ひきこもり、うつ病、離婚…「誰が見ても美人」慶応大卒女性の人知れぬ“葛藤”

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2020年02月07日 12:00  週刊女性PRIME

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※写真はイメージ

 現在、全国に100万人いると推測されるひきこもり。近年、中高年層が増加しており、内閣府は昨年初めて、40歳以上が対象の調査結果を公表した。一般的には負のイメージがあるひきこもり。その素顔が知りたくて、当事者とゆっくり話してみたら……。

ワケあり女子さん(32)のケース

 32歳にしてバツイチ、不登校、うつ、ひきこもりなど、世間でマイナスだと思われることをこれでもかというくらい経験してきたワケあり女子さん。波乱に満ちた過去を振り返って、彼女自身、「よく頑張った。よく生き残ってきたと自分に言ってあげたい」と、しみじみ話す。

 彼女と出会ったのは、『不登校新聞』の編集会議だった。私は見学させてもらったのだが、彼女の「学校や教師への不信感」「もっと自分を解放していい」という内容を語るときの凜(りん)とした口調が印象に残った。この人は相当な苦悩を抱えてきたに違いないと感じたのだ。

 ワケあり女子さんは現在、教育関連の仕事に就いたばかり。これからきっと彼女の経験が生きるに違いない。

「ようやく人生が落ち着いた気がする」

 そう言って笑う彼女の目が輝く。誰から見ても「美人」。だが、今まではそれも生きづらさにつながっていた。

存在を消そうと決めた小学生時代

 福井県福井市で生まれた彼女は、小学校のときから勉強が好きだった。父は勉強ができることを喜び、自由にさせてくれたが、親戚や祖母からは「女の子は勉強なんてしなくてもいい」と言われたこともある。地方にはありがちなことかもしれない。

 彼女が子どものころ、父は起業に成功したが、あまり家に帰ってこなくなった。母はひとりで仕事と育児のストレスを抱え、イライラは娘への八つ当たりになった。一方で娘を自分の生きがいにしようともしていた。

 利発でかわいくて勉強ができる彼女は、学校では自他ともに認める人気者で、「キラキラしていた」そうだ。

 両親はその後、仲直りの妥協点を探ったのか、田舎に家を買う案が持ち上がった。ワケあり女子さんは「引っ越したい」と真っ先に言った。

「私が引っ越したいと言えば、両親の仲がよくなるんじゃないかと。子ども心に空気を読んだんですよね」

 8歳のけなげな決断だった。一家3人は、福井の最北端の町に引っ越した。転校初日、教室に入って挨拶した瞬間、「よそ者が来たぞ」という空気を感じた。

「私、本名がキラキラ系なので、下手なことを言うといじめられると感じ、存在を消そうと決めたんです。おとなしくて頭のいい優等生で通したからいじめられなかったけど、友達はできなかった」

 小学校時代の写真は、すべてつらそうな表情で写っているという。

 地元の中学に進んだが、学校のあり方も授業内容も画一的でつまらなかった。高校レベルの「くもん式」を続けながら、「もっといい教育を受けたい」と願っていた。受験対策のプリントも物足りないから、さっさと終わらせて教科書を読んでいた。それが教師の気に障ったようだ。

「私は私でやる気をなくして、プリントもやらず、時間が来るとプリントをゴミ箱に捨てて出ていくという暴挙に出ました。教師からしたらイヤな子ですよね(笑)。みんなの前で説教されたんですが、“そういう態度だと藤島高校に行けないよ”と、県でいちばんの進学校の名前を出したんです。私がその学校に行きたいと決めてかかっていることに腹が立って、3日くらい怒りがおさまりませんでした」

 自分の意志を確認もせず、頭のいい子=県随一の進学校と決めつけられることが耐えられなかった。その気持ちは非常によくわかる。

都合のいい国民になりたくない

 結局、藤島高校に入学したのだが、すぐに息が詰まるような気がしたという。もとは藩校だったその高校は文武両道を謳(うた)っており、部活は必須。しかも大学受験を視野に、授業は毎日6限までびっしりで、その後、部活がある。家の遠い彼女は帰宅時間が9時か10時。それから予習をし、十分な睡眠をとれないまま登校する日々だった。

「心身ともにつらかったですね。本来の自分がどういうキャラだったか見失ってもいました。家では両親が険悪だし、気持ちはどんどん落ちていく。とうとう高校1年生の夏休み前に学校に行けなくなり、そのまま休み明けも行けなかったんです」

 うろたえたのは両親だった。朝になると部屋に入ってきて、布団を剥(は)がそうとする。近所や親戚の目を考えると、「自慢の娘が学校へ行けなくなった」などということは、あってはならないことなのだ。

「夏休み明けは自室から出られませんでした。ずっと布団の中で寝ているか泣いているか。アトピーがひどくなって痛いのにひたすら掻(か)きまくって、患部がじゅくじゅくして。その後は抜毛症、ひたすら髪の毛を抜いていました。そのころの記憶がいまひとつはっきりはしないんですが」

 あとから分析すると、子どものころから優秀だった彼女は、勉強が好きだから勉強し、自分の能力を磨いて社会に還元したいと信じていた。そこまではまぎれもない事実。だが、ある日、ふと気づいてしまったのだ。

「私は国家にとって都合のいい国民を量産するシステムに踊らされているだけではないのか」

 目の前の壁がガラガラ崩れていくのが見えた。大きすぎる衝撃に絶望感だけが残った。

 下宿したり親戚の家に住んだりしたが、結局、学校へは行けず留年、そして中退。18歳のとき実家に戻って、またひきこもった。

「絶望も3年間やると、底つき感があるんですよね。絶望に疲れ切ったというか。18歳も終わりごろになって、同級生は大学進学や就職をしているのに、私は中卒のままでいいのか、とも思って」

 本を読みあさったり、少し外に出てみたりもした。だが、大学へ行こうとすると、また「国家にとって都合のいい国民になる」という葛藤もあった。それでも、進学以外に自分を立て直す方法が見つからなかったと振り返る。

「だから考え方を変えたんです。おもしろい人に会いたいから大学へ行く、と」

 家にいると周りの人たちの目が気になる。そこで彼女は環境を変え、ひとりで東京へ向かった。高卒認定をとってそのまま大学受験に突っ走るつもりだった。

自立しなければいけないと悟った日

「19歳で東京に出てきて、ひとり暮らしを始めました。とにかく匿名性がうれしかった。真っ昼間、外出しても近所の人だって誰も気にしない。こんな世界があるのかと開眼しました」

 高卒認定はその年のうちにとり、予備校にも通い始めた。そこで2歳年上の予備校生と恋に落ち、彼の実家で一緒に暮らすことになる。

「彼の親は、私の事情を知って心配してくれたようです。ご両親にはよくしてもらいました」

 だが彼女はカルチャーショックを受ける。彼の両親はともに大卒で教養があった。本棚にはたくさんの本が並び、一家でクラシックやジャズを聴く。自分の実家とは文化度が違う。しかも、彼女は「嫁のような」立場。彼の実家の暮らし方に合わせるしかない。

「ここで彼の子どもを産めば立場は強くなる。その決定権を握るのは私だと考えたとき、ハッとしたんです。自分の立場のために子どもを産もうなんて、どうかしてると思いました」

 彼女にとって、この経験は「まずは自立するべきだ」という確認になった。やる気が低下していた彼の尻を叩いて勉強させ、翌年、彼を無事、合格させた。そして彼女は彼との関係を保ったまま実家へと戻る。なぜ彼を先に合格させるべく叱咤激励(しったげきれい)を続けたのかについては、「今となっては謎(笑)」だそう。

 女性には誰も「女とはこうあるべき」と刷り込まれた価値観がある。その価値観が彼女にそうさせたのではないかと思ったが、彼女はすでにそれには気づいていた。その価値観を認識したうえで、「自分らしい生き方」を模索し続けてきたのだという。

 実家に戻ってようやく受験に本腰を入れた。自分のためだけに勉強しようと本気で思えたのだ。そして翌年、慶應大学に合格。若い新入生にキラキラしたものを感じたが、演劇のサークルに入り、自分を表現する術を身につけていった。前の彼とは別れ、大学の先輩と恋愛もした。

上司のパワハラでフラッシュバック

 就職活動を始めたとき、彼女は26歳。面接ではひきこもっていたことも堂々と話し、とある大企業に採用された。

「同期が1000人もいるような会社でした。おもしろい人がいっぱいいて楽しかった。4月に入社して6月まで研修で、それから本格的に仕事を始めて。9時、10時まで残業ということもあったけど、頑張れると思っていた」

 ところが9月に母がくも膜下出血で倒れ、生死の淵をさまよう。行ったり来たりの生活を続け、とうとう体調を崩したが休暇は認められなかった。

「産業医に診断書を出してもらったんですが、上司は、“妊娠じゃないよね”“将来に響くよ”と。“明日、出社しなかったら家まで迎えに行くよ”と言われました。そのとき、不登校のころに先生が来てパニックになったことを思い出して……行けないのに行けと言われてつらくてたまらなかったあの時代を」

 なんとか帰宅し、「自分でも聞いたことのないような声で」泣いたという。尊厳を損なわれたとはっきり感じた。今まで頑張っていろいろなことを乗り越えて人生を立て直したのに、その努力を踏みにじられた気持ちだったのではないだろうか。

 不登校の経験をもつ者を入社させるなら、それについて上司は少しでも勉強するなり医師の判断を仰ぐなりしなければ、彼らは人生で何度も傷つけられることになる。

夫から言われた言葉がずっと頭に残って…

 うつ病と診断された彼女は、休職して9か月ひきこもる。その期間に、付き合っていた先輩と結婚、猫を飼った。

 やっぱり不登校者やひきこもりはダメだと言われたくない一心で、彼女は必死に自分を立て直そうとしたのだ。

「ごく普通に接してくれた夫も、うつ病に深い理解があるわけではなかった。“現実に職場にうつ病の人がいたら迷惑だからね”と言ったことがあって、その言葉がずっと頭に残ってしまったんです」

 その後、復職して頑張ったが、月に1度くらいはどうしても出社できない日がある。PTSDの症状だったが、当時は、そのことを知らずに苦しんだ。2年後、新任の上司からも「周りはあなたをよく思っていない」と言われた。サボっているわけではないのに周囲から悪く思われていることに大きなショックを受けた。さらに先輩が異動して、仕事の負担が倍になり、ついに緊張の糸が切れた。

ようやく自分を再構築しつつある

 離婚、そして転職。シェアハウスに引っ越し、さらにもう1度転職し、今、ようやく彼女は公私ともに落ち着いた生活をするようになった。

「いろんなことがあったので、自分の年表を作ったんです。それを見ながら当時の気持ちを分析、ようやく自分を再構築しつつある気がしますね。母は私を娘というより、同じ女と見て張り合うことがあった。16歳でひきこもったとき、“悲劇のヒロインぶって”と言われたんです。母との関係、教師との関係、上司からのパワハラも含めて、いろいろあったけど、誰も憎んではいません。憎悪は悪意ですから、私は悪意をもった人間になりたくない

 ワケあり女子さんは頑張りすぎる自分をようやく自分で認められるようになったと微笑(ほほえ)んだ。「世間から見て」キラキラしてなくてもいい。もっと柔軟に生きればいいのだ。

 彼女の話を聞いて、人は何のために生きているのかという永遠に解けない課題を思い起こした。美人で賢く生まれたら、それを武器にうまく人生を渡っていく女性も少なからずいると思う。だが、彼女はまっすぐすぎた。よくも悪くも不器用なのかもしれない。まっすぐだったからこそ躓(つまず)き、まっすぐだからこそ再構築もできた。

 最初に『不登校新聞』の編集会議で出会ったときも、彼女は学校への不信感を述べてはいたが、決して単なる悪口ではない。全体主義の教育が個性をつぶすという理にかなった発言だった。

 彼女の人生は過去を踏まえて、また、ここから始まる。

文/亀山早苗(ノンフィクションライター)

かめやまさなえ◎1960年、東京生まれ。明治大学文学部卒業後、フリーライターとして活動。女の生き方をテーマに、恋愛、結婚、性の問題、また、女性や子どもの貧困、熊本地震など、幅広くノンフィクションを執筆

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