大野忍は、なぜ通算200ゴールまであと18なのに引退を決意したのか?

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2020年02月16日 06:32  webスポルティーバ

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「自分自身がサッカーを楽しむことで周りに(サッカーの魅力が)伝わればいい」――。

 苦しいときこそ笑顔を絶やさず、1999年からトップリーグ、海外リーグで活躍した大野忍の引退会見は”しの”(大野の愛称)らしい涙を封印した笑顔あふれるものだった。

 時折、ジョークを交えながら、メディアひとり一人の質問に丁寧に答えていく大野。思い出のゴールを聞かれ、「想定してました(笑)」と挙げたのは、史上初のオリンピック銀メダルを獲得した2012年ロンドンオリンピック準々決勝、ブラジル戦のゴールだった。大野の持ち味でもある足元の技が光るステップから左足を振り抜いたファインゴールは今でも鮮明に思い出すことができる。

 なでしこジャパンのデビューは2003年。最初の数年は、アジアの戦いでも格下試合要員だった。複数得点を決めても相手は格下。重要な試合での出番はなく、ベンチを温め続けた。当時、そのチームの中心を担っていた澤穂希さんは、大野にとって憧れの存在であり、目標であり、後にかけがえのないチームメイトになった。

 大野が主力に食い込み始めてからの10年は激動だった。

「最もうれしかったこと」として大野が振り返った2011年のFIFA女子ワールドカップドイツ大会での優勝に続く、15年カナダ大会では2大会連続の決勝にコマを進めた。大野にとって「特別な大会」であるオリンピックでも、なでしこジャパンの快挙はめざましかった。12年のロンドンオリンピックでは、史上初となる銀メダルを手にした。それまでの日本女子サッカーはアジア制覇にも手が届かず、世界との差をまざまざと見せつけられていた。その歴史を思えば、大野が走り抜けた10年は激動以外の何物でもない。

 そんな大野も36歳を迎えた。たしかに、体力的には衰えもあるだろう。しかし、それ以上に彼女には、経験と戦術眼がある。個人として目標に掲げていた通算200ゴールまであと18というところにいた大野は、なぜこのタイミングで引退を決めたのか。

「昨年の10月ぐらいから(引退を)考えることが多くなりました。練習中に指導者目線というか、そうなってしまう自分がいて。よく指導者兼選手ってあると思うんですけど、自分はそれをやりたくなかった」

 目標としてその存在を追い続けていた澤さん、そして同世代でありながら「それはもう絶大な影響を受けた」という宮間あやには、いち早く相談したという。2人からは「(プレー)できる場所があるなら続けた方がいい」とも言われ、なかなか決断ができなかった。

 それでも引退を決めた要因のひとつが、苦楽をともにしてきた仲間が次々にピッチを去り、「この仲間と(タイトルを)獲りたい、この仲間となら獲れるっていう想いが強かった分、やりたい仲間がいなくなってしまった」ことだった。

 大野は最後の2シーズンをノジマステラ神奈川相模原でプレーした。この移籍は驚きだった。大野は日テレ・ベレーザからINAC神戸レオネッサへ移籍し、そこから世界ナンバー1とも称されるオリンピック・リヨン(フランス)にも在籍した。なでしこジャパンとしての知名度も高く、その経験と技術の高さは誰もが認めるところだ。

 ノジマステラは若い選手が多く、これから成長していく選手たちが揃っていて、さらにはよく走る粘りのサッカーを身上としていた。走るトレーニングが苦手な大野が、まさかこのチームに飛び込むとは信じがたかったのだ。ところが試合では、サイドバックから全力でビルドアップする大野の姿があった。当然、世代問題だけでなく、多くのギャップは覚悟の上だったが、大野はさらに新しい扉を開いていた。

「本当にいろいろたいへんでしたけど、ノジマに行ってよかったですよ。努力は実を結ぶ。だって走るのとか得意じゃなかったでしょ?そんなウチでも走れるんですから。走れたんですから(笑)。当時の菅野(将晃)監督には感謝です」

 このノジマで、大野はその後の道筋を意識せざるを得ない経験をすることになる。

「ウチね、能力のある選手、見つけちゃったんですよ」と誇らしげに大野は語りはじめた。彼女が見つけた逸材は同じチームにいた國武愛実。161cmのDFだ。

「すぐに、この子うまい!って思いました」と、ポジションが近いこともあり、ビルドアップのいろはから、ポジショニング、予測の重要性を徹底的に教え込んだ。その教えが功を奏したのか、2018年に國武は初めてなでしこジャパンに選出される。

「めちゃくちゃうれしかった! だけど、本人があまりそういう感じじゃなくて……(苦笑)」

 初めてのなでしこジャパンの活動で國武は緊張も手伝い、本来のプレーができず、完全に周りの雰囲気にのまれていた。

「彼女に足りないのは自信!彼女のアピールポイントはスピードなんです。昨シーズンは、センターバックとして、ほとんどのカバーリングを成功させていたんじゃないかな」(大野)

 今シーズンからはベガルタ仙台レディースへ移籍したが、それも彼女のプレーが目に留まってのオファーである。

「自分が伝えたことで、彼女がどんどん成長していくのを見て、面白い!って思いました。國武の成長が指導者っていう道を考えさせたのかもしれないです」(大野)

 日本女子サッカーを牽引する立場になってから、大野が常に心にとめていたことがある。

「澤さんがやっていたことをやりたかったんですよ。それこそ若い選手たちのサポートとか。どういう風にしたら若い子が活きるのか、ムードメーカーになったりとかも含めて。自分が先輩たちを見てきて学んできていることだから。それをちゃんと若い選手に伝えたかった」

 選手同士だから伝わることもあれば、指導者としての方が伝えやすいこともある。現役中に散りばめられていた点が、今ようやく線となって大野を指導者へと導いている。

「引退の決断に時間はかかりましたが、自分自身でしっかり決めたことです。寂しさっていうか、そういうものもすべて笑顔に変えて、楽しく生きていこうと思います!」と、大野は最後まで笑顔を貫いた。

 苦しんでいる大野の姿も数え切れないほど見てきた。それでも、気合いを入れて声を張り上げ、チームメイトを笑わせる。強がりながらも、心の底からサッカーを楽しむことを忘れない大野をプレーヤーとして見ることはもう叶わない。喜びを爆発させる大野、苛立ちを隠すことができない大野、いたずらを仕掛ける大野、それが成功して爆笑する大野……。どこに立っていても、実に人間味あふれるフットボーラーだった。

 今年1月にはすでにB級ライセンスを取得し、指導者への道を歩き出している。次にピッチで会うときは、前代未聞のやんちゃな監督として、選手たちへ声を張り上げているのだろう。それもまた、”しの”らしい。

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