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小川航基は再び這い上がる。「自分はエリートなんかじゃない」

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2020年01月18日 06:02  webスポルティーバ

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 前日の宣言どおりの一撃も、なんの慰めにもならなかったようだ。笑みなど一切のぞかせることなく、小川航基(ジュビロ磐田)は自身のゴールを振り返った。

「2試合とも不甲斐ない戦いで、FWが点を獲っていないというところで思うところはありましたし、FWが決めないと始まらないので何かひとつ結果を残したかった。得点を決めたところまではよかったですけど、勝ち切れなかったのであまりうれしくないというか、モヤモヤしています」

 タイで開催されているU−23アジア選手権。東京五輪のアジア最終予選を兼ねたこの大会に、出場権をすでに獲得している日本も強化のために参加した。

 目指すは、優勝――。

 そう意気込んでタイに乗り込んだが、初戦のサウジアラビア戦を1−2で落とすと、続くシリア戦も1−2で敗れ、この時点で敗退決定。必勝を期したカタールとの第3戦は、小川が先制ゴールを叩きこんだが、その直後にPKを与えて追いつかれ、勝ち越すことはできなかった。

 アジアの大会で1分2敗という大失態。その責任をエースは重く受け止めていた。

「俺らは弱いってことを、あらためて感じました。このままじゃいけない。その思いがのしかかっている。幸い、これが本番じゃなくてよかった。ここで気づけたのはよかった。(10月に)ブラジルに勝ったからといって、全然違ったんだなってあらためて思いました」

 オリンピックイヤーに突きつけられた現実――。

 しかし、これまで小川は挫折や屈辱を糧に、サッカー人生を這い上がってきた。

 桐光学園高時代は、「高校ナンバーワンストライカー」と謳われたスター選手。しかし、小川自身は「自分はエリートなんかじゃない」と、きっぱりと言う。

「小学生時代も中学生時代も、自分は無名だったし、高校時代だって結局、勝てなかった。失敗ばかりしているというイメージがあります。決して順調に来てないし、常に危機感と戦いながらやってきた」

 鳴り物入りで2016年にジュビロ磐田に加入したが、負傷による長期離脱もあり、3年半でリーグ戦わずか1得点しか奪えなかった。昨夏には「プライドはもう捨てた」と覚悟を決め、再起を誓ってJ2の水戸ホーリーホックへ期限付き移籍を果たすと、半年で7ゴールを奪い、かつてのフォームを取り戻した。

 身長186cmの長身で、顔立ちも端正。スター性を存分に備えながら、雑草魂を宿した男――。それがストライカー、小川航基の本質だ。

 U−20日本代表時代は絶対的なエースとして、1歳下の堂安律(PSV)とのホットラインでゴールを量産していた。だが、2017年5月のU−20ワールドカップのウルグアイ戦で、左ひざの前十字じん帯断裂および半月板を損傷してしまう。

 その影響で、2017年12月に立ち上げられた東京五輪代表チームへの参加は大きく出遅れた。初めて招集されたのは、立ち上げから半年後、2018年5月のトゥーロン国際大会。8月のアジア大会のメンバーにも選ばれず、コンスタントに招集されるようになるのは11月以降だった。

 小川が苦しんでいる間、盟友の堂安は大きく羽ばたいた。2018年7月にオランダのフローニンゲンに移籍し、9月にはA代表デビュー。さらに2019年8月にはオランダの名門PSVへの移籍を果たした。

 その堂安が2019年11月のコロンビア戦で東京五輪代表チームに初めて合流し、小川も堂安とのプレーを久しぶりに楽しんだ。だが一方で、複雑な想いも抱えていた。

「律とはプライベートでも仲がいいし、U−20代表時代は律のパスからたくさんの点を獲ってきた。また一緒にサッカーができるのはうれしいし、刺激も受けていますけど、どんどん先に行かれてしまったな、という悔しさもある。律とはこの合宿でサッカーの話もたくさんしているので、僕にとってもこの合宿が何かのきっかけになりそうな気もしています」

 小川が大きな刺激を受けたのは間違いないだろう。その約1カ月後、E−1選手権に出場する日本代表に選出された小川は、香港との第2戦で代表デビューを果たすと、ハットトリックまで決めたのだ。

 だが、チームを引っ張る決意を持って乗り込んだタイの地で、またしても失意を味わった。

 初戦のサウジアラビア戦ではスタメンに起用されたが、ほとんどボールに触らず、72分に無念にも上田綺世(鹿島アントラーズ)と交代してベンチに下がった。

 続くシリア戦では、上田にスタメンの座を譲った。そのシリア戦、1−1で迎えた終盤のことである。

 日本はすでにふたりの交代選手をピッチに送り出していた。残る交代枠はひとつ。残り時間は5分弱。その時、小川はビブスを脱ぎ、ユニフォーム姿になってベンチ前に立っていた。まるで「俺を使ってくれ」と訴えんばかりに……。

 3人目の交代選手として選ばれたのは、旗手怜央(順天堂大→川崎フロンターレ)だった。出番のなくなった小川は、しかし、ユニフォーム姿のまま立ち続け、タイムアップの笛を聞いた。

「使ってほしかったという思いもあったし、2連敗するチームを自分が助けられなかった。非常に悔しい気持ちでした。できれば、出場して点を獲りたかった」

 カタールとの最終戦の前日、小川はこの時の思いを吐露した。そして、カタール戦でのゴールを誓うのだ。

「相手は守ってカウンターというサッカーなので、FWにボールが入る回数がどうしても少ない。どれだけ我慢して、前線で駆け引きを続けられるかが大事になる。チャンスは1、2回しかないかもしれないけど、その1、2回のチャンスをしっかりモノにする力が自分にはあると僕は思っているので、そこを期待してもらえればと思います」

 72分、その瞬間がやってきた。バイタルエリアで食野亮太郎(ハーツ)のパスを引き出すと、迷わずシュートへと持ち込み、右足を強振する。グラウンダーのシュートはGKの手をかすめてネットを揺らした。

「食野はいつもなら強引にドリブルシュートに持っていく。それが彼のよさでもありますけど、『バイタルでもうちょっと顔を上げて、俺のことを見てほしい』と伝えていた。いいコミュニケーションが取れての先制点だったんじゃないかと思います」

 その瞬間、両拳を握りしめ、胸の前で小さなガッツポーズを繰り返した。

 実は前々日のシュート練習の際にもシュートを決めたあと、このガッツポーズを見せていた。それだけゴールに飢え、秘めた想いを抱えていた証だろう。

 東京五輪代表チームの1トップには、このチームのトップスコアラーである上田、ポルトガルのマリティモで研鑽を積む前田大然、そして、オーバーエイジとしてA代表のエース、大迫勇也(ブレーメン)の参戦も噂されている。

 だが、それでも小川に期待せずにはいられないのは、ストライカーにとって大切な雰囲気をまとっているからだろう。何かをやってくれるのではないか……という期待感と言い換えてもいい。小川自身も、自分の可能性を信じて疑っていない。

「ゴール前での仕事の部分、いろいろな形で点が獲れること。それは自信があります。僕は雰囲気も重視していて、相手に『こいつ、何かやるんじゃないか」、味方に『あいつなら、何かやってくれるんじゃないか』という雰囲気をいかに醸し出せるか。東京オリンピックという大舞台では持っている選手しかやれないと思っていて、僕は自分がそういう雰囲気を持っていると信じている。その自信はあります」

 俺らは弱い――。

 その言葉に、小川がショックを覚えていることがうかがえた。しかし、今大会で負った深い傷も、自分を駆り立てるために必要な経験だと分かっているはずだ。エリートではなく、これまでも挫折するたびに這い上がってきたのだから。

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