こんにちは、保安員の澄江です。
先日、久しぶりに新人さんの入社があり、現場におけるインターン研修の指導を任されました。研修現場は、職員の間で「万引き犯の巣窟」と揶揄される大型スーパーM。ここは昭和の最先端といった雰囲気の老舗で、長いこと取り引きさせていただいているクライアントのひとつです。防犯機器の導入もなく、たくさんの常習者を抱えているため、研修には打ってつけのお店と言えるでしょう。新人さんとは、最寄駅の改札口付近で待ち合わせをして、現場まで一緒に向かうことになりました。
「おはようございます。今日一日、よろしくお願いいたします」
待ち合わせ場所に到着すると、40代と思しき、どこかボーイッシュな感じのする女性が駆け寄ってきました。なんでも部長さんから私の人着(にんちゃく:人の特徴や背格好のこと)を聞いてきたそうで、「すぐにわかりました」と、妙に得意気な顔をしています。型通りの挨拶をかわして、現場に向かうまでの間に話を聞いてみると、今年44歳になるという彼女は独身で、前職ではラブホテルの受付や清掃をしていたとのこと。前の仕事を辞めた理由を尋ねれば、勤務中に殺人事件が発生した際、その第一発見者になってしまったことで嫌気が差したと話しています。
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「前の職場では、援助交際しているような女子学生や、部屋で麻薬を使っているような人が普通にいました。私、こう見えても根が真面目なので、そういう人を見ると注意したくなっちゃうんですよ」
どうやら人並み以上に正義感が強い方のようですが、ただそれだけでは、この仕事は務まりません。声をかけるまでに至るプロセスが、非常に重要なのです。
「そんな簡単に声をかけられることはないから、まずは現場に慣れることから始めた方がいいわよ。声をかけたい気持ちが強すぎると、誤認事故につながりかねないから、常に冷静でいないとね」
「はい、先生! いろいろと勉強させていただきます」
この日は、2件の捕捉がありましたが、いずれの発見も私の目によるもの。自分で見つけることができず悔しがる彼女に、そのうち1件の声かけを担当してもらいました。実況検分から調書作成まで、警察対応も一通り経験できたそうで、随分と刺激的な1日になったようです。
「今日一日、あっという間でした。インターンの初日に、こんな経験までさせてもらえるなんて……。私も、先生みたいになれるよう、頑張ります」
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(私にも、こんな時があったのよね……)
どこか昂りながらも、尊敬のまなざしで私を見つめる彼女を見て、自分の新人時代のことを思い出しました。今回は、私が尊敬してやまない敬子さんについて、お話ししていきたいと思います。
会社のエース敬子さんと、高級ホテルの催事場へ……
「あなたが、ウワサの澄江ちゃんね」
入社後まもなく、研修に参加するため事務所の会議室に入ると、この会社のエースであられる先輩保安員の敬子さん(当時52歳)から声をかけられました。どうやら勤務初日に捕らえた少年の件が、みなさんの間でウワサになっていたようで、どんな人なのか私に会ってみたかったと仰ってくれています。
「勤務初日に挙げる人なんて、なかなかいないから、あなたに会える日を楽しみにしていたのよ。この仕事は、気に入ったかしら? 怖いことは、ない?」
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どことなく往年の京塚昌子さん似ている敬子さんは、とてもおおらかな感じがする方で、その口調も柔らかで優しいものでした。一つひとつの言葉から、慈愛に満ちた雰囲気が醸し出されるようで、この人に説諭されたら泣いてしまうような気がします。
「はい。やりがいのある仕事なので、これからも頑張りたいと思います」
「それは、よかった。今度、指名をもらった大きな催事の現場があるんだけど、私と一緒に入ってみない? スーパーと違って、なかなか難しいけど、経験しておいた方がいいと思うわよ」
「本当ですか? 私なんかでよければ、是非お願いします!」
その翌月、都内にある高級ホテルの催事場で開催された百貨店のセール会場に、敬子さんと2人で入る機会に恵まれました。セール期間は、金曜日から日曜日までの3日間。その初日である当日は、外商の担当がつくような別格のお得意様だけが限定招待されており、場内は煌びやかで優雅な雰囲気に包まれています。
「澄江ちゃん、この状況、どう思う?」
「皆さん裕福そうで、万引きするような人は、いないように見えます」
「そう思うでしょう。それが意外といるのよ。初日は、いつも挙がるから油断しないでね」
開場と同時に売場に入ると、場内は数分もかからないうちに大勢の客であふれ、思うように身動きが取れないほどの状況になりました。要領を得られず、右往左往しながら巡回を続けていると、いつのまにか私の隣にいた敬子さんが言います。
「澄江ちゃん、あそこにいる赤いショルダーバッグの女、わかる?」
「え? あ、はい」
「たぶんやるから、よく見ていてね」
「うそ!?」
敬子さんが言う赤いショルダーバッグの女は、一見して30代前半にみえる派手な女性で、その服装や雰囲気から察するに水商売の方に見えます。遠目から様子を窺うと、高級ブランドの皮財布を選んでいるようで、値札を確認しては戻すという行為を繰り返していました。
(本当に、やるのかしら? お金は持っていそうだし、私には商品を選んでいるようにしか見えないけど……)
しっかりと手元を確認するべく、比較的近い場所まで移動して、彼女の行動を見守ります。するとまもなく、3つの高級皮財布を手にした彼女が、特設された精算会場の方に向かって歩いて行きました。
(やっぱり、買うみたいね)
レジの行列に並び始めた彼女の姿を見送り、売場に戻るべく踵を返すと、またしてもいつのまにか隣にいた敬子さんが言います。
「どこ行くの? もうすぐよ。ほら、見て!」
「ええっつ!?」
すぐに振り返ると、前にいる人の陰に隠れながら、手にある全ての財布を赤いショルダーバッグの中に隠す彼女の姿がありました。この時に見た悪意あふれる魔女のような目は、いまも脳裏に焼き付いています。
「もう出るわね。いい機会だから声かけしてみなさい。きっと変な言い訳するわよ」
すると、敬子さんの声に反応したように動き出した彼女は、しきりと後方を気にしながら出口に向かうエスカレーターに乗り込み、ホテルの正面玄関から出ていきました。商品に手をつける前から彼女の犯意を察知し、その行動を読み切ってみせた敬子さんの職人技に驚愕しながら、異常なまでの早足で前を行く彼女の後を追います。
「お客様、お待ちくださいませ。お支払いしていただかないといけないものがございます」
高級店における声かけだからか、不自然なほど丁寧な口調になってしまい、それを聞いた敬子さんも笑いを堪えているように見えました。
「これのことですか? 混んでいたので、あとで払おうと思っていたんです。いま払いに行きますね」
ショルダーバッグから、隠した財布を取り出してみせた彼女は、意味不明な言い訳をしてホテルに戻ろうと歩き始めます。すっかり動揺してしまい呆然としていると、ショルダーバッグのハンドルを咄嗟に掴んだ敬子さんが、有無を言わせぬ威厳のある態度で彼女に言いました。
「あなた、そんな言い訳は通らないわよ。わかっているでしょ?」
「はい、ごめんなさい……」
思いのほか強烈だった敬子さんの迫力に、すっかりたじろいだ様子の彼女は、事務所までの同行を求めると素直に応じてくれました。
「今日は、どうしたの? なにか、嫌なことでもあった?」
「ちゃんと買うつもりで来たんですけど、お金を使うのが嫌になっちゃって……」
スナックの雇われママを生業にしているという彼女は、29歳。お母さんのように話しかける敬子さんに、すっかり心を開いているように見えます。事務所に到着して、テーブルの上に盗んだモノを出してもらうと、高級財布のほかに、ネクタイピンとカフスもショルダーバッグから出てきました。全て3つずつ盗んでいるので、その理由を尋ねれば、複数の馴染み客にプレゼントするつもりだったと話しています。盗んだ商品は、いずれも高級品で、被害総額は15万円を超えました。被害届が出されれば、逮捕必至の状況にありますが、お店側は買い取ってくれればいいという姿勢でいます。どうやら会場がホテルということもあり、警察沙汰を起こしたくないというのが本音のようです。商品を買い取れるだけのお金を用意できるか尋ねると、20万円以上の現金を所持していたので、警察は呼ばずにコトを済ませることになりました。敬子さんと2人で、被害品の精算を済ませた彼女を店の外まで見送り、帰りの道中に話を聞きます。
「あの人がやるって、どうしてわかったんですか?」
「目よ。どう見たって、買い物する目じゃなかったでしょう?」
「確かに……」
催事のスペシャリスト、敬子。職員の間で敬遠されるほど厳しい現場で、数々の高額品狙いを捕捉してきた敬子さんは、65歳で引退され、82歳でご逝去されました。最後にお会いした時には、随分と認知症が進んでおられたようで、私のことを孫と勘違いされ、とても優しくしてくださったことを覚えています。晩年は、警察や万引きの実録番組を楽しみに過ごされたそうで、その時に限って饒舌になられたと、娘さんから聞きました。おそらくは、人生の大半を費やしたであろう自分の仕事に、誇りを持っておられたのでしょう。
(私も、そろそろかしらね……)
1日の勤務を終えても疲れを感じさせないほど、軽快な足取りで歩く新人さんの背中を見送った私は、迫りくる自分の終末を意識しました。次のお休みは、亡き敬子さんの墓前に伺い、お花を供えたいと思います。
(文=澄江、監修=伊東ゆう)