普通の女の子が力を合わせ、自ら道を切り開く――「プリキュア」に見るシスターフッドの力

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2020年01月25日 22:02  サイゾーウーマン

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サイゾーウーマン

『スター☆トゥインクルプリキュア』(テレビ朝日系)公式サイトより

 放送開始から16年、女の子向けアニメとして高い人気を誇る「プリキュア」シリーズ(毎週日曜放送、ABCテレビ・テレビ朝日系列)。16作目の『スター☆トゥインクルプリキュア』が1月26日、最終回を迎える。

 過去作品の多くは「地球」を中心に物語が展開されてきたが、今作ではその舞台を「宇宙」へと広げ、史上初めて異星人のプリキュアも誕生。さまざまな価値観や考え方を持つ者同士の共生を、子ども向けにわかりやすく伝える描写が話題を集めた。

 主なターゲット層は、3〜6歳の女の子に設定されているこのアニメ。だが、一緒に鑑賞する親をはじめとして、大人からの支持も高い。30代の筆者もその一人だ。子どもはいないし、女性だが、幼少期にプリキュアを見て育った世代にも当たらない。それでも毎週放送日の朝は、欠かさず録画予約を入れた上で、リアルタイム視聴のためテレビ前に待機する。つらいことがあったり、気合を注入したかったりするとき、ふと気がつくと主題歌を口ずさんでいる。「プリキュア」に、これほど魅了されるのはなぜなのだろうか?

「プリキュア」と「セーラームーン」の大きな違い

 全く見たことがないという読者のために説明しておくと、「プリキュア」とは、敵に立ち向かうために女の子たちが変身する戦士の名前だ。どのような敵と、なぜ戦うのかという設定は作品ごとに変わるが、初代『ふたりはプリキュア』(2004〜05年放送)以来、通底している「プリキュアらしさ」のひとつが、シスターフッド(女性同士の絆)が魅力的に描かれていることだ。

 つまり、ある女の子が、個性も得意なことも異なる別の女の子との出会いを通じて成長していく「ガール・ミーツ・ガール」の構造が貫かれている。サポート的な立場の男性キャラクターが活躍することもあるが、あくまでも女の子たちは自らの頭で考え、動き、道を切り開いていく。

 女の子同士の連帯を描いている点では、1990年代を代表するアニメ『美少女戦士セーラームーン』(テレビ朝日系)と通じる。だが『セーラームーン』では、主人公・月野うさぎの前世はプリンセスだ。彼女を守護するほかの戦士との間には、立場の違いもある。一方、プリキュアたちの関係は、対等な存在同士が共闘する「バディもの」が下敷きになっている。

 例えば、『ふたりはプリキュア』の主人公である美墨なぎさ(キュアブラック)と雪城ほのか(キュアホワイト)は、ともに中学生。同じクラスだが、なぎさはラクロス部で活躍するいわば体育会系、一方のほのかは科学部所属で、クラスメイトから「蘊蓄(うんちく)女王」と呼ばれているようなタイプだ。昼ご飯を食べたり、放課後の時間を過ごしたりする仲間はそれぞれ別にいて、「美墨さん」「雪城さん」と少し距離を置いて呼び合う仲。そんな「異質」な女の子同士がプリキュアになることで、バディを組まなければいけなくなる。

 同作のコンセプトは、「女の子だって暴れたい」。初代プロデューサーの鷲尾天氏が意識したのは、映画『48時間』や『リーサル・ウェポン』だったという。格闘マンガ顔負けの激しい肉弾戦を展開するのも、現在まで受け継がれる特徴だ。プリキュアたちは、うわべだけの「なかよし」ではなく、時には大人も胸をえぐられるようなぶつかり合いを乗り越え、絆を強めていく。『ふたりはプリキュア』第8話で、なぎさがほのかに「あなたなんてプリキュアってだけで、友達でもなんでもないんだから!」と言い放ってしまうシーンは象徴的だ。その後、40話以上のエピソードを積み重ねる中で、視聴者はバラバラだった2人が唯一無二のバディへと成長するさまを目撃する。

プリキュアが貫く「関係性の核」とは

 プリキュアシリーズにおいて、主な転機は過去に2回あった。まずは『Yes!プリキュア5』(07〜08年)。ここを境に戦隊モノを意識したチーム制が採用され、「ふたり」という冠が外れる。さらに、『Go!プリンセスプリキュア』(15〜16年)。あえて「プリンセス」というモチーフを前面に出した上で、従来の「お姫様は守られる存在」というイメージを刷新した。以降は、同様に「魔法」や「宇宙」などのモチーフを設定し、社会性も意識した内容が目立つ。

 だが、「私と、私とは違うあなたが手をつなぐことで強くなる」という関係性の核は変わっていない。16作目の『スター☆トゥインクルプリキュア』は、「ヒーロー」であるはずのプリキュアがほかの星では「侵略者」と呼ばれたり、プリキュアの敵対勢力「ノットレイダー」を絶対的な悪として扱わない描写がされたりした点で新しかった。しかし、相いれない相手を力でねじ伏せるのではなく、認め合い、手をつないだ先にこそ力や希望が生まれるという世界観の前提には、初代の『ふたりはプリキュア』からの伝統がある。シスターフッドは、世界を救うのである。

 プリキュアの世界観は、近年のハリウッド映画などで見られる、ジェンダーやエスニシティの多様性を重視する潮流も先取りしていた。

 戦う女性を描いた海外作品といえば、『ワンダーウーマン』(17年)は記憶に新しいだろう。女性だけが住む島で育ち、戦い方も仕込まれたプリンセスが、最強の戦士として世界を平和に導くために立ち上がる。当時盛り上がりを見せていた「#MeToo」運動の気運とも呼応し、同作は称賛を浴びた。個性が異なる姉妹の絆をロマンティックに描いたディズニーの長編アニメ『アナと雪の女王』の続編も、現在進行形で興行成績を伸ばしている。

 女性は現実社会でもフィクションの世界でも、受動的な役割を負わされる傾向が依然として強い。だからこそ、こうした作品の数々は、抑圧にさらされてきた女性たちをエンパワメントする。同時に、新しい表現の可能性を広げることにも貢献している。プリキュアはそれを10年以上前から実践してきたのだ。その“果実”は、作中の描写にも如実に表れている。

 例えば『ワンダーウーマン』での女性主人公の描かれ方に関しては当時、映画『ターミネーター』などで強い女性キャラクターを生み出したことで知られるジェームス・キャメロン監督が苦言を呈し、波紋を呼んだ。英紙ガーディアンの取材に対し、「物扱いされる女性の象徴。表現として『後退』している」とコメントしたのだ。

 個人的には「後退」とまでは思わない。キャメロン氏の真意も推し量ることしかできない。ただ、美しく、愛情深く、家柄も由緒正しい完璧すぎるワンダーウーマンが、男たちの「ヒュー! すげえな!」という視線を浴びつつ奮闘する姿には、なんとも言えない居心地の悪さを感じてしまったのは確かだ。強さ自体にカタルシスは感じても、「私のヒーローだ」という確信を得られなかった。

 一方、プリキュアとして戦うのは、時に例外はあるものの、基本的には「普通」の、そして非常に「さまざまな」女の子たちだ。前述したように、初代の『ふたりはプリキュア』が「優しくてかわいいだけの女の子らしさ」を覆して、世の中を驚かせたのは2000年代初め。『フレッシュプリキュア!』(09〜10年)では、悪に手を染めた敵幹部がプリキュアに転身する画期的事例が生まれたし、『スイートプリキュア♪』(11〜12年)では、「優しい心があれば、女の子は誰だってプリキュアになれる」という名言もすでに飛び出していた。「いい子」じゃなくたって、何者でもなくたって、「ヒーロー」になれると示したのだ。

「違い」を尊重するプリキュアが育むもの

 さらに、プリキュアのチームの中心を担うキャラクターにも、歴史を重ねてきたからこその多様性がある。

 例えば、『スター☆トゥインクルプリキュア』の主人公である星奈ひかるは、宇宙が大好きでオタク気質。教室の中ではあまり目立たず、ひとりで絵を描いているときのほうが生き生きしているような性格だった。そんな彼女は、仲間と出会うことで一歩一歩世界を広げ、同時に自分の個性を殺すことなく、リーダーとして成長していった。集団の中で器用に同調することや、強く自己主張して周囲を統率したりすることを得意としない視聴者にとっても、共感しやすい「ヒーロー」だったと思う。

 能力や立場に上下関係をつくらず、「違い」 を尊重し合って肩を並べる――。困難な営みではあるけれども、 それは絶対に可能なのだとプリキュアたちは示し続ける。 シスターフッドを原点として引き継がれてきたその伝統は、 これからもさらに多様な「ガールズヒーロー」 を生み出していくに違いない。  

■加藤藍子(かとう・あいこ)
1984年生まれ、フリーランスの編集者・ライター。 慶應義塾大学法学部政治学科を卒業後、全国紙の新聞記者、 出版社などを経て独立。教育、子育て、働き方、ジェンダー、 舞台芸術など幅広いテーマで取材・随筆を行う。30歳の頃、たまたま『フレッシュプリキュア!』( テレビ朝日系)を見たことがきっかけで、 プリキュア沼の住人になる。

このニュースに関するつぶやき

  • HUGプリは社会派要素に重点置いてるよな。もう一つ、シリーズのいい所はヒーロー物と違って死者が全く出ない。
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