日本では初めて年商1兆円を突破。創業者・中内功氏の強烈なリーダーシップにより、「価格破壊」をスローガンとした流通革命の旗頭として、一世を風靡(ふうび)した企業である。



 ダイエーをはじめ、イトーヨーカ堂、ジャスコ(現・イオン)など、スーパーが台頭するまでは、商品の値段はメーカーが主導して決めており、今のような顧客の声や総意が値段を決めるという考え方はなかった。中内氏とダイエーは常に消費者の側に立ち続けたが、バブル崩壊後のモノ余りと格差拡大に対応できなかった。



 物価が上昇する中で価格破壊をするから意味がある。デフレならそれ以上破壊したら、利益が出ない。



 ダイエー1号店は1957年、大阪市旭区にある京阪・千林駅前の商店街の一角に「主婦の店・ダイエー薬局」(のちの千林駅前店、既に閉店)としてオープンしている。当初は化粧品、薬品、雑貨、菓子などを売る店だった。千林駅の目の前には「日本一安い商店街」の異名を持つ、全長660メートルのアーケード街が広がる。イオンに吸収されたニチイの創業店の1つ、衣料品「赤のれん」もかつて同じ千林商店街にあった。61年、近くに千林店をオープンしたが今はパチンコ店となっている。



 翌58年には、のちの旗艦店となる2号店を、スーパー形式で神戸市中央区の三宮にオープン。この店がヒットしてチェーン化に舵を切った。



 64年には、日本初のGMS、ショッピングセンター(SC)ともいわれる庄内店(SC名は庄内ショッパーズプラザ、現グルメシティ庄内店)を大阪府豊中市にオープン。



 同年には、松下電器産業(現・パナソニック)の製品を20%引きという当時としては破格の安価で売ったため、松下がダイエーに出荷を停止。ダイエーは松下を独占禁止法違反で訴え、ダイエー・松下戦争が勃発した。その後、ダイエーは自社開発のプライベートブランド(PB)でカラーテレビを廉価販売して人気を博すなど対立は続き、松下幸之助氏の死去後の94年にやっと和解している。



 68年には日本初の本格的郊外型ショッピングセンター、香里店(現在は閉店)を大阪府寝屋川市にオープン。



 72年には三越を抜いて小売業界日本一に君臨。東証一部に上場も果たした。



 75年、東京の旗艦店である碑文谷店(現イオンスタイル碑文谷)が目黒区にオープン。80年代には各地の地方スーパーを傘下にして規模を拡大した。



 安価を実現するために、PBを展開するのに当初から熱心で、61年に上島珈琲と提携して「ダイエーインスタントコーヒー」を発売している。こうした実験的な取り組みの後、「セービング」のPBブランドが確立するが、大手メーカーの製品を模したお粗末なものも少なくなかった。これが、ダイエーブランド凋落(ちょうらく)の一因にもなった。



●米国を研究し数多くの業態を開発



 全盛期のダイエーは、ディスカウントストアの「ビッグ・エー」を設立し、食品スーパー「マルエツ」を買収。ビーグ・エーとマルエツは、今は分離されイオン傘下となっている。現在は全店閉店したが大型ディスカウントストアの「トポス」や、コストコをベンチマークした会員制スーパーの「コウズ」なども展開。米国の流通をよく研究し、数多くの業態を開発した。



 また、コンビニの「ローソン」、持ち帰り弁当の「ほっかほっか亭」といった中食のリーダー格となる企業を創業。ネットワークビジネス、アムウェイの日本版「エックスワン」もダイエーが生み出した企業だ。



 多くの外食企業を創業したことでも知られ、東証一部に上場した英国風パブの「ハブ」をはじめ、ハンバーガーの「ドムドムハンバーガー」と「ウェンディーズ」、ハンバーグ主力のファミレス「ビッグボーイ」、ステーキハウス「フォルクス」、消滅したが牛丼「神戸らんぷ亭」などを、自力または米国企業と提携して立ち上げた。



 神戸の流通科学大学は、流通業の未来を担う人材育成のため中内氏が設立した大学だ。



 リクルート事件で話題になったリクルートは一時期、ダイエーの傘下だった。現在は福岡ソフトバンクホークスとなっている球団を、南海電鉄から買収して保有していた。老舗ホテルの「オリエンタルホテル」や、パチンコチェーンの「パンドラ」、ハワイを代表する「アラモアナ・ショッピングセンター」も買収して傘下としていた。



 今はもう存在しないものでは、百貨店の「プランタン」をフランスの老舗プランタンと提携して設立。ミシンメーカーの「リッカー」、遊園地の「小山ゆうえんち」、「奈良ドリームランド」を傘下に収めていたこともある。



 中内氏は日本チェーンストア協会初代会長、日本経団連副会長といった経済界の要職も歴任。流通業の地位向上にも貢献した。



●ダイエーはなぜつまずいたのか



 ダイエーはなぜ失敗したのか。不動産を購入して店舗を出店し、その値上がりを担保に金融機関から融資を受けて出店を重ねた。土地神話に根差したビジネスモデルだったため、90年代のバブル崩壊で大打撃を受けた。最大で2兆6000億円という多額の有利子負債を負ってしまった。



 しかも、一代で大流通グループを構築したものの、事業承継に成功したとは言えない。



 不運なことに、95年には神戸にあった本社が阪神・淡路大震災で被災。三宮の旗艦店も全壊して閉店を余儀なくされた。ダイエー系列店は阪神エリアに集中しており、その大半の店舗が被災した。被害総額は500億円と発表された。



 中内氏は東京の自宅で震災を知ったが、倒壊の危険がない兵庫県にあった49店のうち24店を震災当日からオープン。翌日には、阪神高速道路と神戸港が被災して使えないので、神戸の西の加古川市にある東播磨港に船で商品を運び、神戸へと送った。物資不足で価格を吊り上げる動きを阻止。物価の安定に寄与した。



 これは、流通は社会インフラと考える中内氏の哲学に基づく行動。ダイエーは東日本大震災の時にも仙台店(現・イオン仙台店)をわずか2日後に営業再開した。店舗前には3500人の大行列ができたという。



 一方で、店舗の再開に手間取り、売り場の改善までにはなかなか手が回らなかった。ついには2004年に産業再生法の適用により、産業再生機構などから1100億円超の出資を受けた。丸紅が再建に取り組み、07年からはイオンの助力を受けた。



●イオンの傘下に



 しかし、丸紅とイオンの意見が合わず、復活には至らぬまま、13年にTOB(株式公開買い付け)によりイオンの子会社となった。15年には完全子会社化されている。丸紅は消費税が5%から8%に引き上げられるのを機に、ダイエー再建から手を引いた。



 丸紅はスーパーとコンビニの複合業態といわれる「ひとりでも便利」をコンセプトとする新業態「フーディアム」を推進したかったようだが、イオンが買収してからはさらなる新業態であるイオンフードスタイルの店が増えている。イオンフードスタイルはスーパーの主要顧客である主婦やファミリーを重視している感があるが、都会の高感度な顧客を狙う方向性は共通する。



 近年のダイエーは、商品が変わった。青果売場に行くと、店によって取り組みが異なるようだが、トマトフェアと称して糖度とサイズが異なる数種類のトマトが陳列されていたり、鍋に合う野菜として豆苗が推奨されていたりする。世界中のクラフトビールを販売するコーナーが設けられている店もある。



 総菜では、「だしが旨い!切干大根煮」や「野菜と食べるあじ南蛮漬け」といったように、飲食店によくあるようなこだわりを強調した表記の商品が多くなった。弁当もワンコイン以内だと、398円(税抜)でボリュームのあるチキン南蛮弁当などがあって、同じクオリティーなら、コンビニより100円は安い感がある。



 焼き立てのパンが100円ベースでそろっており、カレーパンなどは具材もしっかりと入っていて、お得な内容だ。



 店舗が全般に老朽化していて、V字回復は難しいが、ダイエーの復権を予感させる品ぞろえになってきた。



●ダイエーは「解」にたどり着くか



 ところで、ダイエーの店舗に行くと、イメージキャラクターの「モッくんファミリーのうた」という音楽が流れている。「モッくん、モッくん」と連呼する歌詞がやたらと耳に残り、よく知らない人だと「モグモグ」と聞こえるので、「グルメをアピールしているのかな?」と思えてくる。



 もともと「モッくん」は「木曜の市」セールを宣伝するキャラクターだった。しかし、現在は日曜日にイオンカードで支払うとポイント10倍になるなど、ポイント還元に力を入れている。電子マネーで支払うと毎月5、15、25日がポイント2倍になったりと、幾つかの企画が混在していて分かりにくい。



 あれだけ「モッくん」を連呼し続けるなら、木曜の市に再度、集中してもらいたいものだ。



 「ダイエーには買いたいものがない」や「GMSには買いたいものがない」と言われてきた。



 サンフランシスコでは年収1400万円の4人家族は低所得者に分類されるという。日本の世帯年収で1000万円を超えるのは全体の10%程度だ。世界で最も豊かだったはずの日本の高所得者の大半が、気付けばサンフランシスコの低所得になってしまった。米国をベンチマークして、もっと安くていいものを売ってくれと求めても、企業努力には限界がある。



 晩年、中内氏は「顧客が見えなくなった」と語っていたそうだ。老いもあるが、米国と差が付き、日本がどんどん貧しくなっていく過程で、どういう商品を出せばいいか、分からなくなったのだろうか。



 イオンフードスタイルのコンセプトが分かりにくく、多くの店舗で建て替えも必要だが、ダイエーはやっとその解にたどり着こうとしているのかもしれない。



(長浜淳之介)


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  • 復活したらわが家にあるダイエーカラーのゲームボーイも高値で売れるかな〜
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