“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)
そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。
折田真由美さん(仮名・51)は、最近「夫婦ってなんだろう」と、しきりに考える。夫の稔さん(仮名・55)の義父母は、ケンカの絶えない夫婦だったが、義母がパーキンソン病になり体が動かなくなっていくと、義父がかいがいしく介護をするようになった。「夫婦はいくらケンカをしていても、最期はお互いを思いやるものだ」という折田さんの母の言葉を何度も思い出している。というのも、エリートサラリーマンだった稔さんが起業したものの、二度の倒産で暮らしが激変したからだ。
(前編はこちら:年収2000万円のエリート夫が二度の破産――「夫婦ってなんだろう?」と妻が自問するワケ)
こんなときこそ夫を支えるべきなんじゃないか
二度目の倒産後は、稔さんが50歳を超えていたこともあり、職探しは難航した。50社ほどに書類を出し、面接までこぎつけても、「なぜあなたのような立派な経歴の人が」と驚かれて「うちにはもったいない」と採用を断られる。
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「最初の会社を辞めたときが40歳。もう一花咲かせたいと思ったんでしょうが、あのとき反対しておけば……と何度も後悔しました。下の息子は、生活が苦しい思い出しかないと言っています」
いっそ離婚した方がいいのではないか、と思ったこともある。しかし、義父母の関係を見て、「自分も夫を支えないといけないんじゃないか」と思い直した。
「夫も、子どものことはかわいがっていましたし……」
折田さんは、友人にはこういった話はできなかったという。
「こんなどん底の生活、愚痴を聞かされても困るでしょう。母も年を取っているので、心配はかけられません。肝心の夫は毎日部屋にこもりっきりで、何をしているのか、何を考えているのかわかりませんでした」
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そのころ、折田さんはデイサービスでパート勤めをしていた。介護ヘルパーの資格はなかったが、人手不足だったので採用されたという。送迎バスにも乗った。運転していたのは、折田さんよりも5歳ほど年下の男性。折田さんのように、送迎だけをするパート職員だった。毎日顔を合わせるうち、次第にその男性に家庭の話をするようになった。
「その人に家の話をするようになって、ずいぶん救われました。その人も送迎のアルバイトをするくらいだから、事情はうちと似たりよったりだったんだと思います。夫のことを打ち明けると、『男ってそんなものですよ。何も言わなくても、つらい思いをしているはずなので、今は黙っておいた方がいい』と言ってもらい、そんなものかと思えるようになりました」
その後、その男性は再就職先が見つかり、運転手を辞めた。折田さんは、保育士の通信教育を受け、猛勉強をして保育士の資格を取った。今は保育所の非常勤職員として働いている。稔さんも、小さな会社に再就職することができた。
「夫もなんとか就職できてホッとしましたが、お給料は悲しいくらい安いです。週末には、お小遣い稼ぎのために近くのホームセンターで駐車場の誘導員をしています。そんな姿を見ていると、バリバリ稼いでいたころの夫と比べてしまうし、かわいそうだなと思います。縁があって家族になったんだから、義父のように夫を支えていかなくてはならないとも思っています。ただ、夫のことが今も好きか、と問われれば、もう好きだとは思わないです」
折田さんは、今でもデイサービスの運転手だった男性とときどき会っている。
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「その人とお茶を飲みながら、たわいもな話をするのが今の一番の楽しみ。そういう存在の人がいるだけで、私の人生も捨てたもんじゃないなと思えるんです」
LINEでやりとりもしている。後ろめたいことはしていないというが、子どもに見られて誤解されたくないので、すぐに消している。そして、折田さんはまもなくおばあちゃんになる。
「苦労させてしまいましたが、子どもたちも社会人になりました。長女は家庭を持って、もうすぐお母さんになるんです。これでようやく一段落ついたなと思っています。これからどんな人生が待っているかはわかりませんが、長女が夫婦で支え合って、家庭を築いていければそれでいいと思います」
折田さんのスマホには、時おりLINEの着信を知らせる音が鳴っていた。折田さん夫婦の「つじつま」はどこで合うのだろう。