鈴木亮平のズッシリとした安定感 『テセウスの船』で見せる演技の頼もしさ

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2020年02月09日 09:11  リアルサウンド

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鈴木亮平 (c)TBS

 「日曜劇場」への出演を重ね、『テセウスの船』(2020年/TBS系)にて満を持して主演を務めることとなった竹内涼真を、脇から支えるポジションについている鈴木亮平。彼はその見た目が示しているような、ズッシリとした安定感が魅力の俳優だ。


 本作では、1989年に起こった無差別毒殺事件の犯人として、2020年の現在も死刑囚として収監されている男を父に持つ主人公・田村心(竹内涼真)が、事件の直前にタイムスリップ。そこで、犯行が起きてしまう前に父・佐野文吾(鈴木亮平)と出会い、この男が真犯人ではないことを心が確信し、真相究明のために奔走する様が描かれている。


【写真】父親の優しい表情をした鈴木亮平


 まず最初に大きな注目を集めていたのが、“本当に父・文吾が犯人なのか?”ということであった。このミステリアスな設定と展開を推し進めていくのが主演の竹内の役目なのだが、彼の文吾に対する疑念を、揺さぶる役目を持っていたのが鈴木だ。視聴者である私たちは心に寄り添い、次々に起こる事件をともに目撃していくため、私たちの文吾に対する疑念は、心の抱えるものと“イコール”だった。つまり、竹内が翻弄される演技に徹するのはもちろんのこと、鈴木が私たちを欺くような演技をすることで、このミステリーの強度はいままで維持されてきたように思える。


 1989年にタイムスリップした心の目の前にあったのは、家族の前で心優しい父親像をのぞかせる文吾の姿。舞台となる音臼村の人々からも、彼は慕われている存在だ。しかし、心にとって文吾は、30年もの間、自分たち家族を苦しめてきた者として、憎むべき相手である。このギャップに狼狽しながら、なんとか平静を装おうとする芝居をみせるのが竹内の役目で、人としての温かさのなかに、若干の翳りを滲ませなければならなかったのが鈴木だ。とはいえ、この“翳り”というものは、映像の見せ方しだいである程度はどうにでもできるように思う。演じ手がやたら大袈裟に不穏な振る舞いを見せてみたりすれば、ここまでの緊張感を維持することは難しいのだろう。絶妙なさじ加減が必要とされるのである。


 やがて心は文吾への疑念を払拭し、とうとう自身の正体を明かしたわけだが、彼は2020年に戻ってしまった。この交わるはずのなかった親子が、パートナーとして真相究明に向かうものと思っていた矢先にである。ここでさらに注目なのが、タイムスリップする主人公を演じる竹内をのぞいて、ほか多くのキャストが1989年と2020年という違う時代の各キャラクターを演じなければならないという点である。それはもちろん、鈴木もだ。


 鈴木といえば、徹底した役作りをする俳優として知られている。俳優のタイプによっては(もちろん、作品のタイプにもよるが)、自身の素材を活かし、とくにこれといった準備をせずに撮影現場に入る者もいると聞く。100人の俳優がいれば、100通りの演じ方があるのだ。これらに良し悪しをつけることは難しく、演出者の好み次第ということもあるのだろう。


 しかし、大河ドラマ『西郷どん』(2018年/NHK)で年間を通して主人公の西郷隆盛の生涯を演じた姿や、『天皇の料理番』 (2015年/TBS系)、映画『俺物語!!』(2015年)など、鈴木の、役の見た目に対するアプローチが尋常でないことは、“100通りの演じ方”の中でもただならぬものなのだと、誰もが分かるだろう。先述した『西郷どん』では、晩年の西郷を演じるために、体重がおよそ100キロまで達したという。


 だがやはり俳優は、(その多くが)言葉を発し、身体を動かすものである。いくら見た目が役のリアリティを得ていようが、俳優が役の心情を理解していようが、それを表出させる技術がなければならない。そのあたりは今作『テセウスの船』でも、状況に合わせた鈴木の発声の仕方で伝わってくる。喜び、悲しみ、焦り、怒り、不安、恐れ……そういったシチュエーションないしは心情を、声だけでも的確に私たちに届けてくれているのだ。


 鈴木はこれから今作で、年老いた文吾を演じることにもなる。主演の竹内を頼もしく支える彼の演技を、じっくりと味わっていきたいところだ。


(折田侑駿)


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