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清水邦広は男子バレーの不死鳥。目指す東京五輪で「何としても結果を」

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2020年01月18日 07:12  webスポルティーバ

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 レギュラーシーズンの佳境を迎えるVリーグ男子で、パナソニックパンサーズの清水邦広が好調を維持している。

 昨年11月に「Vリーグ栄誉賞」の対象となる通算230試合出場と、通算得点数数(当時4057点)の更新をダブルで達成。1月17日時点で、総得点ランキングは日本人3位(全体の11位)の246点と、リーグ3連覇を狙うチームをけん引している。

 清水は2018年2月のVリーグでの試合中に、右膝の前十字靱帯を断裂したほか、半月板損傷なども重なって長期離脱を余儀なくされた。懸命なリハビリで昨シーズンの終盤に復帰し、再び日本代表でもプレー。遠ざかったかに見えた東京五輪出場を再び手繰り寄せた清水に、大ケガから復活するまでの苦闘と五輪出場への思いを聞いた。

――あらためて、2018年2月に負ったケガを振り返っていただけますか?

「あの瞬間は『とんでもないケガをした』とすぐにわかりましたし、診断結果を聞いた時は絶望しかありませんでした。2016年の12月に右足の舟状骨を疲労骨折し、そこからケガをしないような身体作りをして復帰した時はすごくコンディションがよかったんです。それなのに、また大ケガをしてしまって、自分の中で何かの糸が切れたように感じ、『もうリハビリをする気力がないので、バレーボールをやめます』と、担当してくださったドクターの荒木大輔先生に伝えました」

――そこから、どのように気持ちを持ち直したんですか?

「荒木先生が、『今回は前十字靭帯損傷の中でも、もっとも症状は重いけど、今の時代は決して治らないわけじゃない』と、いろんな治し方を提案しながら説得してくれました。『みんなで知恵を出し合いながら治し、復帰して納得がいかなかったら、その時に進退を考えればいい』とまで言ってくださって。そこで『もう一度やろう』と決意することができました。

 また、その年のファイナルでチームが優勝したあとに、”ベテラン組”の白澤(健児)さん、永野(健)さん、同期の福澤(達哉)との4人で祝勝会をしたんですが、その時に永野さんから『みんな、一番つらいのはお前だということはわかっている。できることは何でもするし、絶対に待っている』と言われたことも大きかったです。まだ車イスに乗っていた僕はこらえきれずに泣き崩れちゃったんですけど、同時に『絶対に来年は決勝のコートに立つ』と思うことができたんです」

――そんな決意のもと、リハビリはどのように進んだんですか?

「手術後の2カ月くらいまでは、右膝の曲げ伸ばしを繰り返しました。手術のあとに動かさないと可動域が狭くなり、ケガをしやすい状態で固まってしまうので、かかとをお尻につける動作をするんですが、慣れるまではかなり痛かったですね。

 それが多少できるようになったら、チューブを使ってのトレーニングで徐々に筋肉をつけていきました。膝をカバーするため、太ももの大腿四頭筋とハムストリングスを重点的に。今でも右足はケガをする前に比べると細いんですけど、それが以前と同じになるくらいまで回復したら、もっとパフォーマンスを上げることができると思います」

――その後、退院の翌日に発症した患部の感染症も乗り越え、ジャンプの練習を再開した時に恐怖心はありましたか?

「恐怖心よりも、感覚を取り戻すのに苦労しましたね。10cm、20cmくらいのジャンプから始まって、最初のスパイク練習は小学生用の2mのネットで行なったんですが、空中でバランスが取れずにネットにかけてしまうこともありました。なので、中学生、高校生の高さのネットでスパイクを打てるようになった時は、すごくうれしかったです。敏捷性をとり戻すための地道なトレーニングが多かった分、大好きなスパイクを打てる喜びも大きかったですね」

――そして、2019年2月のサントリーサンバーズ戦で復帰。その時の1点目は、リベロの永野選手からの2段トスを打ち切ったものでした。

「最初の1点がセッターの深津(英臣)からのトスではなく、永野さんからの2段トスというのも、僕らしい復帰の仕方だとみんなに言われました。そういう難しい状況で決めるのが僕の役割ですし、決められてよかったです」

――そのままリーグ優勝を目指せるかと思いきや、その試合の直後にまた感染症にかかり、再手術となりました。優勝を決める4月のファイナルには間に合いましたが、その時の心境は?

「1回目の時のほうが精神的にはきつかったです。やっと退院できた矢先でしたから。2回目は、落ち込むというより腹が立ちましたね。『神様は、俺にまだ試練を与えるのか!』と逆に燃えてきて、『絶対に復帰してやる』と強く思っていました。

 とはいえ、2回目の感染症の手術から急ピッチでリハビリをしたので、(ファイナルで)ちゃんとプレーできるのかなという不安はありました。そこでもチームメイトに支えられ、応援してくれる方々からも、『もう一度プレーする姿が見たい』というお手紙をたくさんいただいた。起用してくれた川村(慎二)監督も含め、本当にいろんな方に後押しされてファイナルのコートに立つことができたので、感謝しかありません」

――Vリーグのシーズン終了後には日本代表にも選出され、8月の親善試合、9月のアジア選手権に出場しましたが、久しぶりの代表でのプレーはいかがでしたか?

「日本代表のユニフォームをまた着ることを想像ができなかったので、もう一度日の丸を背負い、大勢のお客さんの中でプレーできることに感動しました。アジア選手権は3位と不本意な結果に終わりましたが、多くの課題を見つけることができた価値のある大会でした。

 僕は(西田有志の)リザーブで出ることが多く、その難しさも感じました。リザーブの選手は、いつでも行ける準備をして、出場したら少しの時間で結果を出さなければいけない。相手のチームに『こいつが出てきたら嫌だ』と思わせられるよう、流れを変えなくちゃいけないですからね」

――それを経て、続くワールドカップにも出場を果たしました。

「日本のファンの皆さんに『お帰り』と声をかけてもらえて、たくさんの人にいただいた恩を返したい思いはありました。それでも、僕は東京五輪のメンバー争いで当落線上にいることも自覚していましたから、『少しでもアピールしたい』という気持ちが強かったです」

――同じポジション、同じ左利きの選手として大活躍した西田選手の印象は?

「彼はめちゃくちゃすごいですね。僕の経験上、西田選手の今の年齢(19歳)の頃がもっとも選手として伸びる時期。体が成長し、技術もどんどん身についてくる。西田選手は高校を卒業してすぐにVリーグのチーム(ジェイテクトSTINGS)に入って、よりレベルの高い環境でその時期を過ごせていますから、いい判断だったと思います」

――西田選手は子どもの頃に、2008年の北京五輪で清水選手が活躍する姿を見て、「オリンピックに出たい」と思ったそうです。

「子どもの頃ですか……。時の流れは早いですね(笑)。でも、ワールドカップの時のように強い日本を見せることで、子どもたちがバレーをやりたいと思ってくれるようになってほしいですし、西田選手のように有望な選手が出てくることにつながると考えています。そういう意味でも、東京五輪は何としても結果を残さないといけない大会です。

(同ポジションのライバルでもある)西田選手の最大の持ち味は、世界でもトップクラスのサーブ。思い切りのいいプレーもそうですが、僕は違うプレースタイルで五輪を目指します。ケガや年齢を重ねたこともあって、昔と同じ高さのジャンプやフルスイングをするのは難しい。それでも、得点できる確率が高いプレーを一瞬で判断する力は、経験を重ねるごとに上がっていると思います。本番までに、相手にとって”いやらしいプレー”を磨いていこうと思います」

――Vリーグで、チームは現在ジェイテクトに次ぐ2位。清水選手自身も、230試合出場とリーグ総得点記録を更新したあとも好調を維持していますね。

「先ほどの話と重なりますが、今はミスを少なくし、なおかつ得点することを強く意識しています。以前だったら多少のリスクを負っても点を取りに行くことが多かったですけど、今は状況判断しながらプレーしていて、それがいい方向に出ているのかなと思います。記録達成も名誉なことですが、僕ひとりの力ではなく、やはりチームメイトと応援してくれる方たちのおかげ。ここからまだ成長できると思っていますし、よりチームに貢献して、リーグ3連覇を果たしたいです」

――最後に、東京五輪に向けての意気込みも聞かせてください。ワールドカップ直後には、東京五輪出場について「現状では非常に厳しいです」とコメントしていましたが、今はどうですか?

「今も厳しいことに変わりはありませんが、調子が上がってきている手応えはあります。まずは五輪に出場できる12人に選ばれることが目標。そのために、残るVリーグの試合で結果を残して勝っていくことが大事だと思っています。そうして東京五輪のメンバーに選ばれたら、やはりスタメンとして結果を出したいですし、しっかり活躍することで次世代にいい形でバトンをつなげたいです」

■清水邦広(しみず・くにひろ)
1986年8月11日生まれ。福井県出身。福井工業大学附属福井高校から東海大学に進学。20歳の時に日本代表に選出され、2008年に最年少の21歳で北京五輪に出場する。卒業後はパナソニックパンサーズに入団し、長らく全日本のオポジットとしても活躍

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