トッティやデ・ロッシのように…魂を受け継ぐ生粋のローマっ子、ロレンツォ・ペッレグリーニ

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2020年01月26日 10:35  サッカーキング

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写真将来のキャプテン候補として期待がかかるペッレグリーニ [写真]=/LightRocket via Getty Images
将来のキャプテン候補として期待がかかるペッレグリーニ [写真]=/LightRocket via Getty Images
「ボカを去り、サッカーをやめる」。1月6日、ボカ・ジュニオルスの元イタリア代表MFダニエレ・デ・ロッシが現役引退を表明し、アルゼンチンでの“旅”を終えた。

 クリスマス休暇を終えて、メディカルチェックを消化し、チームメイトとともにトレーニングを再開したばかりだった。寝耳に水の現役引退発表だったが、デ・ロッシの表情は清々いものだ。35歳にして2つ目のクラブとなったボカでは、公式戦7試合に出場。デビュー戦となったコパ・アルヘンティーナのクラブ・アルマグロ戦でのゴールは、クラブチームとしてローマ以外のユニフォームを着て決めた唯一の得点となった。

 引退会見では、「家族のために引退を決断した。長女はイタリアに残っていた。まだ成長期で、父親を近くに必要とする少女なんだ。あまりにも寂しかったし、娘もまた寂しい思いをしている」と言明。引退の理由は家族を大切にするイタリア人らしいものだった。



 デ・ロッシが18年間在籍したローマは、「素晴らしいキャリアは終わりを迎えた。多くの信じられないほどの想い出をありがとう、ダニエレ」とデ・ロッシのこれまでの活躍に感謝を示した。そして、ローマで最後の指揮官となったクラウディオ・ラニエリ(現サンプドリア指揮官)は、「ダニエレはフランチェスコ・トッティとともにローマの魂。チームを象徴する選手で、自分自身にもチームメイトに対しても、持っている力以上のものを出すように要求し、決して諦めることのない男だった」と賛辞を送った。

 また、元チームメイトのステファン・エル・シャラーウィは、ローマで最後の試合となった昨年5月26日、パルマ戦前のロッカールームの模様をインスタグラムに投稿。デ・ロッシが「俺は誰のために走ったか! 俺は誰のために闘ったか! 俺は誰のために死んだか!」と絶叫し、気合いを注入。円陣を組んだチームメイトたちも「ローマ、ローマ、ローマ!!!」と雄たけびを上げてるシーンの動画をアップし、「あなたがしてくれたことに感謝します」とつづっている。

 デ・ロッシは会見で今後についても言及。「将来は描かれている。監督をすることとなるだろう。そのために、間もなく指導者になるための勉強を始める」と引退後のビジョンを明かした。ローマは今、クラブ売却交渉が進んでいる。売却先となるのはUSAトヨタのセールス王、ダン・フリードキン。経済誌『フォーブス』によると、この大富豪の個人資産は43億ドル(約4700億円)で、世界で504番目の億万長者だという。総資産は現会長ジャイムズ・パロッタの3倍になるようだ。現地報道では、7億8000万ユーロ(約940億円)で売却することがすでに決定したとも伝えられている。新オーナーのもと、近い将来、デ・ロッシが監督になるという夢も膨らむ。ロマニスタにとっては、現役引退の知らせは決して寂しいだけのものではないかもしれない。

 一方、悲しい知らせは、ニコロ・ザニオーロの負傷だ。1月11日、本拠地オリンピコにユヴェントスを迎えたセリエA前半戦最後の一戦。2点を追う前半36分、自陣ペナルティエリア付近から3人、4人をかわすドリブルでアタッキングゾーンに侵入すると、マタイス・デ・リフトと交錯する。苦悶の表情でひざを抱え、涙を流しながらストレッチャーに乗せられてピッチを後にした。重傷であることは誰の目にも明らかだった。診断の結果は、右ひざの半月板損傷と前十字じん帯断裂。『コリエレ・デッロ・スポルト』紙によると離脱期間は4カ月。今シーズンのリーグ戦の復帰は絶望となったが、6月から開催されるEURO2020には間に合う可能性がある。



 スイスのスポーツ研究国際センター(CIES)のリサーチでは、ザニオーロの推定移籍金は8000万ユーロ(約97億円)に上るという。この数字はイタリア人選手で最高額となるもの。ローマにとってだけでなく、イタリアにとっても重要な選手であることは間違いない。その価値は、負傷直前のドリブルを見れば一目瞭然。「負傷前よりもさらに強くなって戻ってくる」。今はその力強い言葉を信じて復帰を待つだけだ。

 ザニオーロを負傷で欠いたローマは、その5日後にコッパ・イタリアのベスト16でパルマとのアウェイゲムーに臨んだ。この試合で輝きを放ったのが、ロレンツォ・ペレッグリーニだった。PKを含む2得点をマークし、準々決勝進出に貢献した。今シーズンは中足骨の骨折でリーグ戦第7節・カリアリ戦から6試合を欠場したが、これまで14試合でプレー。7アシストは、ラツィオのルイス・アルベルトの11に次ぐ2位の数字だ。第15節インテル戦では、欠場した主将アレッサンドロ・フロレンツィ、副主将エディン・ジェコに代わってゲームキャプテンを務めている。まだ23歳という年齢を感じさせないほど、チームの中で存在感を存分に発揮している。フロレンツィの後にカピターノとしてチームを牽引することはすでに約束されたようなものだ。

 トッティ、デ・ロッシ、フロレンツィと同じように、彼もまた生粋のローマっ子だ。ローマは「キャプテンはローマ出身でなければならない」というクラブの条項があるかのように、地元出身の主将が続いている。イタリアは外国人籍選手が幅を利かすチームが多い中、このような状況が続くのは激レアと言える。イタリアの首都ローマ、永遠の都の誇りとするものだ。

 時計の針を戻すと、トッティ以前には、“プリンチペ(王子)”と呼ばれたジュゼッペ・ジャンニーニやアゴスティーノ・ディ・バルトロメイもまた、ローマ出身でカピターノを務め、サポーターに愛される存在だった。ペッレグリーニは、ローマ中心から南にあるチネチッタの生まれだ。「映画都市」を意味する街にはまさに世界的に有名な映画撮影所があり、『ローマの休日』など数々の不朽の名作が生まれた。イタリアの中央銀行であるバンカ・ディタリアで働く父を持つペレッグリー二は、サッカー狂の父の影響で幼い頃からボールと遊んでいた。「夏になると父が銀行の福利施設に連れて行ってくれてね。そこで一日中ボールを蹴っていたよ。姉は僕を嫌っていた。人形の頭をボール代わりにして蹴っていたらしくてね(笑)。丸い形をしているものには目がなかったんだ」と、幼い頃から“ボール”を蹴ることに明け暮れていたことを明かした。



 キャリアとしてはまず、バンカ・ディタリアのサッカースクールから、アルマスに入団。アマチュアのカテゴリーを主戦場とするが、ローマでは名の通った有力クラブである。なぜなら、前述のジャンニーニもこのクラブの出身だからだ。父親がクラブの技術責任者と役員を務めたことで入団する運びとなった。こうして、本格的にサッカーに取り組み、ローマでプレーすることを夢見るようになった。

「パニーニのステッカーアルバムに夢中になってね。まず何よりも先に集めたのはローマのステッカー。とりわけ、トッティのステッカーが欲しかった。手に入るまでお小遣いをつぎ込んだけど、手に入れることはできなかったんだ」。ロレンツォ少年もまた、多くのイタリアの子どもたちと同じように、パニーニ社のステッカーアルバムの収集にはまり、サッカーをプレーする以外にもサッカー漬けの日々を送る。そしてスカウトの目に留まり、入団テストを受けてついにローマの下部組織に加入することとなった。

「家にローマから一通の手紙が届いた時のことを覚えている。2、3日の間、ただただ手紙を読み返し続けた。信じられなかったんだ。サッカーに取り憑かれた9歳の子どもが、心のクラブに入れると知り、それが何を意味するか、イメージできるかい? 僕は実現しつつあったあの夢に心を奪われたんだ」

 13歳までは背が高く、横幅もあり、ポジションはFWだった。だが、チームメイトも同じように成長していくと、ポジションを失うこととなる。「プレーできなくて苦しんだよ。でも、当時の監督、ミルコ・マンフレーが、『ポジションを変えれば、試合に出れるって』言ってくれてね。すぐにコンバートを受け入れたよ。自分はどこのポジションでもプレーした。ポジションを変えて上手くいったよ」

 中盤に自分の居場所を見出し視界は良好のように見えたが、ヴィンチェツォ・モンテッラが監督を担っていたジョヴァニッシミ(U−15のカテゴリー)時代に、伝染性単核球症を患い、不整脈の症状に苦しむことに。半年ほどサッカーを離れなければならなかった。それでも復帰できると信じ続け、4カ月を過ぎた時、脈が正常に戻っていることに気がついた。検査の結果、完治していたことが分かった。こうしてピッチに戻ることとなるが、再び不運に見舞われる。今度は第5中足骨を骨折し、再び20日間の離脱を余儀なくされてしまった。順風満帆のサッカーキャリアを歩んできたように見えるが、思春期にはポジションを失い、病との戦いを強いられるなど、サッカーを諦めてしまってもおかしくない苦境を経験していたのだ。それでもペッレグリーニは、「サッカーを辞める」ということは露にも思うことはなかった。

 ローマでも、プロデビュー後に一度はサッスオーロへ放出されたが、買い戻しオプションの権利を行使させ、再び愛するクラブに帰還している。不屈の精神は、少年時代に体験した苦い経験によるものだ。彼の気持ちの強さは、チームが窮地に追い込まれた時に必ず発揮される。この男もデ・ロッシのように、ローマのためにピッチの上で命を落とすことさえできる男なのだ。チームのために全身全霊を込めて戦うことができる、生粋のローマっ子がクラブに在籍している。それはロマニスタにとってなんと幸せなことか。彼らにとって幸福な時間は、まだ終わらないだろう。

文=佐藤徳和/Norikazu Sato

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