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『スカーレット』喜美子の中に宿る“剛と柔” これまでの朝ドラヒロインとは異なる複雑な内面性

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2020年01月21日 06:01  リアルサウンド

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写真『スカーレット』写真提供=NHK
『スカーレット』写真提供=NHK

 年明けから「陶芸家編」が始動した連続テレビ小説『スカーレット』(NHK総合)で、息が苦しくなるような展開が続いている。ヒロイン・喜美子(戸田恵梨香)とその周りの人々の日常と、移りゆく心模様を細やかに描きながら、「人間とは何か」「芸術とは何か」という手強い問いを投げ続け、答えを求め続けてきたこのドラマの、いよいよ核に迫るターンだ。


参考:戸田恵梨香、陶芸と演技は「自分との見つめ合い」 『スカーレット』は泥臭く愛おしい“朝ドラ”


 「人間は不完全な生き物である」。『スカーレット』は、この至極当たり前の命題を絶え間なく丁寧に描いているドラマだ。不完全な人間が、自らと向き合い、芸術と向き合い、高みを目指すとき、苦しみが伴わないはずがない。『スカーレット』の世界に魔法使いはいない。ひとつひとつの出来事に喜美子が、八郎(松下洸平)が、自ら対峙していくしかないのだ。私たちの人生がそうであるように。


  「陶芸家編」に突入してからは、創作意欲の炎が燃え始めている喜美子とは対照的に、創作に行き詰まってしまった八郎の苦悩がヒリつくリアリティで描かれている。また、人物の内面世界にグッと寄った展開ゆえ、喜美子が持つふたつの性質、「剛(かたさ・つよさ)」と「柔(やわらかさ・やさしさ)」が綱引きしているような描写が目に付くようになった。


 長き朝ドラ史にヒロインのタイプ数あれど、際立った造形を大別するならば、おおよそ「剛」と「柔」のふたつに類別できるのではないだろうか。「剛」のヒロインは思い込んだらまっしぐら、周りのことが目に入らず、ときに暴走してしまう激しさを持っている。『カーネーション』(2011年)の糸子(尾野真千子)や、『純と愛』(2012年)の純(夏菜)、『ごちそうさん』(2013年)のめ以子(杏)はこのタイプではないだろうか。一方「柔」のヒロインは、調和と柔和を重んじ、表立って強く主張しないかわりに、懐柔の才に長けていたりもする。『てるてる家族』(2003年)の冬子(石原さとみ)、『ゲゲゲの女房』(2010年)の布美枝(松下奈緒)、『まんぷく』(2018年)の福子(安藤サクラ)などがこのタイプと言えるかもしれない。


 とすると、喜美子は「剛」と「柔」、両方の特性を持ち合わせたヒロインではないだろうか。父・常治(北村一輝)の遺伝子を受け継いだ先天的な血の気の多さと、環境に応じて身につけた後天的な柔軟性が同居している。物心ついたときから常に立ちはだかる「貧しさ」という障壁、「The 昭和親父」の常治による数々の無茶振り、長女でありながら長男の役割も果たさねばならなかった重責。喜美子は、こうした否が応でも向き合わなければならない現実に、愚直に頭から突っ込んでいっても太刀打ちできないことを早くに悟り、回り込んでうまく処す工夫を身につけていったのだろう。


 人生で出会った「心の師」からの教えも、喜美子の「柔」を形成する大きな要因だった。ガキ大将を箒で追い回してとっちめたり、信楽の陶工・慶乃川さん(村上ショージ)の作品を「こんなんゴミやん」と言い捨ててしまうような「餓鬼」の部分もあった喜美子に、他者を敬うことの必要性、対決ではなく対話で解決することの大切さを説いたのは最初の師・草間さん(佐藤隆太)だった。高校進学を諦め、一見、回り道に思えた大阪での修行時代に出会った第二の師・大久保さん(三林京子)からは、心豊かで快適に生活するための能率的な家事の仕方、作業の極意を仕込まれた。絵付けの師匠・フカ先生(イッセー尾形)には、柔らかな心で創作に向き合い、決して慢心せず新たな挑戦をし続けることを学んだ。


 だがしかし、喜美子はただの「いい子ちゃん」でなく、いつでも「剛」の部分がひょっこりと顔を出す。陶芸に出会い、八郎との恋愛がはじまったとき、創作の業と同時に、喜美子の女としてのエゴがむくむくと湧き上がる様がグロテスクだった。結婚から9年が経った今は、「ハチさんに素晴らしい作品を作ってほしい。そのために私は何をすべきか」という「柔」の思いが起点だったのにもかかわらず、「こうあるべき」を無自覚のうちに相手に強いる「剛」の部分が現れ出ている。「剛」と「柔」が拮抗し、ねじれ、絡まり、八郎と、そして喜美子自身の首を真綿で絞めていくような心理描写がヘヴィだ。


 前述のとおり、このところの『スカーレット』は内面描写が多く、ながら見でサラッと観れば「動きがない」と見誤りそうなシーンの連続だ。しかし、喜美子の心の中では大波がうねり、飛沫を上げ、革命が起こっている。こんな高度な芝居を要する作劇に全身全霊で対峙し、「余すところなく」どころか想定を凌駕して応えてくる戸田恵梨香の演技が白眉だ。これまで、劇伴も台詞もナレーションもいっさいなし、数十秒間無音のまま、ただひたすら喜美子が作品に向かうというシーンが何度となく登場したが、この“試練”に耐えうる俳優はそういない。喜美子という人物は間違いなく戸田恵梨香だから成し得た役柄だろう。


 番組の放送開始前、荒木荘編を撮り始めたころのインタビューで戸田恵梨香は、役柄について問われ「この当時(昭和20年代後半)の平均的な15歳より少し子供っぽく、喜美子という人物を『作って』いる」と答えていた。この「作る」の意味するところが、「女優が楽屋に籠って役作りする」というたぐいの表層的なものではなく、脚本・演出・演者がひとつの哲学のもとリアリティを追求し、より高みを目指して物語と人物を造形していくことなのではないかと感じさせた。俳優・戸田恵梨香が、喜美子という人物を芯から理解し体得していることを、彼女の姿勢と話しぶりが予感させた。放送が始まり、その予感は確かな実感へと変わった。


 生きていると、こういう「ご褒美」みたいなドラマに何度か出会う。物語の中に魔法使いは登場しないが、私たちはこのとてつもない映像表現の高まりという「奇跡」を毎日見せられている。喜美子の人生修行はここからが本番。しかと行く末を見守りたい。


■佐野華英
ライター/編集者/タンブリング・ダイス代表。エンタメ全般。『ぼくらが愛したカーネーション』(高文研)、『連続テレビ小説読本』(洋泉社)など、朝ドラ関連の本も多く手がける。


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